「レスター・レヴェンソンのリリーシング」- I'm trying to show you the entire way.

Lester:「私は、あなたに全ての道を案内しようとしています。」 2015-10-04-09:45JST

在るとは?- 実践2

2018-09-29 01:43:30 | To gain it (得る、もたらす)
在るとは?- 実践2

 「在るとは?」を体験した人から学びます。

以前の内容:
8 - ジニャーニ (真我を実現した存在) の考察
(2018-09-10 23:27:54 | To gain it (得る、もたらす))

注記:ブッダの教えである悟りの境地
 「十牛図」に当てはめると、

◎不還 (フゲン) は、欲界 (注:人間界) には再び還らず、色界 (注:神界) に上って悟りに至る。
 (注:不還果で、「自由と平和を得ている存在」です。)
 (追記:不還果で、レスターの言う、「自由と平和を得ている存在」です。不還果は、死後に、肉体を持った人としては誕生しません。人としては、輪廻転生しません。)

注記:説明です。
 「一来果 (いちらいか)」との決定的な違いは、「物質や肉体に対する欲からの離脱」です。「一来果」で、弱まっていた六道界 (欲界) への執着・煩悩が、「不還果 (ふげんか)」で完全に消えます。

 この知覚している、宇宙 (世界) が、実在ではないと自覚 (体験) をします。それにより、「物質や肉体は、夢であると知り、無欲になります」(無常を知ります)。(注:実在以外は、全て消えて無くなるという自覚ができる。)

 「黙想 (禅定)」という体験で、「視覚・聴覚など五感で知覚した認識」や「六番目の感覚 (想念・観念 / 心で考える想像・妄想) で知覚した認識」を超える世界 (心 / マインドを超えた領域) を知り、記憶に基づく欲 (反応) が、全てなくなってしまう。

 「存在 (ただ在るもの)」に対する執着 (梵天界「色界 / 無色界」への執着) は残ります。宇宙 (世界 / 俗世間) に対する欲や怒りはなくなり、宇宙 / 世界 (この世 / あの世) への執着が全くなくなります。
 (注:ぼんてん【梵天】とは。(梵) Brahmanの訳。「ぼんでん」ともいう。古代インドで世界の創造主、宇宙の根源とされたブラフマンを神格化したもの。)

◎阿羅漢 (応供:アラカン・オウグ) は、今生の終りに、悟り涅槃に至り、再び三界には生れないとされる。
 (注:阿羅漢果で、ジニャーニ「真我を実現した存在」です。)
 (追記:阿羅漢果で、レスターの言う、「頭の中のヤジのない存在」です。阿羅漢果は、「沈黙」の体験の中へ、入った存在です。死後に、肉体を持った人としては誕生しません。人としても神としても、輪廻転生しません。)

注記:説明です。
 hootlessness(フットレスネス)・頭の中のヤジがない状態
 hootlessness は、レスター・レヴェンソンの造語です。
 フットレスネスの意識状態になるにつれて、
「勇気」から、「受容」、そして、「平安」へと
心と頭 (感情と思考) が静寂になります。

参考サイト:
実践の方法 - トータルフリーダム - 01 - ニサルガダッタ・マハラジ
(2016-11-08 09:27:46 | 実践- (Practice))

 ある時グルを尋ねた彼は
「あなたは、意識だ。これだけは
しっかり覚えておきなさい。」
と言われました。
 「何をするときも
自分が意識だということを感じること
これを忘れないようにしなさい。」

と言われたのでした。

マハラジが、質問に答えています。

 マハラジは、1981年9月8日に
身体を離れました。
 彼は、私たち一人一人の中に
意識として存在したままです。

 「私とは誰か?」(Who am I ?)
これ以外の質問は全て捨てなさい。



ラマナ・マハルシ (Ramana Maharshi) の言葉です。

 「私は罪人だ」という想念を完全に棄て去り、真我への瞑想に強烈に集中するべきである。そうすれば、確実にうまくいくだろう。

 真実、存在するのは真我だけである。世界、個我、神は真珠貝のなかの銀色の輝きのように、真我の内に現れるものである。これら三つは同時に現れ、同時に消え去る。

 「私」という想念が絶対にないところ、それが真我である。それは沈黙と呼ばれる。真我そのものが世界であり、真我そのものが「私」であり、真我そのものが神である。すべてはシヴァ、真我である。

前の内容:
在るとは?- 実践1
(2018-09-26 13:11:22 | To gain it (得る、もたらす))

モウニババ (Maunibaba) の言葉です。

「沈黙を通して、人間と神秘なる神との最初の出会いが成し遂げられます。 沈黙という甘露を味わってください。」

「真理の求道者は、沈黙において、完全なる存在に導かれ、謙虚にヨーギの道を歩む」
「人が、永遠を悟った時、カルマは解消され、目的地に至る」
「目的地に到達した時、今という意識のみが残る」
 「今に生きるとき、もはや目的地は存在しない」。
 『沈黙』モウニババ "Silence" Maunibaba より



ラマナ・マハルシの体験

 ラマナ・マハルシ (1879~1950) は、南インドの中流のバラモンの家庭に生まれました。マハルシは「偉大な聖者」という意味で、その名の通り、すでにインド の古典的な賢者の一人、最もインド的なグルとみなされています。


