「レスター・レヴェンソンのリリーシング」- I'm trying to show you the entire way.

Lester:「私は、あなたに全ての道を案内しようとしています。」 2015-10-04-09:45JST

『I AM THAT 私は在る』- ニサルガダッタ・マハラジ  nisargadatta maharaj  ( 1897/4/17 - 1981/9/8 )

2014-02-09 20:45:29 | 参考-話題 (opinion)
『I AM THAT 私は在る』- ニサルガダッタ・マハラジ  nisargadatta maharaj  ( 1897/4/17 - 1981/9/8 )

Amazon.co.jp: アイ・アム・ザット 私は在る―ニサルガダッタ・マハラジとの対話: スダカール・S. ディクシット, Sudhakar S. Dikshit, Maurice Frydman, モーリス フリードマン, 福間 巌: 本

商品の説明

内容紹介
1973年の初版以来、現代随一の聖典と絶賛され、読み継がれてきた
ニサルガダッタ・マハラジの対話録、本邦初訳!

ラマナ・マハルシの「私は誰か?」に対する究極の答えがこの本にあります。

出版社からのコメント

私は在る。
そして私が在るゆえにすべては在る。
「私は誰か?」という質問に答えはない。
いかなる体験もそれに答えることはできない。
なぜなら、真我は体験を超えているからだ。

シェリー・ニサルガダッタ・マハラジ


参考サイト:

悟り学 satorigaku / ニサルガダッタ・マハラジ

ニサルガダッタ・マハラジ  nisargadatta maharaj ( 1897/4/17 - 1981/9/8 )

 1897年4月17日、「ラーマーヤナ」の物語の中で有名な猿神ハヌマーン神に敬意を表する日に生まれたので、両親は彼をハヌマーンの別名であるマルティと名づけた。ボンベイの貧しい家庭に育った彼は、18歳になったとき町を出て、子供服や紙巻タバコ・手巻きタバコなどを扱う小規模な商店を始めるようになった。商売は軌道に乗り、やがて結婚し、4人の子供を持つようになった。そして中年期になるまでごく普通の生活を送っていたが、ある日、友人の1人がヒンドゥー教の一派であるナヴナート・サンプラダヤの霊的グル「シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ」のもとへマルティを連れて行った。グルは彼に「私は在る」という感覚に留意し、他の何にも注意を払ってはならないと指導した。彼は呼吸や瞑想、聖典の研究など特定の過程にはしたがわず、何が起ころうとも「私は在る」という感覚にとどまった。そして僅か3年で覚醒したマルティは人々から「シュリー・ニサルガダッタ・マハラジ」と呼ばれるようになる。 1981年9月8日、死去。




『アセンション館通信』第234号
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 何にもまして、私たちは意識しつづけていたい。
 あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、意識しつづけることを望むのだ。
 この体験への欲望に逆らって、顕現すべてを手放さないかぎり、解放はあり
 えない。
 私たちは罠にはまったままなのだ。         『私は在る』(p346)
                       http://tinyurl.com/s747u
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ニサルガダッタ:【 1 「私は在る」という感覚】
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 質問者 毎朝、目覚めとともに世界が突然現れるのは、日々体験することで
     す。それはいったいどこからやってくるのでしょうか?
 
 マハラジ
 何かが現れる前に、それに対する誰かがそこにいなければならない。
 すべての出現と消滅は、何か変わることのない背景に対する変化を前提とし
 ている。
 
 質問者 目覚める前、私は無意識でした。
 
 マハラジ
 どういう意味だろう?
 忘れてしまったのか、それとも体験しなかったのだろうか?
 たとえ無意識のときでも、あなたは体験しないと言えるだろうか?
 記憶の忘却、それが存在していないことの証明になるだろうか?
 あなたが存在していなかったと、実際の体験として語ることができるだろう
 か?
 マインドが存在しなかったと言うことさえできない。
 呼びかけられて、あなたは目を覚ましたのではなかったか?
 そして、目覚めて最初に起こった感覚は、「私は在る」(I AM)ではなかっ
 ただろうか?
 眠り、または気絶の間にも、意識の種子は存在していたはずだ。
 目覚めの時の体験は、「私は在る―身体―世界」とつながっていく。
 それは連続して起こるように見えるが、実際には、世界の中で身体をもつと
 いうひとつの観念として、すべて同時に起こるものだ。
 誰かとして在ることなく、「私は在る」という感覚がありうるだろうか?
 
