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五日市剛さん - 対談 - 講演内容 - 参考サイト-05-1 五日市剛氏講演筆録 H12年12月4日
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参考サイト
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五日市剛氏講演筆録 H12年12月4日 その四の1(その三の続きです。)
「不良少女の家庭教師」その1
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五日市剛氏講演筆録 H12年12月4日
目次
1. はじめに
2. イスラエルのおばあさんとの出会い
3. おばあさんの贈り物
4. 一つ目の箱
5. 二つ目の箱
6. 運命・感謝・ありがとう
7. 交通事故
8. 不良少女の家庭教師
9. 松下幸之助
10. 僕と部下の運
11. おわりに
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『珠玉のことばたち』
ツキを呼ぶ魔法の言葉
五日市剛氏講演筆録
(H12年12月4日金沢にて)
はじめに
昨年、あるプロのコンサルタントの講演を聴く機会がありました。
続きは、以下をご覧ください。
五日市剛さん - 対談 - 講演内容 - 参考サイト-02 五日市剛氏講演筆録 H12年12月4日
<wbr></wbr> 五日市剛氏講演筆録 H12年12月4日 その一
<wbr></wbr> 「はじめに」
<wbr></wbr> 「イスラエルのおばあさんとの出会い」 <wbr></wbr>
イスラエルのおばあさんとの出会い
僕は28歳まで学生生活を送っておりましたが、25歳くらいの時、ちょっとしたことがきっかけで中東問題に興味を持ちました。
----- 以下省略 -----
おばあさんの贈り物
次の日の朝、起きましたら、おばあさんはすでに起きていまして、
「おばあさん、おはようございます!」
「おはよう。さあ、こちらで一緒に朝食をとりましょう」
ということで、パンとスープをごちそうになりました。
続きは、以下をご覧ください。
五日市剛さん - 対談 - 講演内容 - 参考サイト-03 五日市剛氏講演筆録 H12年12月4日
<wbr></wbr> 五日市剛氏講演筆録 H12年12月4日 その二(続きです。)
<wbr></wbr> 「おばあさんの贈り物 」
<wbr></wbr> 「一つ目の箱 」
<wbr></wbr> 「二つ目の箱」
一つ目の箱
長いイスラエル旅行から戻り、自分のアパートに着いてかばんを開けますと、箱が二つ出てきました。
----- 以下省略 -----
二つ目の箱
僕の28歳の誕生日が来ました。
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運命・感謝・ありがとう
不思議な話ですよね。妻にこの話をしましたら「え一、そんなことがあったの一」と言って泣き出しましてね。
続きは、以下をご覧ください。
五日市剛さん - 対談 - 講演内容 - 参考サイト-04 五日市剛氏講演筆録 H12年12月4日
<wbr></wbr> 五日市剛氏講演筆録 H12年12月4日 その三(続きです。)
<wbr></wbr> 「運命・感謝・ありがとう 」
<wbr></wbr> 「交通事故 」
交通事故
実はね、おばあさんに出会ってから今に至るまで、2回交通事故を起こしているんですよ。
----- 以下省略 -----
不良少女の家庭教師
僕は宮城県内の中学校を出たあと、同じ県内にある国立の高専(工業高等専門学校)に入学しました。最初から、ひとりでアパート住まいをしまして、けっこう 自由で楽しかったんですが、洗濯や食事の用意は面倒でしたね。洗濯が面倒なもんですから、下着や靴下以外は近くのクリーニング屋さんに全部持っていきまし てね。だからほとんど毎日通っていました。そこのクリーニング屋のおばさん、良い人でね。僕が行くといつも、
「五日市君、いつも来てくれてありがとう。おにぎり1個余っているんだけど食べない? このみかん、ちょっと腐りかけているけど、どう?」
とかね。温かいおばさんでね。
僕が高専2年のある日、そのおばさんが真剣な顔して、
