カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

沖縄の祭りなど・・・ 11sep2010

2010-09-11 | エッセイ
先程、町田へ買い物に行った。大したものを買ったわけではなく、カロリーオフの甘味料と、口中清掃用のボトル1本。暑く、街中を歩いているだけで汗が吹き出し、身体が疲労しているのが分かった。どこか具合でも悪いのだろうかと思った。商店街の通り沿いのビルの前に広場として小さなスペースがあり、そこで、祭りが開かれていた。三線と太鼓の音が鳴り響いていて賑やかだった。見物客も大勢いて、それ越しに覗いてみると沖縄の民族衣装を着た人たちが踊りながら演奏しているのが垣間見られた。通りを練り歩く人々もいた。土曜日とあってか人の出が多かった。
プロ野球中継を見ていて思った。中学、高校の野球部は最悪だ。ずっと練習ばかり。私の時代は特にそうだった。野球はゲームだから試合をしなければ面白くない。練習試合さえ、あまりしなかったように思う。
デミ・ムーアがビキニ姿をtwitterで披露したというので見てみた。フォトが小さい。
このところ、こまごまと友人にメールを送ったりしていた。どの友人も忙しいらしく返事はあまり来なかった。電話に切り替えて話したりした。夏の疲れが出ているのではと思いきや、元気そうなのだった。かたや過労死で亡くなる人の事も報道されたりする。
森永卓郎氏のblogを見る機会があった。昨年の9月から更新されていない。他へ書いたりするので忙しいのだろうと思ったりした。
三線というのは、胴の部分がギターなどに較べて小さいのに、低音などよくあれほど力強い音が出るものだと思う。
沖縄の紅型(びんがた)の着物はこのような季節には涼しそうで、いいものだなと思った。街中でもその色合いは目立つ。

                                                                                  

沖縄の紅型を見て、京都へ旅した時に見た、京絞り友禅染のことを思い出した。一般に公開された工房を案内してもらった。季節が少しずれていたせいか時間帯のせいか、見物客は私一人で、そこの人に丁寧な説明をしてもらった。凝った物になると大変な作業量になることが知れた。値が高く普通は手が出ないので、手頃な値段でも買えるような品々も工夫して作られ、そこで売られているのだった。コースターか何かをプレゼントしてもらった。

                                          
                                          
                                          
                           
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drawing  sep2010 

2010-09-10 | アート

drawing sep2010


drawing    [Hommage] to Lautrec&KolomanMoser
sep2010





drawing   [Hommage] to Lautrec&KolomanMoser    sep2010






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アール・ヌーヴォーのポスター芸術展を観に行った・・・1Sep2010

2010-09-09 | エッセイ

9月の1日にポスター展が銀座の松屋で開かれていたので行ってみた。
盛況だった。期間が短かったがもう少し長くても良かったのでは、と思う。

 この時期のポスターのコレクションは川崎フロンターレのホームグラウンドである等々力に美術館があって、そこがかなり集めていたと記憶している。

 この時期のポスターは既に有名なものばかりで知っている人は事細かく知っているのだろうと思う。会場には簡単なビデオコーナーが設けられていて、知識があまりなくても概要、詳細などを楽しみながら知ることができるのだった。ポスターの持つ商業的なある意味の軽さにマッチした雰囲気のビデオだった。「時代は大量生産、大量消費となり・・・」などとナレーションが入っていた。今と変わらないではないか。腰掛けて二回りも見てしまった。良いビデオだと思った。

 これらのポスターが描かれたのは100年ほど前である。会場から日の暮れた銀座の街に出ると、急に現代の素の時間に引き戻されたようで頭がぐらぐらした。

   
   チケット・ロートレック           コロマン・モーザー

             


 
   ミュシャ

                                              
 
 訪れた日付を9月2日としていましたが誤りで、9月1日でした。訂正しました。


                                         