 質問者 私はつねに記憶と習慣をもった「誰か」です。それ以外の「私は在
     る」を私は知りません。
 
 マハラジ
 何かがあなたを知ることから妨げているのだろうか?
 ほかの人が知っていることを知りたいと思ったとき、あなたはどうするだろ
 う?
 
 質問者 彼らの指導のもとにその知識の源泉を探るでしょう。
 
 マハラジ
 あなたにとって、あなたが単なる身体にすぎないのか、あるいは何かそれ以
 外のものなのかを知ることは、重要ではないだろうか?
 あるいはまったく何ものでもないかもしれないということを?
 あなたが抱えているすべての問題は、あなたの身体の問題――食事、衣服、
 家、友人、名前、名声、安全、生存だということがわからないだろうか?
 これらの問題すべては、あなたが単なる身体ではないと悟った瞬間に消え去
 るのだ。
 
 質問者 私がこの身体ではないと知ることが何の役に立つというのでしょう
     か?
 
 マハラジ
 あなたが身体ではないと言うことでさえ、まったくの真実とは言えない。
 ある意味では、あなたはあらゆる身体、ハート、マインドのすべて、またそ
 れ以上なのだ。
 「私は在る」という感覚のなかに深く入っていきなさい。
 そうすればあなたは見いだすだろう。
 忘れ去ってしまったものを見つけだすにはどうするだろう?
 思い起こすまでマインドにとどめておくのだ。
 「私は在る」という存在の感覚が最初に現れる。
 それがどこからやってくるのか、自分に尋ねなさい。
 あるいは、それをただ静かに見守りなさい。
 「私は在る」という感覚のなかにマインドが動じることなく定まったとき、
 表現不可能な、しかし体験可能なひとつの境地へとあなたは入っていく。
 何度も何度も試みることだ。
 そうすれば、「私は在る」という感覚は、つねにあなたとともにある。
 あなたが身体、感情、思考、観念、所有物などをそれに付随させてきただけ
 だ。
 こういった自己同化は、あらゆる誤解を招く。
 そのため、あなたは本当の自分ではないものを自分自身と見誤ってきたのだ。
 
 質問者 では、私とはいったい何なのでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたが何ではないか、ということを知ればそれでいい。
 あなたが何なのかを知る必要はない。
 なぜなら知識とは既知なるもの、知覚されるもの、あるいは観念としてしか
 表せないため、自己知識といったものはありえないからだ。
 それゆえ、あなたが何なのかということは、完全な否定においてしか表せな
 い。
 あなたに言えることは、「私はこれではなく、あれでもない」ということだ
 けだ。
 意図をもって「これこそが私だ」ということはできない。
 それはまったく意味をなさない。
 あれやこれ、と指し示すことができるものは、あなたではありえない。
 何かほかのものだとさえ言えない。
 あなたは知覚や想像を超えた何かだ。
 それにも関わらず、あなたなしでは想像も知覚もありえない。
 あなたはハートの感じること、マインドの考えること、身体の為すことを観
 察する。
 そのこと自体が、あなたはあなたが観察するものではないということを示唆
 しているのだ。
 あなたなしで知覚や体験が可能だろうか?
 体験とはかならず何かに帰属するものだ。
 誰かが、これは私の体験だと言明するのだ。
 体験者なくして体験はありえない。
 体験者が体験にその実在性を与えるのだ。
 あなたが体験できないもの、それに何の価値があるというのだろう?
 