「五日市君、お願いがあるの。家庭教師やってくれない?」
「そんな、僕、人の勉強なんてみたことないし、自分の勉強だけで精一杯だよ」
「中3になったばかりの女の子なんだけどね」
とおばさんが言ったもんですから、ビビッときまして、
「はい、やりま~す!」
という具合で、決まり。そりゃ~それまで女の子には縁がありませんでしたから、ワクワクドキドキ。断るわけないですよね。それでまず、その子のお母さんと喫茶店で会うことにしました。
話をいろいろ伺って分かったのですが、実はその子というのは、筋金入りの不良少女なんですね。それまで埼玉県のある市に住んでいて、中学2年の終わりまで に、煙草、シンナー、窃盗、恐喝などなど、落ちるところまで落ちていって。今でこそ茶髪は当たり前な風潮ですけど、当時、彼女ははるかにその上をいく真っ 赤なペアーで超クルクルパーマだったんですね。中学1,2年なのに。ほとんど学校に行ってなくて、暴走族の連中と遊びまわり、売春で補導されたこともあっ たそうです。それらが原因で少年院を往復した子なんですね。大きな問題が起こるたびに中学校を転々として、もうこれ以上行くところがな~い、という特殊な 事情で宮城県にお母さんと一緒にやって来たのです。お母さんは、クリーニング屋のおばさんと昔からの知り合いだったらしく、そのおばさんを頼って、わらに もすがる思いで宮城県に来たようなんですね。二人は小さい借家を借りて二もう一度ゼロからの出発。お父さんはもちろん仕事があるから、埼玉の家に残って単 身赴任みたいな形になっちゃったんですね。僕はそのおかあさんに言われました。
「うちの娘は高校に入れないのは分かっています。一人っ子ですし、良い友達もまだいませんので、どうか話し相手になってくれませんか」
何が何でも成績を上げて高校に入れてほしいと言われるんじゃないかなと思っていただけに、気が少し楽になりましたね。
その子ね。会ってみると、とっても良い子なんですよ。僕には妹がいないせいか、本当の妹のような感じでね。歳は二つ違い。僕は高専の2年生、彼女は中学3 年生。僕にとっては本当に良い子なんですよ~。僕の言うことは大抵きいてくれました。例えば、彼女、ラジオの深夜放送をよく聴いていたんですけど、
「深夜放送はあまり良くないぞ。受験生だからなあ、夜遅くまでラジオを聴くのはできるだけやめよう。ね」
と言うと、
「そうだね」
と言ってすぐにやめるしね。漫画本もよく読んでいましたが、
「あのさ、漫画本を読んでもかまわないけど、少しずつ減らしていこうか。宿題とか、いろいろやることあるもんな」
と言うと、
「は~い」
と言ってそのうち全く読まなくなったんですね。そう言った僕は思いっきり読んでいましたけど。ヘへ。僕にはとっても素直で良い子なんですね。
でも、なかなか直らないクセのようなものがあったんですね。何かというと、万引きなんですよ。ある日、僕が彼女の部屋に入ると、彼女は机の上にかばんを置いて、中から化粧品をパカパカ取り出しましてね。
「これね、今日の収穫よ」
「おまえ、またやったのか!」
「はいつ、これ、牛革の財布。先生へのプレゼント」
「困った奴だな~。今度やったら、承知しないぞ」
と言いながら、財布をチャッカリ項いちゃいました。前から欲しかったんだ、ラッキー! いやはや僕も同罪ですね。万引きはその後徐々にやらなくなりました。
彼女は勉強するにも予備知識がほとんど何もないので、宿題を出しても全くできないんですよ。宮城に来る前は、あまり学校へ行っていなかったから、... しょうがないですよね。僕と一緒のときしか勉強が進まない状況でした。例えば、数学の勉強のときにね。「2-1」は分かるんです。だけど、これが 「-1+2」になると分からない。答えは同じでしょう。これを分からせるのに時間がかかりましたね。それから、理科の天体。彼女は自信を持って、
「太陽はね、北から昇って南に沈むの」
と言うのですが、
「それはちょっと違うんじゃないかな?」
と僕が言うと、
「あっ、そうそう、天才バカボンの歌であったわね。“♪西から昇ったお日様が、東に沈~む♪"」
という具合です。別に彼女はふざけているわけではなくて、本当に知らないのです。その時点での知識レベルは、恐らく小学生の低学年くらいかもしれません。だけど、唯一救われたのは、彼女と僕はウマが合っていた、ということです。