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「条件反射的液晶ディスプレイ型ハイテンポ感覚」

2010-09-09 | エッセイ

薄型の大きめの液晶テレビで番組を見ている。これまでずっと25インチ・ブラウン管型だったのだがついに買い替えた。その前は家族全員で14インチの小さなものを覗きこむようにして見ていたこともあったが、特に不便だとは感じなかった。大型液晶の迫力には負ける、と言われた時には、画面が小さければくっついてみればよいだろう、と言って笑われたくらいである。今は驚くほど画面粒子の細かいのもありそうだし作ろうと思えば作れそうだし、ヘッドホンに似たアイマスク的なのもあるようだし、あながち的外れの考えとは言えなかったのかもしれない。
TVで音楽を見ていて、最近どうも響いてこない。こちらの耳に新鮮さが欠けているのかもしれない、とも思ったりしたのだが、その感じをよく探ってみると、どうも音楽が間延びして聴こえるようなのだ。私は本来ゆっくりテンポでもOKな方なのだ。それがどうしたことか、音楽がまどろっこしく、薄く、感じられるのである。それで気が付いたのが、「条件反射的液晶ディスプレイ型ハイテンポ感覚」という、また、馬鹿げた言葉なのである。これは最近の液晶ディスプレイに映し出される映像が、CGを駆使しているがゆえに動きにメリハリがあり過ぎたり、カット割りというのか、次々に違う映像へと変化するその仕方もハイスピードで、かつ計算しつくされていたりして、それに脳の働きが乗っかってしまっている状態のことなのである。このときは主に視覚から受ける刺激が大きい。それが音と連動する。いつもその刺激のあるハイテンポの映像を見聞きしているので、ディスプレイの中でステージに立って生身の人間が音楽をプレイしたりしているのを見ると、まどろっこしく感じるのではないかという大胆な!?仮説なのである。特に大型の液晶ディスプレイに視線がいった途端に、条件反射的に脳の方が真っ先にハイテンポモードになってしまうということである。決していいこととは言えないかもしれない。だから普通に生の演奏を聴く時はゆっくりテンポでも何でも、何の違和感もないのである。液晶ディスプレイを見たときだけ「条件反射的・・・・・」なモードになってしまうのでは?という話なのであった。

最近拾った言葉から・・・
胡蝶蘭 牛乳2本 貧血 客家(はっか) kara 地産地消 ベクトル 変容 タジキスタン コトブキ バングルズ


                                           

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今年のゴーヤは・・・ 7Sep2010

2010-09-08 | エッセイ
                                                       
                        
                              
今年は白のゴーヤを植えていて、そろそろそれらが連続して成り始めたところだ。これは黒をバックにすると目立つかと思って、黒色の塗装のかかった手工芸品的テーブルの上に置いて撮影したもの。このテーブルはある染色家の人の作品である。トップにデザインポイントとしてタイルをはめ込んである。作者によるとタイルの選定にはこだわったそうで、ヨーロッパかどこかのデザインタイルを使っているそうだがほんとかどうかは知らない。黒を背景にすると白のゴーヤと言ってもあまりにも白すぎて気味が悪いくらいだ。イボイボも何か内臓のどこかを連想させる。しかし、食べるとめっぽう美味い!
9月に入って、銀座の松屋で開催されていたアールヌーボーのポスター展へ出かけたので、その時のフォトなどを載せようと思ったりしていたが、少し疲れた。
 今日は午後からの外出だったのだが、今年は9月というのに、まだ暑い。台風が来ているというので雨でも降れば少しは涼しくなるかもしれないと思う。


                                                                    
                                                                                                   
                                          
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新宿・・・ 4Sep2010

2010-09-05 | エッセイ
■今、新宿西口。書籍を購入して、歩いている。
追記投稿
■blogページを確認したら日付を1日間違っていた。本日、5Sep2010。
都庁からの眺め。東の方角、新宿の街を望む。

