日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック 

2018-06-12 22:59:45 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(462)   5.近代から現代へ(宗教改革とその後」

初めに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その102)

  最終篇に入ります。

 

第二十二編神の国永遠の浄福

29.来るべき世において聖徒たちが神を仰ぎ見るとき、彼らが目の辺りにするのはどのようなものであろうか。

 そのとき、これらの目は神を見奉るであろう。なぜなら、これらは霊的な非身体的な本体をも知覚できるような、高次の知性をそのうちに持つからである。もっとも、このことを聖書の事例や本文から証明することは困難で、事実上不可能である。

30,神の国の永遠の浄福と永遠の安息について。

いかなる悪によっても汚されず、すべての善が明らかにされ、すべてにおいてすべてである神を讃美する暇のある前回はここまで)浄福は、いかに大いなるものであろうか。いかなる怠情も存せず、労苦の要の全く存しないようなところで、他の何物にわたしたちの心を用いることがあろうか、わたしにはわからない。わたしは次の聖詩編に見習うことにしよう。「あなたの家に住み、常にあなたをほめたたえる人はさいわいです。」(詩編八四・四)。

いまはやむを得ない役に立っている肉体のすべての四肢・器官も、その必要がなくなり、完全で確実・永遠的な浄福だけが残るそのときには、ただ神をほめたたえる用を果たすだけのことになるであろう。わたしが上に述べたように、今はその機能を秘かに果たしている身体的調和の各部分も、そのときには(つづく)(「神の国」出村彰訳)

 


聖書研究

2018-06-12 22:57:31 | 大分中央ウィークリー

創世記25章21節である。「イサクは、妻に子供ができなかったので、妻のために主に祈った。その祈りは主に聞き入れられ、妻リベカは身ごもった。」という。「妻に子供ができなかったので、」という。今日でもよくある話である。妻をめとるということは、現代でも、先ずは子孫を残すことが第一の目的ある、といえば、必ずしもそうでないというしっかりとした反論が返ってきそうである。 

しかしこのアブラハムの古代はもとより現代もまた後継者を残すのが大事な目的の一つであるのは同じである。子を産めないと分るときは、夫婦も一族全体も深刻な悩みになる。今日はいろいろ医学的に原因が突き止められ、子が生まれるように可能な限り原因を突き止めるが、しかし現代をも含めて、このイサクの時代にも、祈るという方策を欠かすことができない。神が可能な限りの改善をもたらすからである。 

22節である。「ところが胎内で子供たちが押し合うので、リベカは、『これでは、わたしはどうなるのでしょう。』と言って、主の御心を尋ねるために出かけた。」といいます。不妊の女であったはずのリベカが身ごもった。主なる神が、イサクの熱心な祈りに応えられて受胎した。乙女マリアの時の言葉がここにも関係があります。「神にできないことは何一つない」(ルカ1・37)と。 

身ごもったら身ごもったで、普通胎内の子供が母体に大きな刺激を与えるほど動くのは、胎内にいる子供にとっては当然のことで、成長のしるしでもあるといわねばならない。この時のように双子は大きな動きを感じ取るのは、人に普通。しかし大事なのは神の御心である。夫のイサクは後継者が必要であり、熱心な祈りをささげた。しかしリベカは胎内の普通のことながら、


牧 会 通 信

2018-06-12 22:37:22 | 大分中央ウィークリー

(原光訳、2000年、沖積舎)

ダンテ著〈1265~1321〉の「神曲 地獄」編 二十歌(その7)

◯あれの腹に背を向けてゐるのは腸(はら)卜者アロンタで、下に住むカㇽラーラ人が薪作りに登るルニの山中の

 白大理石の間の洞窟を住居としてゐた、そこからはなにものにも遮られずに、星と海が観察できたのだ。

 そなたには見えぬ乳房を解いた編毛で蔽ひ隠して、毛深い皮膚をすつかり向う側にしてゐる、あの女はマントだつたのだ、前回はここ

 まで)

◯あれは多くの国国をへめぐってから、わたしの生まれた所に落着いた、だからわたしの話に少し耳を傾けうるがよい。

 父親が他界し、酒神(「バツコ」)の都市が奴隷になつてからあの女は長い間諸国をさまよつた。

 美しい上(かみ)イタリアの、ティロルの上でドイツに嶮しく立ちはだかるアルプスの麓に、ベナコと呼ばれる湖がある。(つづく)

◯本日6月10日、日本聖書協会の「聖書愛読暦」の主題は「主の証人たち」である。聖書本文は、使徒3章1~10節。「神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日『美しい門』という神殿の門のそばに置いてもらっていた」という、年のころは40歳を過ぎた「生れながら足の不自由な男」がいました。ペトロが彼に、「~ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」そして右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり踊ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。」と。この男は素晴らしい主の証人となりました。

写真は、6月6日、八女伝道所の九州中会伝道委員会の問安使として訪問しました。秦博記兄(写真前列の右)運転で行き、電車とバスなら3時間半かかるところ二時間と10分で到着しました。写真撮影は、写真前列中央の、筆者、南茂。