 質問者 体験者としての存在の感覚、「私は在る」という感覚もまた体験で
     はないでしょうか?
 
 マハラジ
 明らかに、体験されたすべてのことは体験だ。
 そして、すべての体験のなかに体験者が現れる。
 記憶が連続するという幻想を与えるのだ。
 実際には、各体験にそれぞれの体験者がいる。
 そして、同一であるという感覚は、すべての体験者と体験との関係の根底に
 おいて共通の要因があるためだ。
 同一性と連続性は同じものではない。
 ちょうどそれぞれの花がそれ自身の色をもっていながら、そのすべての色は
 同じ光源をもとにしているように、数々の体験者も記憶においては別々であ
 りながら、本質においては同一の分割不可能な気づきのなかに現れる。
 この本質こそが根源、基盤、そして時空を超えたすべての体験の「可能性」
 なのだ。
 
 質問者 どのようにしてそれを得るのでしょう?
 
 マハラジ
 それを得る必要はない。
 なぜなら、あなたがそれなのだ。
 あなたがそれに機会を与えれば、それがあなたを得るだろう。
 非実在のものへの執着を解き放ちなさい。
 そうすれば、実在はそれ自身へと即座に速やかに入りこんでいくだろう。
 自分自身の存在をあれやこれや想像するのをやめることだ。
 そうすれば、あなたがすべてのハートであり、源泉であるという認識は明ら
 かになるだろう。
 それとともに選択でも、偏愛でも、執着でもない、すべてのものを愛すべき、
 そして愛する価値あるものへと変容させるひとつの力、大いなる愛が現れる。
 
              『I AM THAT 私は在る』(p23-25)
                       http://tinyurl.com/s747u
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『アセンション館通信』第248号
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 夢の人生において一定の成果をあげる必要はないのだ。
 あるいは、それを高尚なものにしたり、幸福で美しいものにしたりする必要
 もない。
 あなたに必要なことはただ、夢を見ているということを自覚することなのだ。
 想像することをやめなさい。
 信じるのをやめなさい。
 矛盾と不調和、虚偽と悲しみの人間の状態を見るがいい。
 そして、それらを超えていく必要性を見なさい。
                          『私は在る』(p277)
                       http://tinyurl.com/s747u
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ニサルガダッタ:【02 身体への固執】
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 質問者 マハラジ、あなたは私の前に座り、私はあなたの足もとにいます。
     私たちの根本的な違いは何なのでしょうか?
 
 マハラジ
 根本的違いなど何もない。
 
 質問者 それでも、どこか実際に違いがあるはずです。私はあなたのもとに
     来ましたが、あなたは私のもとには来ません。
 
 マハラジ
 あなたが違いを想像して、あちこちへと「優れた」人を求めてさ迷うのだ。
 
 質問者 あなたもまた優れた人です。あなたは真実を知ると言明しますが、
     私はしません。
 
 マハラジ
 知らないからといって、あなたが劣っていると言っただろうか?
 そんな差別を生みだした者たちに証明させるがいい。
 私はあなたの知らないことを知っていると言いはしない。
 事実、私の知っていることは、あなたよりはるかに少ないのだ。
 
 質問者 あなたの言葉は賢明で、立ちふるまいは高尚、恩寵(おんちょう)
     は偉大です。
 
 マハラジ
 私はそのようなことをまったく知らないし、あなたと私の間に何の違いも見
 ない。
 私の人生は、あなたの人生と同じように出来事の連続だ。
 ただ私は固執せず、過ぎ去るショーをただ過ぎ去るショーとして見ているだ
 けで、あなたは物事に固執し、それとともに動き回るのだ。
 
 質問者 何があなたをそのように冷静にさせたのでしょう?
 
