五、「教会とわたしたち」(461) 5.近代から現代へ(宗教改革とその後」
初めに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その101)
最終篇に入ります。
第二十二編 神の国永遠の浄福
29.来るべき世において聖徒たちが神を仰ぎ見るとき、彼らが目の辺りにするのはどのようなものであろうか。
そのときに、わたしたちが新しい天と地の物質的からだを、あらゆるところに存し・すべての身体的事物を統治さ
れる神を透き通るばかりの明確さで見奉るのと同じように、そのときに与えられるであろうからだによって見ることは
ありうるし、恐らく確かである。わたしたちはどちらへ目を向けても、これを目のあたりにするであろう。「神の見えな
い性質」(ローマ一・二〇)を、鏡にうつしておぼろげに、また一部分だけ見るように造られたものにおいて知られ・見
られている今と違って、そのときにはわたしたちが信ずる信仰は、(前回はここまで)肉眼によってわたしたちが見る
身体的事物の外観よりもはるかに力強い現実となることであろう。
例を挙げればこうなる。今日わたしたちは生き・かつ動いている人々の間で生活している。わたしたちが彼らを見
るとき、わたしたちは彼らが生きていることを信じはしない。わたしたちは彼らが生きているのを見るだけである。し
かし、もしも彼らがからだを持たないならば、わたしたちには彼らが生きていることを知り得ないであろう。わたした
ちが何の疑問の余地もなく彼らが生きていることを知るのは、彼らのからだを通してである。そのように、わたしたち
が将来持つであろうからだの霊の目(つづく)(「神の国」出村彰訳)