夏休みが来ました。夏休みというのは、受験生にとっては一つの分岐点なんですね。良い方向にも悪い方向にも行く大事な時ですよね。彼女は、どんな友人にも 結構気持ちを左右されやすい性格なのです。幸いにも、彼女が転校した学校の環境はとても良くて、あまり道を外れた生徒はいなかったんですね。彼女は転校と 同時に髪を(赤パーマから)自然な黒のストレートに戻していましたから、外観上も普通の女の子と変わりなく、特に目立つことはありませんでした。成績がビ リという点では目立っていたかもしれませんね。とにかく、夏休みということで、何かと心配だったものですから、彼女の家にはできるだけ頻繁に通いました。 それだけ“彼女をもっと一良い方向に何とかしたい"という気持ちが強かったわけです。いつもは、夕方におじゃまし、まず夕食をご馳走になって、その後彼女 の勉強をみて、だいたい夜10時頃に帰るというパターンでした。
夏休みのある日、こんなことがありました。勉強をみていて、ハッとして時計を見たら夜中の2時を回っていたんですよ。
「うわ~、お母さん、ごめんなさい、こんなに遅くなっちゃって。じゃあ僕、帰ります!」
と言うと、お母さんが、
「先生も夏休みでしょう。今晩泊まっていったらどうです?」
と言うので、
「ん~、そうですね。じゃあ、今日は泊めてもらいますか」
ということで、泊めていただくことになりました。お風呂をいただきまして、さて寝ようかなぁ
と思いましたら、お母さんが気を利かせて、彼女のベッドの隣に布団を敷いてくれてたんですね。さすがにドキッ!としました。彼女と僕はそれぞれベッドと布 団の中に入って、電気を消したんですが、 ...お互いなかなか眠れません。勉強を教える時はいつも二人きりではありますが、こんな変な緊張をしたことな んてなかったですね。しばらく、ちょっとドキドキしていました。そうすると、彼女も眠れないので僕にいろんなことを言ってくるんですね。
「あのね、中1のときにね、こんな事があったんだ」
「...少年院という所はね、こういう所なんだよ。」
「中2のときに、学校の女子トイレでこういうリンチを受けたんだ。悔しかった...誰も助けてくれなかった」
「宮城に来る前はね、こんな男性と付き合ってたの」
さらに先に進むと、
「こういう人と寝たの...」
何もかもびっくりする話ばかり。僕の体は石みたいになって、彼女に対して相づちしか打てませんでした。皆さん、“はひふへほの相づち"って知っていますか?「は~、ひぇ~、ふ~、へ~、ほ~」それしか言えなかったんですね。中でも一番驚いた話は、
「市の教育長とも寝たの」
ということなんですよ。
「そ、そんなこと、あるわけないだろう!何かの間違いだろう」
と言いましたら、
「いつもは、暴走族の仲間にお客を紹介されて、モーテルに行くのね。ある日、お金を支払わずに逃げたお客がいてね、とっても悔しい思いをしたの;それで ね、その次のお客の時なんだけどね。...お客がお風呂に入っている間に背広のポケットから財布を取って、逃げられてもいいようにと1万円引き抜いたん だ。その時、財布の中に同じ名刺がたくさんあったの。あ~、この人の名刺なんだな~と思って、何気なく1枚取ってね。次の日、自宅に帰った後にしげしげ見 てみたら、そういう肩書きがあったのよ」
彼女は淡々とこのようなことを僕に打ち明けてくれましたが、誰にでも言えるようなことではありません。僕は、彼女の話を聞いて“この世の中、いったいどうなっているんだ"と真剣に悩みましたね。
考えてみると、僕たちだって人に話せないことを自分の心の中に閉じ込めてしまうことってありますよね。それがどんどん蓄積されて限界に近づくと、悶々とし て頭がおかしくなってくる。そんなとき、信頼できる人に話すことによって“救われる"ことがあるじゃないですか。ご主人に言って、あるいは兄弟に言って、 「あ~そう。分かるよ、お前の気持ち」と言われただけで、救われるもんですよね。 ...彼女にはね、そんな話を聞いてくれる相手がず~っといなかったん じゃないかな。親にはこんな話言えないでしょう。兄弟はいないし、友達だって、ろくな友達はいなかった。学校の先生にだって言えない。だから、僕しかいな かったのでしょうね。僕にいろいろ言ってスカッとしたと思いますよ。結局、朝まで話していました。彼女は、それからというもの、すご~く生き生きしちゃっ てね。まるで生まれ変わったみたいでした。
