日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2017-10-28 15:49:11 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(433)

近代から現代へ(宗教改革とその後)

はじめに近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その73)

  最終篇に入ります。

第二十二篇 神の国の永遠の浄福に  7.この世がキリストを信じるに至ったのは、人間的な説得の結果ではなく、神の力の結果である。8.この世をキリストの信仰へと獲得するためになしとげられ、世界が信ずるに至った今でもなされている奇跡について。

  さて、復活節の日が来た。その聖日の朝に、大会衆の集まっているところで、若者は殉教者の聖道物の前で祈り、聖堂の柵につかまっていた。突然彼は地に倒れ伏し、眠っている人のように彼は横になった。しかし、もはやいつものように震えてはいなかった。そこにいた人はみな驚いた。ある者は恐ろしくなり、他の者は同情した。人々が彼を持ち上げようとしたとき、ある者らはこれを止め、いったい何が起こったのか待ってみよ(前回はここまで)うと言った。突如として彼は起き上がったが、しかも依然として震えてはいなかった。彼は癒されたのであった。彼は健康になってそこに立ち、驚きあきれた人々を眺め返していた。

いったいだれが神をほめたたえずにおれようか。全教会は隅々まで喜びと感謝とに涌き返った。ある人が走って来て、まさに始まろうとする行列を待って座していたわたしにこれを告げてくれた。それから、次々とやって来ては、別の人が前に述べたことをそれぞれ教えてくれた。わたしも喜びに加わり、神に対し静かに感謝をささげていたところへ、若者も大勢の他の人々と一緒に(つづく)(「神の国」出村彰訳)


聖書研究

2017-10-28 15:47:08 | 大分中央ウィークリー

創世記24章58節である。「リベカを呼んで、『お前はこの人と一緒に行きますか』と尋ねた。『はい、参ります』と彼女は答えた。」といいます。「一策を案ずるより、産むが易し」とはこのことであろうか。即答に近い返事の「はい、参ります」といった。しかし神のみわざととの関係からいえば、この婚姻のケースでは、このような場合が多い。そのための本人の意思決定をさせるのは、神にとって自由自在であるといった方がよいからである。

 

しかしこれが当事者にとっては、押しなべてその人生の最善の道であったのかどうかはわからない。時の流れとともに、神ご自身が、彼らの新しい道を自由自在に造っていかれるからである。それゆえわたしたちの人生についてもいえることであるが、神の意決定が伴っているということをよくよく心に留めておかねばならない。リベカにいえることは、どの人にもいえる。人は、事ごと神の深い御心を尋ねねばならない。

 

59節である。「彼らには妹であるリベカとその乳母、アブラハムの僕とその従者たちを一緒に出立させることにし、」といいます。イスラエルの高貴な家では嬰児が乳母によって育てられるというのはめずらしくない。モーセもそうであった(出エ2:7他)。一番興味深い話は、乳母が嬰児の王子を神殿の一室に匿って6年間も過ごして王の血統を守ったという話がある(王下11:1~5)。

 

ここでは乳母、その名は「デボラ」(35・8)を同行させた。リベカの嬰児の時から死ぬまで乳母として仕えた。この時のイサクは40歳(25・20)でありその後20年間子供が生まれず、イサク60歳の時(25・26)に双子が生まれた。その名をエサウとヤコブ。ヤコブが長子(25・33)となって、そのヤコブの世まで仕えたことになる。


牧 会 通 信

2017-10-28 15:40:15 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎、)

ダンテ(1265-1321)の「神曲 地獄」編 18歌(その7)

◯わたしは妹ギゾラベッラをうまく導いて、侯爵の切望どほりにさせたのだ、この淫らな話がどのやうに語られてゐようとも。

  ここで哭(な)き悲しんでるボローニャ者(もの)はわたしだけではない、それどころかこの場所はあすこのものでいつぱいで、いまサヴェナ(東側の川の名)とレノ(西側の川の名)との間で、

  シバ(ボローニャの方言「然り」の意)と言ふやうに教へられてゐるもの(ボローニャ人の意)よりも(昔の方が)数多いほどだ、このことの証明、証言が欲しければ、わたしらの貪欲(がつつ)な気質(きごころ)を思ひ出すがいい。」(前回ここまで)

