五、「教会とわたしたち」(442)
5.近代から現代へ(宗教改革とその後」
初めに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その82)
最終篇に入ります。
第二十二編 神の国永遠の浄福
11.物質の重さを考えて、地上のからだ天にあることはできない、と主張するプラトン主義者に反論する。
12.肉のよみがえりというキリスト信者の信仰を嘲笑する不信者の中傷に反論する。
・・・・・・これが彼らのあげつらっている質問である。そして彼らはよみがえりについてのわたしたちの信仰を軽蔑する。彼らは二つの可能な回答を提示する。一つはプラトンの考えで、それによれば人間の魂は真の悲惨と偽りの幸福の間を交替するという考えであり、他はポルフェリオスに従って、魂は多くの異なった肉体を住み家としたのち、悲惨さを終了し、もはや肉体へ帰って来ることはないという考えである。どちらの場合でも、肉体は不可死的とは考えられず、ただこれから逃れ去ることだけが望まれている。
13.もしも流産児が死者のうちに含まれるならば、彼らもよみがえりの一部分とはならないだろうか。
これらの問い(前回はここまで)に対し、わたしは神の助けによって答えることにしよう。母胎の中では生きていても、生まれる前に死んでいる流産児については、わたしはそのよみがえりを否定も肯定もしない。しかし、もし彼らを死者のうちに含めるのならば、彼らを死人のよみがえりから除外する理由があると思われなすべての死人がよみがえらず、したがってからだを持たない(つづく)(「神の国」出村彰訳)