「レスター・レヴェンソンのリリーシング」- I'm trying to show you the entire way.

Lester:「私は、あなたに全ての道を案内しようとしています。」 2015-10-04-09:45JST

気づきの考察 - 1

2018-11-19 09:29:27 | To gain it (得る、もたらす)
気づきの考察 - 1

 「私は、今のままで完全です」。そのことに、気づきます。
 実在とは、変化しないもの。不動のものです。

 変化するものは、非実在です。
 内面 (心・マインド) を観察をして、識別を高めていきます。

注記:
 人 (個人・個我) は、目に見える現実を信じてしまいます。そして、確信を持ってしまいます。

 ホ・オポノポノでは、見に見える問題 (起きている問題) は、すべて自分の記憶にある。と考えます。

 そのため、その出来事と遭遇したら、すぐに記憶をクリーニング (注:掃除する。手放す) します。

 「I am sory. I love you. (クリーニングする言葉)」を、何度も唱えます。
 (注記:言語は、どの言語でもかまいません。抵抗なく言える言葉を使います。頭の中や心の中で、声に出さないで唱えます。)

 問題によりますが、結果はすぐにでます。この小さな体験を繰り返すと、確信になり、様々な問題に使えるようになります。

 「I am sory. I love you. (クリーニングする言葉)」を唱えると、フォーカスしている視点が、目に見えている現実から、自分の内面 (心・マインド) に移動します。そして、マインドを観察するように、変わります。

 レスター・レヴェンソンは、「愛」が全てを解決する。と言っています。

 「 I love you.」は、内面にある分離や対立の全てを溶かします。
 真我の愛 (神の愛) が、全てを溶かします。

 無・虚空・気づきは、唯一の実在です。愛は一つです。一つの生命です。分離や対立はありません。意識の大海があります。



 ジニャーニは、夢から覚めた存在です。
 ジニャーニは、観照者 (見守る人) が消えて、光そのもの (光の源) に帰る。

参考:42. Reality can not be Expressed より抜粋

I_Am_That-42
Talks with Sri Nisargadatta Maharaj

42. Reality can not be Expressed
42.現実 (実在) を表現することはできない

True waking and true sleeping only the jnani knows.
本当の目覚めと真の眠りは、ジニャーニだけが知っている。

We dream that we are awake, we dream that we are asleep. The three states are only varieties of the dream state. Treating everything as a dream liberates. As long as you give reality to dreams,you are their slave. By imagining that you are born as so-and-so, you become a slave to the so-and- so. The essence of slavery is to imagine yourself to be a process, to have past and future, to have history. In fact, we have no history, we are not a process, we do not develop, nor decay; also see all as a dream and stay out of it.


     我々は、目が覚めているという夢を見ている。私たちは眠っているという夢を見ている。 3つの状態は、異なった夢の状態の種類だけです。 すべてを夢として扱うことは、あなたを解放します。 あなたが夢に現実を与える限り、あなたはそれらの奴隷です。

     (注記:3つの状態)
     起きているときには、「目が覚めている」という夢を見ている。
     寝て夢を見ているときには、「夢を見ている」という夢を見ている。
     寝ているときには、「眠っている」という夢を見ている。

     あなたが、特定のものに生まれたことを想像することによって、あなたは、特定のものとしてあることの奴隷になります。 奴隷状態の本質は、自分自身が過程 (プロセス) であり、過去と未来を持ち、物語 (歴史) を持つことを想像することです。 実際には、私たちは物語 (歴史) がなく、私たちは過程 (プロセス) ではなく、私たちは発展もせず、腐敗もしません。 すべてを夢 (注:記憶) として見て、それから離れてください。



悟りの段階 (階梯)

◎ 預流 – 聖者の流れに入ることで、最大7回欲界の人と天の間を生れかわれば悟りを開く位。須陀洹(シュダオン)を指す。

◎ 一来 – 一回人と天の間を往来して悟りに至る位。斯陀含(シダゴン)を指す。

◎ 不還 – 欲界には再び還らず色界に上って悟りに至る位。阿那含(アナゴン)を指す。

◎ 阿羅漢 (応供) – 供養を受けるにふさわしい者で、今生の終りに悟り涅槃に至り再び三界には生れないとされる位。

注記:

不還向 (ふげんこう)
 観照者 (見守る人) が、現れた状態。

不還果 (ふげんか)
 観照者 (見守る人) そのものになった状態。
 (注記:人格は消え、観照者だけが残る。)

阿羅漢向 (あらかんこう)
 観照者 (見守る人) を超えた状態。
 
阿羅漢果 (あらかんか)
 観照者 (見守る人) が消えて、光そのもの (光の源) に帰る。



過去の内容:
「私は在る」を体験するには?

10 -「私は在る」を体験するには?
(2018-08-15 06:34:49 | To gain it (得る、もたらす))

 「十牛図」に当てはめると、
阿羅漢 (応供:アラカン・オウグ) は、今生の終りに、悟り涅槃に至り、再び三界には生れないとされる。
 8. 「人牛倶忘」 - すべてが忘れさられ、無に帰一すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。
 9. 返本還源 - 原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りとはこのような自然の中にあることを表す。
 10. 入鄽垂手 - まちへ ...悟りを得た修行者 (童子から布袋和尚の姿になっている) が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。
になります。

不還 (フゲン) は、欲界 (注:人間界) には再び還らず、色界 (注:神界) に上って悟りに至る。
 6. 騎牛帰家 - 牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿。
 7. 忘牛存人 - 家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。

一来 (イチライ) は、一回、人と天の間を往来して (注:1回、人間界に生まれる) 悟りに至る。
 4. 得牛 - 力づくで牛をつかまえること。何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。
 5. 牧牛 - 牛をてなづけること。悟りを自分のものにするための修行を表す。

預流 (ヨル) は、聖者の流れに入ることで、最大7回、欲界の人と天の間を生れかわれば (注:多くて7回、人間界に生まれる) 悟りを開く。
 1. 尋牛 - 牛を捜そうと志すこと。悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。
 2. 見跡 - 牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。
 3. 見牛 - 牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。



続きます。
気づきの考察 - 2
(2018-11-27 18:49:57 | To gain it (得る、もたらす))


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