◆上のフォトは6時半ごろ。今日は夕方になって曇り空となり、夕焼けはほと
んど見られなかった。都庁の展望台は見物客が多かった。外国人も多く見受け
られた。レストランでアイスコーヒーを飲もうとしてメニューを見たら、その
すぐ下にアイスカプチーノというのを見つけたので、待ち受け顔の可愛いウェ
イトレスにどんなものか簡単に聞き、それにした。シロップが沢山付いてきた。
構わず全部投入し、相当甘かったが旨かった。
◆展望台から良い気分で周りを眺めたのだが、西新宿に超高層を集積させるこ
とが決定されて、もう随分と年月が流れた。それでもまだこの程度のものでし
かないのか、と思う。初期の段階から集積エリアにはもっと密集して建てるべ
きではなかったか。
◆ここ20年くらいの間に少し寂れた感のあった東の銀座、丸の内あたりが最近、
巻き返した感じがある。そこは良い。
◆しかし、東京の超高層は全般的にところかまわず分散的に建てているように
も見える。いろいろな別の条件から幸いにもその勢いはマンションを除き鈍化
したようだ。
◆建て方が分散的であったが故に、集積としての迫力に欠けるように見えるわ
けだが、新宿西口でさえもそうだ。だからといって今さら集積密度を上げよう
としても、過剰建設で床面積過剰供給となり、別の意味で大変なことになるだ
ろうからそれは止めた方が良いかもしれない。
◆作り方が下手だったのかとも思う。
◆せめて、足元の居酒屋、定食屋、ラーメン屋などが魅力的であって欲しいと
思う。個人的独断かもしれないが、そうであろうが何だろうがそうなのだ。キ
レイな店である必要は必ずしも、全く無い。
◆今日も周りには数棟だけ、完成間近と思しき超高層が見られた。
◆過去を振り返っているばかりのつもりは無いが、NSビルが話題性を持って完
成した頃が懐かしい。
◆昨今、何かと話題とされがちの東京湾岸部も更に短時間で色褪せ?そうなる
に違いない。
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今、町田の街

2010-09-04 | エッセイ

少しだけ、画材を仕入れに町田へ来た。風はほとんどなく、湿度が高いように感じる。
■駅前の商店街を真っ直ぐ行く。店に明かりが灯りだしている。


■饅頭屋の前の行列。
オープンカフェか何かで珈琲でも飲みたいところ。
■この画材はむしろ安いものの方が良いというところもあり、100円shopで済ませることにした。
■買い物を終え、建物の外に出ると既に日が落ち、少し風がでてきて涼しくなっていた。
もう帰るところ。
■帰り道、喉が渇き・・・
珈琲屋に入りアイスコーヒーを飲んでいる。
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空の足について・・・。 3Sep2010

2010-09-03 | エッセイ

MSN産経ニュースから抜粋
千円立ち乗り席!?アジア格安航空“台頭”にJAL&ANAも参戦
(1/2ページ)

2010.9.2 11:24
このニュースのトピックス航空
上海から茨城空港に到着した、春秋航空の第1便=28日午後1時6分、茨城県小美玉市で共同通信社ヘリから上海から茨城空港に到着した、春秋航空の第1便=28日午後1時6分、茨城県小美玉市で共同通信社ヘリから

 日本に就航するアジアの格安航空会社(LCC)が低価格を武器に台頭してきた。中国初のLCCである春秋航空など参入が相次ぎ、“立ち乗りで1000円台”も検討されるなどサービス合戦も過熱。急成長するアジアのLCCに対し、迎え撃つ会社更生手続き中の日本航空全日本空輸も参入を検討する。激しい旅客争奪合戦が業界再編に発展する可能性も出てきた。

視界良好の市場

 8月30日午前9時、春秋航空のホームページにアクセスが殺到した。同社がこの日、茨城-上海便の一部座席の運賃を片道4000円でネット販売を始めたためだ。9月15~29日に運航する計14便のうち全座席の約1割が対象だったが、販売開始から20分足らずで完売したという。・・・・以下続く

記事へのリンクアドレス:
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/100902/biz1009021125013-n1.htm