 ラマナ・マハルシ (1879~1950) の言葉です。

 『私』とはきわめて実在的な何ものかであり、私の現在の状態で唯一実在してい るものであり、私の身体にまつわるすべての意識的な働きは、その『私』に集中さ れた。

 その瞬間から『私』あるいは真我は、それ自身に注意を集中し、引きつけら れていった。

 死の恐怖はこれを最後に消え去った。しかし、私はそれからもずっと絶え間なく 真我に没頭し続けた。他のさまざまな考えは音楽を構成するさまざまな音のように 浮かんでは消えていったが、「私」はあらゆる音の底に横たわりそれと調和する基底聖音のように力強く続いた。

 会話や学習や他の諸活動をしようとも、私はいつ も『私』に注意を集中させた。


 その転機 (死の体験) より以前は、私には真我につ いてのはっきりとした知覚がなかったし、それに興味を持ったこともなかった。ま してやその中に生涯にわたって留まっていようとは思ってもみなかった。


『私は誰か?』の教えの要諦

 『真我探求』(ヴィチャーラサングラハム)とともに、『私は誰か?』は師自身の言葉による教えの最初期の記録である。バガヴァーンの著作の中でも散文体で書かれているのはこの二作品だけで、どちらも真我探求が解脱の道への王道であることを明記している。

 特に『私は誰か?』では、特定の様式を用いた探求に関する分かりやすい説明が見られる。

 心は想念から成り立つ。心の中に最初に現れるのは「私」という想念である。

 「私は誰か?」という探求を忍耐強く繰り返したとき、その他すべての想念は破壊される。そして最終的には「私」という想念自体も消え去り、至高なる非二元性の真我だけが後に残る。

 そのとき、真我ではない身体や心という現象と真我との偽りの自己同一化は終焉し、直接体験としての啓示が起こるのである。

 むろん探求の過程は容易なものではない。
 「私は誰か?」と探求を始めるやいなや他の想念が起こるからだ。だがその想念の後を追うのではなく、「この想念は誰に起こったのか?」と尋ねるべきである。

 これをするには、極端なまでの注意深さが必要となる。心がさ迷い出し、それ自体が創り出した想念の迷宮に迷い込むのを許さず、たゆまぬ探求を通して心を源にとどめなければならない。

 呼吸制御や神の姿への黙想といったものは、補助的な修練と見なされるべきだ。そのような修練は、心を静まらせ一点に集中させるという限りにおいて有益である。なぜなら精神集中に熟練した心にとって、真我探求は容易になるからだ。

 絶え間ない探求を通して想念が破壊されたとき、
「私」という想念さえ存在しない「沈黙」の体験の中で、
究極の実在である真我は実現されるのだ。


 これがバガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシの『私は誰か?』の教えの要諦である。

T.M.P. マハーデーヴァン
マドラス大学
1982 年 6 月 30 日


ラマナ・マハルシ公式HP
Sri Ramana Maharshi
https://www.sriramanamaharshi.org/?lang=ja

以下は、英語です。
Tamil, Telugu and English Publications – Sri Ramana Maharshi
https://www.sriramanamaharshi.org/resource_centre/publications/
ここでは、マハルシの複数の英語のPDF を、無料でダウンロードできます。
Books (click to download)
 Who Am I? – ALL Languages
 Words of Grace
 Talks with Sri R. Maharshi
 Maharshi and His Message
 Letters to Sri Ramanasramam
 Gems from Bhagavan
 Five Hymns Sri Arunachala
 Face to Face with Sri RM
 Ramana Varnam (Sadhu Om Book)
 Selected quotes from Face to Face
 The Hill of Fire

『私は誰か?』という小冊子はここからダウンロードできます。
Who Am I? – ALL Languages
https://www.sriramanamaharshi.org/resource_centre/publications/who-am-i-books/
JAPANESE (日本語版)
http://www.sriramanamaharshi.org/downloadbooks/whoami_all_languages/Who-Am-I-Japanese.pdf



参考サイト:
Who am I? ラマナ・マハルシ「私は誰か?」【全28通読】 Sri Ramana Maharshi - YouTube

https://youtu.be/QGAHenB-NnI


artmnet0
(https://www.youtube.com/channel/UCWcmOzVGya4x1jTd3rGrIAg)
Published on Sep 26, 2014 (33:30)
内容:表題通り、朗読動画
「はじめに」より(抜粋要訳artmnet0)
 シュリー・M・シヴァプラカーシャム・ピライが、ヴィルパークシャ洞窟にいたラマナ・マハルシに尋ねたもの。当時ラマナは砂の上に指で書いて答えた。全部で13の問答はタミル語版で出版されたが、後にラマナ自身が、質問と答えの文章を練り直し、散文体に書き直され、28の問答集として知られる。

以下から本文・小冊子ダウンロード可能(ラマナ・マハルシ公式HP)
http://www.sriramanamaharshi.org/ja/%...
 (https://www.sriramanamaharshi.org/?lang=ja)

私は誰か? ラマナ・マハルシの教え (日本語訳)
Who-Am-I-Japanese.pdf
http://www.sriramanamaharshi.org/downloadbooks/whoami_all_languages/Who-Am-I-Japanese.pdf


続きます。
在るとは?- 実践3
(2018-10-05 11:02:35 | To gain it (得る、もたらす))


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