9月に入って二学期が始まると、すぐに実力試験がありました。その結果が数日後に出て、彼女は5教科500点満点中で100点ちょっと。だから、1教科平 均が20点くらい。周りと比較すれば、相変わらずビリですよ。ビリだけども、それまで500点満点中、10点か20点くらいしか取れなかった彼女が、自分 の力で、100点ちょっと取れたわけですよ。
「お前、やればできるじゃないか!」
「うんっ!」
と彼女はと~っても大喜び。そりゃ~確かにそれでも彼女はビリです。でも、人との比較なんてどうだっていいじゃないですか。“本人がどれだけ成長したか" が何より大事ですよね。そうでしょ。それが一番大事!それから彼女はますます変わりましたね。もう~勉強が楽しくなっちゃって。夏休みまでは、僕と一緒の ときしか勉強できなかったのに、自分一人でがむしゃらにやるようになりました。
「英語の単語、頑張って覚えるぞ一!」
と言って、新聞の広告紙の裏に一所懸命単語を書いて、家の壁のあちこちに貼りまくりましてね。トイレにまで貼って、
「おしっこ1回する間に単語一つ覚えるぞ一!」
と意気込みがスゴイ1本当にすごいんですよ。日曜日なんて、御飯を食べている時間以外はほとんど勉強するようになりました。まいりましたね。人間、ここまで変わるものなんでしょうか。恐らく、彼女の成績は、11月から12月にかけて一番伸びたのではと思います。
冬休みが来ました。僕は毎日彼女の家に行きましたね。これが本当の二人三脚っていうのかな、なんて思いたくなるくらい、息が合っていましたね。そして、冬 休みが明け、中学生活最後の実力試験があったんですね。それは、宮城県内の中学3年生が全員受ける民間業者の模擬試験なんです。何万人と受けて、自分のそ の時点での実力を確認する試験なのです。その試験結果が2週間後に出ました。ねえ皆さん、その試験で彼女は何点取ったと思いますか?...僕はいまだに覚 えているんですけど、(500点満点中)468点取ったんです。信じられます? 当時、業者の試験は本当に難しかったんですよ。400点取るだけでも至難 の業。それを468点も。彼女の学校はマンモス校なんですが、男女合わせてナント2番。県内でも女子の部門でベスト50の中に入りました。ウソみたいで しょう。でも本当なんです。こりゃ~彼女、ムチャクチャ書ぶだろうなと思うじゃないですか。ところが、彼女はしくしく泣いていましてね。
「誰も信じてくれないの」
それもそのはずでして、困ったことにその業者の試験というのは土日にあって、つまり、土曜日に受けた学校と日曜日に受けた学校があったわけです。彼女の学校は日曜日だったものですから、
「お前、土曜日受けた学校の連中に聞いたんだろう」
と何人かのクラスメートに言われだそうですね。おまけに、学校の教頭先生も家に電話をかけてきまして、
「お母さん、いったいこれはどういうことですか。こんなこと、あるわけないでしょう」
と最初から疑って、お叱りの電話です。そんなアホな。それでも教育者か。なんで彼女を信用しないんだ。彼女はね、自分の力でその点数を取ったんです。最近の彼女を見ていれば分かるでしょう。どうしてそんなことが分からないのかなあ...と思いましてね。
「もう泣くなよ。こうなったら難関の学校に合格しちゃってさ。みんなを見返してやろうぜ!」
と彼女に言ったんです。
当時の宮城県の中学生は、できれば公立高校に入りたいと思っていたんですね。授業料も安いしね。入試のシステムとしては、私立高校の試験が先にあって、そ の後しばらくしてから公立高校の入試があります。公立高校が本命でも、必ず私立を受験して合格を確かめてから公立を受ける生徒がほとんどなんですね。そこ でまず、私立に願書を出す時期になりまして、お母さんと話をしていると、
「うちの娘は、私立の高校を受けてもムダだと言うんですよ」
「はぁ? どうしてですか?」
と聞くと、
「学校の担任がそう言いました」
こりゃ一いったい、どういうことなのだろうと思い、僕は彼女の中学校まで自転車で吹っ飛んで行きました。そして担任の先生をつかまえて、
「どういうことなんですか?」
と聞いたんですね。するとその先生は、
「あの子はね。過去に相当問題を起こしているでしょう。実は......」
と話し出しました。その先生ははっきりと言いませんでしたが、どうやら、県内のいくつかの私立高校では受験生に対するブラックリストが作成されてあるよう でして、過去に大きな問題を起こした生徒を受け付けないかそれに近い処置をとる工夫をしているとのことでした。だから、たとえ担任の先生が内申書を良く書 いても、その内申書はそのままゴミ箱行きになってしまうだろう、とのことです。だから、入試は受けさせてもらえるけど、絶対に受からない。