◯かう話してゐると悪魔が革鞭でその霊を打つて言つた、「行け、女衒(ぜげん)めが!ここに騙(だま)される女はゐないぞ。」

  わたしは先達と一緒になつて、それから僅かな歩みで、崖から一つの岩礁が伸び出てゐるところに着いた。

  わたしらはかなり楽にそこに登り、右向きにごつごつしたその背の上を歩いて、あの永遠に取囲む岸壁から別れた。 (つづく)

 

◯本日、10月22日(日)の日本聖書協会の聖書本文はマルコ4・26~29で、その主題は「刈り入れの時」と。

その29節、「実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」という。どうして実が熟すのか、そ

の人は知らないという。わたしたちの信仰もこれと同じである。みことばの種が然るべき人の心に蒔かれると喜

びの収穫の時が来るという。 

写真は去る10月17日(火)から3日間東京柏木教会で第67回大会が開催された。会議中の写真手前より

補助書記(田部朋彦・石飛律子)議長(冨永憲司)書記(芳賀繁浩)の四人.

 


プロテスタントとカトリック 

2017-10-21 22:14:48 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(432)        近代から現代へ(宗教改革とその後)

はじめに近代への萌芽としてアウグスチヌ

ス著「神の国」(1968.教団出版)(その72)

  最終篇に入ります。

第二十二篇 神の国の永遠の浄福に  7.この世がキリストを信じるに至ったのは、人間的な説得の結果ではなく、神の力の結果である。

8.この世をキリストの信仰へと獲得するためになしとげられ、世界が信ずるに至った今でもなされている  奇跡について。

  彼らの二人、パウロとパラディアという兄妹は、わたしたちの町へやって来た。わたしたちは他所から達し(前回はここまで) た知らせによって、彼らの様子について聞き知っていた。彼らは復活節の二週間ほど前に到着した。彼らは毎日教会に足繁く通い、また祝福されたステファヌスの廟堂を訪れ、神に向かってその怒りを和らげ、以前のような健康を再び与えて下さるように祈っていた。そこでも、またどこへ行っても、彼らは人々の注目を集めた。他の町で彼らを見かけ、その病の理由を知っていた者たちは、この物語を他の人々に語り聞かせ、かくして話は広く伝えられた。

さて、復活節の日が来た。その聖日の朝に、大会衆の集まっているところで、若者は殉教者の聖道物の前で祈り、聖堂の柵につかまっていた。突然彼は地に倒れ伏し、眠っている人のように彼は横になった。しかし、もはやいつものように震えてはいなかった。そこにいた人はみな驚いた。ある者は恐ろしくなり、他の者は同情した。人々が彼を持ち上げようとしたとき、ある者らはこれを止め、いったい何が起こったのか待ってみよ(つづく)(「神の国」出村彰訳)


聖書研究

2017-10-21 22:10:28 | 大分中央ウィークリー

創世記24章57節である。「娘を呼んで、その口から聞いてみましょうと彼らは言った。」と。もともと、彼らが「娘をもうしばらく、十日ほど、わたしたちの手元に~」(55節)といったのは、娘本人のこれからの生活を思って、心置きなく、その育った家を出て行く準備をさせたいし、また、準備をしたいからであったと思われる。しかしその気持ちを受け入れられないなら、これは娘本人の気持ちを聞いてみる以外の残された道はない。

 

当然のことながら、娘は娘でこの年頃にはどうすべきかを考えているのが普通である。今日といえども、時代、民族、国籍は違っても同じである。つまり人の世界は同じ、ということができる。従ってリベカの両親と兄は、リベカ本人をこのところに呼んで、「その口から聞いてみましょう」と、当の本人に聞いてみる方法を取った。

 

58節である。「リベカを呼んで、『お前はこの人と一緒に行きますか』と尋ねた。『はい、参ります』と彼女は答えた。」といいます。「一策を案ずるより、産むが易し」とはこのことであろうか。即答に近い返事の「はい、参ります」といった。しかし神のみわざととの関係からいえば、この婚姻のケースでは、このような場合が多い。そのための本人の意思決定をさせるのは、神にとって自由自在であるといった方がよいからである。

 

しかしこれが当事者にとっては、押しなべてその人生の最善の道であったのかどうかはわからない。時の流れとともに、神ご自身が、彼らの新しい道を自由自在に造っていかれるからである。それゆえわたしたちの人生についてもいえることであるが、神の意決定が伴っているということをよくよく心に留めておかねばならない。リベカにいえることは、どの人にもいえる。人は、事ごと神の深い御心を尋ねねばならない。