日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2015-10-31 01:52:52 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(333)

4.近代の教会の夜明け―宗教改革とその後―

ツヴィングリ自身よりも弟子たちの方が、どちらかといえば熱心であり、彼らにとっては、この期節の断食の破棄こそが、かねてからの彼らの(師ツヴィングリが解いてやまない)福音の自由の実現そのものであった。(ここまで前回)

チューリヒ市を統治していたコンスタンツ司教区のカトリック教会法廷が介入しただけではなく、その傘下の直接統治団体のチューリヒ参事会までがその違反者に懲罰を科したとき、ツヴィングリは「食物の選択と自由」と題して、その書を公にし、福音派の立場を弁証し、聖書が明白に命じていること以外はそのすべてが禁じられたものしてはならないとし、断食は命じられていないので守る必要はないとした。万一、旧約と新約に差異がある場合は、たとえば、旧約では断食が命じられているが、その場合は、新約が優先すべきであると強く主張した。このときの翌年(1523年)1月に市参事会当局が両者による第一チュリッヒ討論会を招集した。この討論に先立ってツヴィングリはその提題として「六十七箇条」を執筆し公開した。半年後、ツヴィングリは、さらにこの問題について、「六十七箇条」の詳細な解説を公にした。この問題について長期の討論の始まりとなったのであるが、福音主義が始めて公的な立場を獲得したという意味では、一つの時期を画したことに意味があるといわねばならない。(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


聖書研究

2015-10-31 01:48:37 | 大分中央ウィークリー

創世記21章31節である。「それで、この場所をベエル・シェバと呼ぶようになった。二人がそこで誓いを交わしたからである。」という。イスラエルの国土の南端になった町の名として、このとき、その名が誕生した。ご存知のように、一般に「ダンよりベエル・シェバまで」の表現で、北の「ダン」より南の「ベエル・シェバ」に至るイスラエル全土を現すものとして、しばしば用いられている(士20・1、サム上3・20など)。

「シェバ」は「七」の意味を持つ。ヘブライ語は母音をつけないで表記されるので、「シャーバ」と読めば「誓い」の意味。ここでは二つの意味を兼ね備えている言葉があえて使われている。従って、ここの七匹の雌の子羊には、これらの二つの意味を込めて、ここに登場している。その上「七」は近東地域では完全数であるから、アビメレクがアブラハムの井戸の所有権を公式にかつ完全に承認したことになる。

32節である。「二人はベエル・シェバで契約を結び、アビメレクと、その軍隊の長ピコルはペリシテの国に帰って行った。」という。アビメレクは、20章1節で「ゲラルのう王」と紹介されている。更に下って26章1節でイサクが交渉した「ゲラルにいるペリシテ人の王ゲラル」とは世代が違うので別人である。しかし「ペリシテ人の」というところは関係がある。

 「ペリシテの国に帰って行った」という。後にこのゲラルの地方を拠点に出エジプトのヨシュアの時代、前12世紀ころからダビデの時代(前10世紀)に至るまでイスラエルを脅かす「海の民ペリシテ人」の遠い先祖であるとするのが最近の説である(フランシスコ会訳注1967)。資料説では時代が違いすぎるとするのが通説である。

 

 

 


牧 会 通 信

2015-10-31 01:37:40 | 大分中央ウィークリー

 (原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第11歌(カッコ内は筆子、その7)

◯なぜこの灼熱する市(まち)の中で罰せられないのですか、神の怒りを受けてゐるのなら。また受けてゐなければ、なぜあのやうにされてゐるのですか?」

  師は答へた、「そなたの知力はなぜいつもの道からそんなにも逸(そ)れてゐるのだ?そなたの心は外のどこをみつめてゐるのだ?

  思い出さぬのか、そなたの倫理学が天に忌み嫌はれる三つの性質、放縦と悪意と狂つた獣性を詳しく論じてゐるあの言葉を?

(ここまで前回 )

◯放縦は神を怒らせることより少く、受ける非難もより少いといふことを?