 マハラジ
 何も特別なことはない。
 私のグル(師)を信頼するということが起こっただけだ。
 彼が、私は私自身以外の何ものでもないと言い、私は彼を信じた。
 彼を信頼し、そのとおりに生き、私ではないもの、私のものではないものに
 注意を払わなくなったのだ。
 
 質問者 私たちの信頼が言葉や名目ばかりなのに、なぜあなたは師を完全に
     信頼するという幸運に恵まれたのでしょう?
 
 マハラジ
 誰が答えられよう?
 ただそうなっただけだ。
 ものごとは理由も原因もなしに起こる。
 そして結局のところ、誰が誰なのかなど問題ではない。
 私に対するあなたの高い評価も、あなたの意見に過ぎない。
 あなたがいつそれを変えても不思議はない。
 なぜ人の意見を、たとえ自分の意見でさえ、そんなに重要視するのかね?
 
 質問者 それでもあなたは違います。あなたのマインドはいつも静かで幸福
     なように見えます。そしてあなたのまわりで奇跡は起こっています。
 
 マハラジ
 私はそんな奇跡など何も知らないし、自然がその法則に例外を許すとも思え
 ない。
 すべてが奇跡だとするなら別だが。
 私にとってそのようなものは何もない。
 ただその中ですべてが起こる意識が在るだけだ。
 それは皆の体験においてまったく明らかだ。
 あなたが注意深く見ていないだけだ。
 よく見てみなさい、私が見るように。
 
 質問者 あなたは何を見るのでしょうか?
 
 マハラジ
 私もまたあなたが見ているものを今ここで見ている。
 ただあなたの注意の焦点が間違っているだけだ。
 あなたは自分自身を自覚していない。
 あなたのマインドは完全に物や、人や、観念に占有され、けっして自分自身
 とともにいない。
 自己に焦点を合わせ、自らの存在に気づきなさい。
 自分がどのように行動しているのか見てみなさい。
 行動の動機と結果を見守りなさい。
 あなたが自分のまわりに、不注意によって築いてきた牢獄を見てみなさい。
 あなたが何ではないかを知ることによって、あなたは自分自身を知ることに
 なる。
 拒否と否定を通してあなたは真我へと帰り着く。
 ひとつ明らかなことは、真我とは想像されたものではない。
 それはマインドの産物ではないということだ。
 「私は在る」という感覚さえ継続しない。
 それはどこを探すかを知る有用な指針ではあるが、何を探すのかには用をな
 さない。
 ただよく見てみなさい。
 ひとたびあなたが、これが自分だと指し示すことができるものは何もなく、
 「私は在る」ということ以外に自己を語ることができないと確信すれば、
 「私は在る」という指針の役目は終わる。
 もはやあなたは、自己が何なのかを言葉の上に置き換えようなどとはしない
 だろう。
 必要なのは、自己を定義しようとする傾向を捨て去ることだけだ。
 すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。
 この身体への固執が消えれば、あなたは自然なあるがままの姿に努力するこ
 となく帰り着くだろう。
 私たちの唯一の違いは、私は私の自然な状態に気づいているが、あなたはそ
 れを見失っているということだ。
 あえてそう思わないかぎり、装飾品として加工された金が、金粉の金より価
 値があるわけではないように、私たちも異なるのは外見だけで、存在におい
 てはひとつなのだ。
 真摯(しんし)に日々それを求め、尋ね、問い、その探求に生涯を捧げるな
 らば、私たちはそれを見いだすだろう。
 
              『I AM THAT 私は在る』(p25-27)
                       http://tinyurl.com/s747u
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『アセンション館通信』第117号
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ニサルガダッタ:「私は身体だ」という観念を超えていきなさい
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 「私は身体だ」という観念を超えていきなさい
 
 質問者
 私たちはまるで動物のように、果てしなく無益な追求のために走りまわって
 いるようです。いったい出口があるのでしょうか?
 