「じゃ一、いったいどうすればいいのですか?彼女は一生懸命勉強して、ここまで這い上がって来たんですよ。どん底から立ち直ったんですよ!」
「そうだね。ぜひ何とかしたいね。 ......ひとつ道があるとすれば、公立の中でも一番レベルが高い学校、宮城第一女子高等学校(通称、宮城一女)。ここを受験してはどうかな。この学校は、ほとんど一発勝負。内申書をあまり考慮しないはず。どうかな?」
宮城一女というと、女子が受験する高校の中では、当時県内のみならず東北でもトップ。こんな学校、はたして彼女が受かるんだろうか?でも、ここしかない、ということであれば挑戦するしかない。
そして3月に入り、入試がやって来ました。その日、僕はアパートにいましたが、朝からずっとそわそわ。落ち着かなかったですね。夕方、入試が終わり、ようやく彼女から僕のところに電話がかかってきました。すると、電話の向こうで彼女は...泣いていました。
「どうたった?」
と聞いても泣くばかり。
「どうだったんだよ」
と静かに聞くと、彼女はポツリと、
「ダメだった...」
と言うのです。
「どうしてなんだ。あれほど勉強したじゃないか。どうしてなんだよ」
と彼女に言うと、
「分かる問題も出だけど、 ......ダメだった」
彼女はね、試験会場に着くと、張り詰めた雰囲気にすっかり飲み込まれてしまったようなんですね。自分の席の周りを見てみると、どの子も頭の良さそうな子ば かり。「なんで私みたいなバカが...こんなところに座っているのかしら」と何度も思ったそうです。しかも、その会場にいる受験生は、みんなそれぞれ私立 の学校を受けて合格していて、いざというときの行き先を確保してこの試験に臨んでいる。でも、彼女には...何もない。まさしく背水の陣ですよね。
「ああ...、落ちたら...私どうするんだろう。定時制に行くのかなぁ。浪人するのかなぁ。それとも就職して働くのかなあ。どれも自信ないな~。だけど、こんなすごい学校、受かるわけないんだよなぁ...」
そう思えば思うほど震えが止らなくなって、頭が真っ白になって、はっと気が付いたら、試験はもう終わっていた、と言うのです。
「でも大丈夫だよ。合格発表は5日後だろう。受かるよ、絶対に」
と慰めても、
「全然なにも書かなかったのに、受かるわけないじゃないの」
と言って大声で泣くしね。まぁ、僕なりに彼女を力づけて受話器を置いたんですが、置いた途端に力が抜けて、その場にうずくまってしまって、3時間くらい起 き上がれなかったんですね。そのとき、それまで彼女と歩んできた1年間の思い出が頭をスーとよぎりましてね。短い期間だったけど、彼女はすっかり立ち直っ てくれて、こんなすごい高校を受験できる水準にまで到達できて。そんなこと、当初は想像すらできませんでしたけど、そりゃ一頑張ったもんな一。だけど、 たった1回だけの試験で、...彼女の努力が報われないなんてやり切れないよなぁ...と思いました。
思えば思うほど、悔し涙が出てきて...。
合格発表までの数日間、地獄のような日々でしたね。毎日僕は、彼女に会いに行くのですが、出てくるのはお母さんばかり。本人はショックで落ち込み、部屋に閉じこもって食事すら満足に取っていない状態でした。
----- 以下へ続く -----
五日市剛さん - 対談 - 講演内容-参考サイト-05-2 五日市剛氏講演筆録 H12年12月4日
松下幸之助
ツイてる、ツイてると言っていれば、必ずツイてくるんだというのは、なにも僕のオリジナルでもなんでもなくて、いろんな人が言っていることだと思うんですね。
----- 以下省略 -----
僕と部下の運
「ありがとう」「感謝します」に加えて「ツイてる」「運が良い」も僕は意識して繰り返し言うようになりましたね。誰に対して言うのか?喜んで聞いてくれる自分に対してです。そしたらね、すぐに言うクセがつきました。クセがついたらこっちのものです。ねつ!
----- 以下省略 -----
おわりに
今日の話を通して、皆さんに言葉のエネルギーの凄さというものを少しでも分かってもらえたらいいなと思いました。
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