あの言葉をよく吟味し、ここの外の上で刑罰を受けてゐるものたちが、いかなるものかを思ひ返すならば、

なぜあのものたちが凶悪なものたちから分離されてゐるのか、なぜ槌で打つ神の復讐の怒りがより少ないのか、よく分るだろう。」(つづく)

                                               

◯2015年10月25日は、今年の第四十三主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は「イエスは何者」という主題である。聖書は使徒13章26~33節、その30節、「しかし、神はイエスを死者の中から復活させてくださったのです。」

といって、使徒パウロが異教に地、ピシディア州のアンティオキアで話出すと、聴いて、多くの人たちがキリストを信じる信仰に導かれた。イエスの復活のニュースは、今どの世界の、どこでも新しいニュースで、人々の心を揺

さぶります。語らせ、聴きましょう。

◯写真は第65回大会教師試験合格者3名、手前から石飛律子(袋井愛野)、南 望(香里園)、田部朋彦(神戸湊西)。

 

 

 

 

 

 

 


プロテスタントとカトリック

2015-10-20 22:45:21 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(332)

4.近代の教会の夜明け ―宗教改革とその後― 

中世の大前提は一つの地域には一つの思想、心情、信仰という大前提が定着していて、二つの集団はあってはならない現象である。(ここまで前回) もちろん、宗教上の対立はその地域の政治分野での対立となって現れてくる。事実、このときのチューリヒでは、路上での実力行使にまで至った。

こうしたとげとげしい社会環境の中で起きたのが、1522年春のソーセージ事件として語り伝えられているものがある。それは、その年の3月22日は灰の水曜日であった。この日からレント(受難節)に入るので、この日からその社会では、四十日間断食に入るのが習慣化されていた。その水曜日の夕刻のその少し前からのこと、ツヴィングリの一群の支持者らがその地域の印刷所で集合して、彼らは、時が時なので、チューリヒの日常語のドイツ語訳聖書の刊行を目指して徹夜も辞さずという勢いで印刷作業を続けていたときのことである。彼らに幾人かがそれぞれ空腹を覚えたので、持参していたソーセージを口にいれた。折も折り肉および乳製品を食べることを禁じる四十日間断食の期間であった。一気に政治問題となった。ツヴィングリ自身よりも弟子たちの方が、どちらかといえば熱心であり、彼らにとっては、この期節の断食の破棄こそが、かねてからの彼らの(師ツヴィングリが解いてやまない)福音の自由の実現そのものであった。(つづく)


聖書研究

2015-10-20 22:42:16 | 大分中央ウィークリー

創世記21章30節である。「アブラハムは答えた。『わたしの手からこの七匹の雌の子羊を受け取って、わたしがこの井戸(ベエル)を掘ったことを証としてください。~』」といっている。28節以下は27節「二人は契約を結んだ」の説明文のようである。その場合、契約そのものは井戸が、アブラハムの所有であることを前提としている、またその所有を確認していることになる。 

したがってここで、「井戸(ベエル)を掘ったことを証としてください」アブラハムがいうのは、アブラハムの所有であることの確認を求めていることになる。心を相通じさせる信頼の証であって、代価として買い戻したのではない。所有者としての主権は損なわれず、永久の所有であって少なくとも将来にわたって同様の争いの再発を防いでいるのである。人間の世界の平和は、信頼関係によって保持される。 

31節である。「それで、この場所をベエル・シェバと呼ぶようになった。二人がそこで誓いを交わしたからである。」という。イスラエルの国土の南端になった町の名として、このとき、その名が誕生した。ご存知のように、一般に「ダンよりベエル・シェバまで」の表現で、北の「ダン」より南の「ベエル・シェバ」に至るイスラエル全土を現すものとして、しばしば用いられている(士20・1、サム上3・20など)。 

「シェバ」は「七」の意味を持つ。ヘブライ語は母音をつけないで表記されるので、「シャーバ」と読めば「誓い」の意味。ここでは二つの意味を兼ね備えている言葉があえて使われている。従って、ここの七匹の雌の子羊には、これらの二つの意味を込めて、ここに登場している。その上「七」は近東地域では完全数であるから、アビメレクがアブラハムの井戸の所有権を公式にかつ完全に承認したことになる。