日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

次週の礼拝説教の予告

2018-01-24 19:19:48 | 大分中央ウィークリー

2018年1月28日(日)朝礼拝10:20.

説教 「何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、教え続けた」

聖書:詩編67編1~8節, 使徒言行力28章23~30節.交読文9. 讃美歌211,155,532,28.

 

同夕礼拝18:30

説教 「分かち合う喜び」,

聖書:箴言17:1~5, コリリントの信徒への手紙二、8章8~15節.夕讃美歌152,457,459,28

 

 

2018年2月4日朝礼拝10:20.

説教 「イエス・キリストの僕、神の福音のために選び出され」

聖書:イザヤ書9章6~7節,ロ-マの信徒への手紙1章1~7節.交読文10.讃美歌3,197,531,29.

 

同夕礼拝18:30

説教「回心」.

ヨブ記42章1~6節,ガラテヤの信徒へお手紙2章15~21節.夕讃美歌170,458,460,29.

 


聖書研究

2018-01-24 19:16:41 | 大分中央ウィークリー

創世記25章25章3節である。「ヨクシャンにはシェバとデダンが生まれた。デダンの子孫は,アシュル人、レトシム人、レウミム人であった。」という。2節ではケトラの子として活躍している四番目のミディアンを紹介したが、ここでは曾孫の活躍である。その二番目の子すなわち「ヨクシャンにはシェバとデダンが生まれた。デダンの子孫は~」という。

 デダンから生まれた三人の曾孫の活躍の紹介である。三人の曾孫は個人名ではなく、先のミディアンが「ミディアン人の商人」(創37・28)と呼ばれていた。これらの呼び名は隊商としての集団名のようで「アシュル人、レトシム人、レウミム人であった」。隊商形成して活躍していた。イザヤは彼らを「デダンの隊商」(21・13)と呼んでいる。 

4節である。「ミディアンの子孫は、エフェ、エフェル、ハノク、アビダ、エルダアであった。これらは皆、ケトラの子孫であった。ケトラの子孫は合計六人であったが、最初の三人は、先週のところですが、ヨクシャンの孫三人の活躍を紹介していました。今度は「ミディアンの子孫は、エフェ、エフェル、ハノク、アビダ、エルダアであった。」といって五人の子孫の名を上げるだけであった。 

ということは、五人の子孫が隊商として活躍したようである。先に挙げた、イサクの一二人目の子孫ヨセフが兄弟に憎まれて、エジプトへ連れて行かれた時も、「ミディアン人の商人が」と言われている。この五人の子孫たちの活躍が「ミディアン人の商人」ト呼ばれていたのかもしれない。士師記6章1節、「イスラエルの人々は、主の目に悪となされることを行った。主は彼らを七年間、ミディアン人の手に渡された。」とあって、七年後、士師ギデオンの活躍によってこの関係が解消された話がある(8・28)」。


プロテスタントとカトリック

2018-01-24 19:07:03 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(445)   5.近代から現代へ(宗教改革とその後」

初めに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その85)

  最終篇に入ります。

 第二十二編 神の国永遠の浄福

17.よみがえりにおいて女性はその性のままでいるのであろうか。

 女の性そのものは自然的なもので、罪はない。来るべき世においては、女性は共に棲み、子を産む義務から解放されるであろう。女性の器官はかつての役のためにではなく、新しい栄光の役に立つものとなるであろう。もはや欲望をかき立てることもない。なぜならばそれは存在しないからである。しかして、神の知恵と慈しみが賛美されるであろう。神は無から被造物を造り出されただけではなく、その創造された被造物を罪から解放されたのである。人類の始原に当たって、神は眠っているアダムの脇(前回はここまで) 腹からあばら骨を一本抜き取ることによって女を造られたが,それによってキリストとその教会の預言が意図されていたのであった。アダムの眠りはキリストの死のしるしである。キリストの脇腹は十字架においてやりで突き刺された。そこから血と水とが流れ出たが(ヨハネ一九・三四)それは教会を建てる聖礼典であることをわたしたちは知っている。

それが実際に聖書において用いられている語である。すなわち、「形成される」、「作られる」ではなく、「立てられる」という言葉である。同じように、使徒は「キリストのからだなる教会を建てさせ……」(エフェソ四・一二)と言う。女も男と同じように神の被造物であるが、男から造られたという事実によって、一致の理念が固く建てられるのである。そして(つづく)(「神の国」出村彰訳)


牧 会 通 信

2018-01-24 18:54:15 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎、)

ダンテ(1265-1321)の「神曲 地獄」編 19歌(その4)

◯炎は油を塗られたものの表面をめらめらと這つていくだけなのがつねだが、みんなの踵から爪先までもさうだつた。

 「師よ、外の仲間たちよりも激しく苦しみのたくつて、ずつと赤い炎に舐められている、あれは誰ですか?」とわたしが言ふと、

  師は答へた、「あの下の堤を通って、わたしに下へ連れて行つてもらひたければ、あのものの口から身の上と罪が聞けるだらう。」前回はここまで)

◯わたしは言つた、「あなたのお気に召すことはわたしにも喜ばしいのです、あなたは主人で、知つてゐられる、わたしがあなたの意志から離れず、何を言はずにゐるかを。」

 やがてわたしらは第四の堤の上に着き、左手に向つて下りていつた、穴だらけの狭苦しい底に向かつて。

  親切な師はずつとわたしを腰から下ろさず、あのやうに足を苦しみのたくらせるものの穴まで運んだ。(つづく)

◯本日1月21日の礼拝主日を迎えました。日本聖書協会の「聖書愛読こよみ」の主題は「真の富」です。

その聖書本分は箴言1章7~19節、その7節、「神を畏れることは知恵の初め。」という。これはすべての知

恵の始めである。わたしたちの経済生活の始めも入ります。19節、不当な利益には厳しい裁きとなる。

 

写真の中央は,93歳の丹生昭一(元長老)さんです。昨年12月21日(木)に訪問して来ました。お元気で

何よりも感謝です。


プロテスタントとカトリック

2018-01-19 00:23:38 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(444)     5.近代から現代へ(宗教改革とその後」

初めに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その84)

  最終篇に入ります。

 第二十二編 神の国永遠の浄福

17.よみがえりにおいて女性はその性のままでいるので(前回はここまで)あろうか。

これらの言葉や、「わたしたちすべての者が、…

…全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至る」(エペソ四・三)といった語句のゆえに、あ る 者らはこう考える。すなわち、女たちは女性としてよみがえらず、すべて男となるであろう、なぜならば、神は男を土のちりから創造されたが、女は男から創造されたからである、と。しかし、わたしには両性ともそのままでよみがえると考える者たちの方が正しいように思われる。天においては、わたしたちの堕罪の原因となったあの性的欲望は存在しないであろう。堕罪の前には、アダムとエバは裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。それだから、〔よみがえりの時には〕彼らの肉体は罪から自由になるであろうが、それぞれの本性はそのままに残るであろう。

 女の性そのものは自然的なもので、罪はない。来るべき世においては、女性は共に棲み、子を産む義務から解放されるであろう。女性の器官はかつての役のためにではなく、新しい栄光の役に立つものとなるであろう。もはや欲望をかき立てることもない。なぜならばそれは存在しないからである。しかして、神の知恵と慈しみが賛美されるであろう。神は無から被造物を造り出されただけではなく、その創造された被造物を罪から解放されたのである。人類の始原に当たって、神は眠っているアダムの脇(つづく)(「神の国」出村彰訳)