 マハラジ
 多くの道があなたに差しだされてきた。
 それらはあなたをひと回りさせ、出発点に連れ戻すものだ。
 まずあなたの問題が、目覚めの状態にしか存在しないことを認識しなさい。
 それがいかに苦痛に満ちたものであっても、眠りについたとき、あなたはす
 べて忘れることができるということを認識しなさい。
 目覚めているとき、あなたは意識している。
 眠っているとき、あなたはただ生きているだけだ。
 意識と生命。
 その両方をあなたは神と呼ぶかもしれない。
 だがあなたはその両方を超えているのだ。
 神を超え、存在と非存在を超えている。
 あなた自身がすべてであり、すべてを超えていると知ることを妨げているの
 は、記憶に基づいたマインドなのだ。
 あなたがマインドを信頼するかぎり、それはあなたを支配しつづけるだろう。
 それと闘ってはいけない。
 ただ無視しなさい。
 注目を奪われて、それは速度を落とし、その働きの機構を露わにする。
 ひとたびその本性と目的を知れば、マインドが想像上の問題をつくり出すこ
 とをあなたは許さないだろう。
 
               『I AM THAT 私は在る』(p494)
 http://tinyurl.com/s747u
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 質問者
 すべての問題が想像上のものでないことは確かです。そこには現実の問題も
 あります。
 
 マハラジ
 マインドがつくり出さなかった問題などというものがあり得るだろうか?
 生と死は問題を作らない。
 苦痛と快楽は来ては去っていく。
 体験されたことは忘れられる。
 達成と逃避の問題をつくり出すのは、好きと嫌いに色づけされた記憶と期待
 だ。
 真理と愛が人の真の本性であり、マインドとハートはその表現の手段なのだ。
 
               『I AM THAT 私は在る』(p494)
 http://tinyurl.com/s747u
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 質問者
 どのようにして何を欲しているのか知らないマインドを制御すればよいので
 しょう?
 
 マハラジ
 それは暗闇の中で作用することはできない。
 それが正しく機能するには、気づきの純粋な光が必要なのだ。
 制御しようとする努力はすべて、マインドを記憶の命令の支配下に置くこと
 になる。
 記憶は良き召使いだが、悪い主人だ。
 それは発見を巧妙に妨害するのだ。
 実在の中に努力の場はない。
 主要な問題と、その他すべての問題の原因は、身体との自己同一化による利
 己主義にあるのだ。
 努力によって利己主義を取り除くことはできない。
 ただ、原因と結果への明晰な洞察によってのみなされるのだ。
 努力は互いに相容れない欲望の間に起こる葛藤の兆候だ。
 それらはあるがままに見なければならない。
 そのときにだけ、それらは消え去るのだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p494-495)
 http://tinyurl.com/s747u
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 質問者
 そして、何が残るのでしょうか?
 
 マハラジ
 変化することのできないもの、それが残る。
 偉大な平和、深い沈黙、秘められた実在の美が残るのだ。
 それは言葉によって伝えられない、と同時に、それはあなた自身によって体
 験されることを待っているのだ。
 
 質問者
 人は真我実現にふさわしく、適するようにならなければいけないのでしょう
 か? 私たちの本性は、その内奥に動物性を潜めているのです。それが克服
 されるまでは、実在が現れることをどうして期待できるでしょうか?
 
 マハラジ
 動物性のことは放っておきなさい。
 それをそのままにしておくがいい。
 ただあなたが何なのかを覚えておきなさい。
 観照者としてのあなたなしには神も動物もあり得ないということを、日々の
 あらゆる出来事をきっかけにして思い起こしなさい。
 あなたは存在するすべての本質と実体の両方なのだと理解しなさい。
 そしてあなたの理解の中に確固として止まりなさい。
 
 質問者
 理解で充分なのでしょうか? もっと明確な証拠が必要なのではないでしょ
 うか?
 
 マハラジ
 証拠の妥当性について決定するのはあなたの理解なのだ。
 だが、あなた自身の存在以上にどのような確実な証拠が必要だというのかね?
 あなたがどこへ行こうと、あなたはあなた自身を見いだすのだ。
 あなたがどれほど遠くに辿り着いたとしても、あなたはそこにいるのだ。
 
               『I AM THAT 私は在る』(p495)
 http://tinyurl.com/s747u
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ニサルガダッタ・マハラジ | resonanz360

アジャシャンティと二冊の本
 2013年4月5日

アジャシャンティの著書emptiness dancingをパラパラと読みなおしていたら、最後のインタビューが面白かった。彼に影響を与えた本について話だ。

注記:
アジャシャンティ - 基本データ | Facebook
米国カリフォルニア州在住の精神的指導者。曹洞禅で10数年修行後に涅槃の境地に至り、その後彼の師匠の勧めで覚醒の道を教え始める。

名前アジャシャンティは「根源的な静穏」という意味で、あるとき瞑想中に閃いたとのこと。

「私は在る」について ルパート・スパイラ
 2011年1月2日

ルパート・スパイラのQ&Aを紹介するシリーズは今年もしばらく続けようと思います。今日は、ラマナ・マハルシとニサルガダッタ・マハラジの教えを実践しようとして苦しんでいる人の質問です。(大文字で始まるPresenceとSelfは太字の実在、自己と表しています)

156) The Real And Only ‘I’ Of Presence

唯一実在する実在の「私」

注記:
ルパート・スパイラ(Rupert Spira)
Non Duality Contemplation and Teachings with Rupert Spira | Rupert Spira

ルパート・スパイラ 2 - 私的な気づきの学習帳
ルパート・スパイラは井上順に賢人風、芸術家風の味付けをしたような優しげなイギリス人で50歳。先ほど調べて初めて知ったのですが、実際に陶芸作家であり、日本でも大きな美術館で巡回展をしたことがあるようです。

Rupert Spira : ルパート・スパイラ陶芸展

 この度、海岸通ギャラリー・CASOではイギリスの陶芸家ルパート・スパイラの日本初個展を開催いたします。
 1960年イギリスに生まれた陶芸家ルパート・スパイラは、16歳のときにバーナード・リーチの弟子マイケル・カーデューの陶器に出会い、その力強さに圧倒されました。1978年から80年にかけてウェスト・サリー美術デザイン学校でヘンリー・ハモンドに学び、学位号を取得した後、1980年から82年にかけてマイケル・カーデューに師事、1983年ウェスト・サリー美術デザイン学校の最終学年で、ハンプシャー州ロワー・フロイルに窯を開きました。1988年には自身の工房を開設し、シュロップシャー州チャーチ・ファームに新しい窯を開いています。
 ルパート・スパイラは、1920年代頃に始まるイギリス現代陶芸の系譜の中で最も新しい世代に属します。常に自然の本質に目を注ぎながら、自らの制作において実験的な挑戦を繰り返して新しい展開を見せ、セインズベリー卿夫妻やデイヴィッド・アッテンボロー博士といった人々を含むイギリスのファンを魅了してきました。ルーシー・リーやハンス・コパーといったモダニストと称される世代のシンプルで有機的な形態を、伏流水のように受け継ぎつつ、現代的な洗練と優美さを纏い、思索的な深まりと品格を見せているルパート・スパイラの作品は、日本においてもきっと多くの人々の心を惹きつけることでしょう。
 この機会に、是非ご高覧くださいますようお願い申し上げます。


 なお、2003年12月10日、11日の午後2時から、作家ルパート・スパイラ本人が会場で皆様のお越しをお待ちしております。

ニサルガダッタと方便
 2010年10月7日

今読んでいるSailor Bob AdamsonのLiving Realityという本の中に興味深いエピソードが書かれていました。



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感情のチャートと悟りの階梯


勇気

◆勇気
 勇気を感じているとき、私たちは、躊躇なく行動する意欲を持っています。
 思い通りに行動し、また行動を正すことができます。どんなことも、必要なときにいつでも変えることができます。自分を制限していたものを手放し、前に進む意欲があります。
頭の中は誇りの状態よりはるかに整理され、雑音もすっと少なくなっています。心は柔軟性があり、はつらつとして、外に向いています。
 頭の中にあるイメージや思考は、自分にできることと学べること、そして同様に他人を支援するにはどうするかに関するものです。
 自分を動機付け、確信を持つことができ、なおかつ他人にも成功してほしいと思っています。自分の失敗でさえ大声で笑いとばすことができます。人生を楽しんでいます。
 開放の質問に「はい」と答えるたびに、私たちは勇気のエネルギーの栓をひねっています。勇気は人の自然な状態なので、他の感情のどれかが心に広がることによって今どんなに覆われているように見えても、必ず到達することができます。

「この感情をできるだけ認めることはできますか?」
「それを手放せますか?」
「手放しますか?」
「いつ?」

 いい感情を手放すのに困難を感じているなら、いい感情は開放するごとによりよくなるということを覚えておきましょう。
 私たちの心は、制限された感情によって覆い隠されてはいますが、ポジティブな感情を無限に持っています。
 だからこそネガティブな感情は開放すると弱くなるのに対し、ポジティブな感情は強くなるのです。
 また、いい感情を開放することは、これまで持っていた、抑圧としがみつきの傾向をも弱くしていることになります。

預流向(よるこう)
預流果(よるか)
一来向(いちらいこう)
一来果(いちらいか)



受容

◆受容
 受容を感じているとき、私たちはすべてをあるがままに手にし、楽しみます。何も変える必要を感じません。
 ただそこにあってそれでオーケー、そのままで美しいと感じます。
頭の中は勇気の状態よりさらに整理され、たいてい静かで、満足しています。
 イメージや思考は存在のすばらしさでいっぱいです。人生は喜びです。

「この感情をできるだけ認めることはできますか?」
「それを手放せますか?」
「手放しますか?」
「いつ?」

 いい感情を手放すことにベストを尽くすことを忘れないでください。

不還向(ふげんこう)
不還果(ふげんか)



平安

◆平安
 平安を感じているとき、私たちは「私はここにいる。完全で、完成していて、すべてである。あらゆる人も物も自分の一部だ。すべては完璧だ」と感じます。
頭の中は澄んでいて空っぽですが、完全に覚醒しています。
 イメージや思考は不要です。人生はあるがままで、すべてがうまくいっています。

「この感情をできるだけ認めることはできますか?」
「それを手放せますか?」
「手放しますか?」
「いつ?」


 開放の手順を日々の生活にできるだけフルに取り入れてください。一日中セドナメソッドを使うことは、言わば肝心かなめです。

阿羅漢向(あらかんこう)
阿羅漢果(あらかんか)

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参考サイト:
悟り学 satorigaku / 悟りの階梯

仏陀(釈尊)は 『悟りの階梯(ステップ)』 を四向四果(しこうしか)という八つのステップで説明しています

悟りの階梯

日本テーラワーダ仏教協会が発行する『パティパダー』に特別連載、パーリ経典を読んで初めて分かった「仏教のゴール」に到るプロセス

Hootless? について - 04 - 無念無想について
 (2013-12-06 19:28:37 | 話題 (opinion))




「勇気」の状態になる方法 

「般若心経」を毎日唱えるか聞く。
「見る力」の実験を毎日する。
「レスターのリリーシング」を毎日する。
「私は誰か」を毎日する。
「私は在る」を毎日する。
「瞑想」を毎日する。

「受容」の状態になる方法 

「見る力」の実験を毎日する。
「レスターのリリーシング」を毎日する。
「私は誰か」を毎日する。
「私は在る」を毎日する。

「平安」の状態になる方法 

「レスターのリリーシング」を毎日する。
「私は誰か」を毎日する。
「私は在る」を毎日する。
「見る力」の実験を毎日する。



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