以下、思いつくままに・・・
記事の通り、中国の航空会社が茨城と上海間を片道4000円で結ぶという便を一部出したそうだ。アクセスが殺到したというのも無理はない。短期的なものだそうだがこういった格安チケットが数多く出回れば利用する側からみれば長期にわったって安くチケットを買える訳で、嬉しい事である。昔から海外へ行く時など格安チケットを利用してきた身としては嬉しいところである。当時、格安チケットと言ってもその国の価格で言えば普通の値段であり、JALが異常に高かったのだ。立ち乗り1000円台というのも面白いアイデアだと思う。1時間程度の距離の路線なら可能だと思う。日本人なら通勤でその程度はざらだからもっと長くても可能である。話は違うが、私はジャイアンツの試合で後楽園の立見席で4時間も立ち見をした。次の日腰が痛くてひーひー言っていたけれど。
 記事にもあるように日本航空や全日空も参入するようだが早くも乗り遅れのようだ。給与を分けるなどと書いてある。このやり方は大げさに言うと同一国内に二つの物価体系が存在するということになりかねない。格安物価体系と結果的公的資金注入豪華高価物価体系、と・・・。ところで、このように漢字の羅列を続けるとパソコンが混乱を起こすらしく、反応しないでひらがなのまま印字されることがある。「アルファベットなら得意だけれど、漢字変換はパソコンはもともと横文字系の国の文化圏のものだし、その上羅列されると何が何やら、ひらがなのままでゴメンナサイ」とでもパソコンが言っているような気がする。漢字というのは羅列していっても意味が通じるから不思議だ。
 話がそれた。立ち乗りなどと、中国というのはいろいろな面白いアイデアを次々と出してくるものだと思う。そして面白くもエスカレートし過ぎて、あれれ?という間に潰れてしまい、それでもめげずに次の企画へ、というバイタリティーなのだろう。その時もJALは相変わらず高価料金でそれに見合った客だけを集めては乗せ、少しいい気分を味わわせ、結果また、関係ない人々のお金で存続となるのだろうか。バランスが悪すぎる。もとより安かろう悪かろうというのは避けるべきだと思うが、海外の航空会社は私の経験では、安かろう良かろう、もしくは安かろう個人的努力でまずまず良かろう、といったところだから、やはり安い方の外国の航空会社を利用する。少し割高でもJALを利用する、というほど私などは裕福でもないし、下手な支援意識を持つような繋がりも気持もJALには無いし、スチュワーデスにお友達がいるわけでもない。昔、海外へ行く時、他の外国の航空会社に較べて、なぜこんなに高いのかと思い、利用しなかっただけの話だ。この時、なぜそれだけ高いのかは説明されていなかった。あまり意識せず他の人々は高い料金を払って利用していたのである。政、官、財の密室的癒着(これは素直に漢字変換された)で決められていたのだろうか。なぜ高いの?という単純な質問に単純に答えは得られなかったという事である。隠した不透明な部分があったのだろうから、子供の様な質問には簡単には答えられないのだ。それくらい高かった時もあるのだ。それらがかなり是正された今でも、まだ海外との価格差は否めない。少し間口を広げた話として、仮に高収入高支出で高物価が良いと断定するなら、どの国もそうしているだろう。それがそうなっていないのはなぜなのか。また、生活インフラに関わる部分の価格が安い国(そういうところこそ税金での補助がなされていたりする)とそうでない例えばわが国との違いはなんなのか。
どうも今日は話が分散し、まとまりが悪い。
それはさて置き、色々な格安航空チケットが出回るのを見るのは、楽しい事である。それらを使って上海万博をひと目でも見たいという人は多いだろうと思う。下手をすると?!
上手くすると?!一泊二日、あるいは日帰りも可能かもしれない。


                                           

遅ればせながら、少し調べているところ・・・。

・・・閑話休題・・・・
 
どうも空の便の事について関心が向いているようで、このところ日航などについて書いていることが多い。空路の拠点となる空港の事についても8月11日2010にこのblogで触れている。
   「東京の空港の事・街の事などあれこれ・・・

 今、春秋航空が就航したという茨城空港が果たしてどういう状態かというあたりを調べているところである。案の定、そもそもの空港の存在意義からして非常に心もとない。立地、全体計画の中での位置づけなど少し見ただけでおかしいと感じる。そもそも全体計画が無いのではないか。国土交通省のでたらめな交通行政と、それに乗っかった建設会社関係の協奏曲(狂奏曲?)のようだ。でたらめな利用予測とそれに基づいた計画(計画が成り立たないのは明らかなのだが・・・)によって、建設直後から採算など取れないものの様である。後は泥縄で仕上げようというところか。泥縄にも仕上がらないのではないか。建設会社の建て逃げの様相である。犯罪ものといえるかもしれない。それらを作らないと建設会社が潰れるというなら素直に潰れたらよかったのではないだろうか。それらを作らないと議員になれなかったというのなら素直に落選したら良かったのではないだろうか。それらを作らないと行政の仕事も少ないし接待もされなくなって詰まらなくなってしまうというのなら、素直に詰まらなくなって自腹で居酒屋で飲んだらよかったのではないだろうか。
 春秋航空の格安チケットでの就航も残念ながらそれらのでたらめの上に乗っかったもののようだ。先行投資とはもっと予測について厳しいものではなかったか。これではおそらく利用する人が仮に多くなっても、空港などの費用対効果はマイナスからプラスに転じるところまではいかないだろう。こういうことばかりである。本末転倒で素直に喜べない。全体を見ると利用する側としては格安だからと安心しては喜べなくなってしまうところが、それらの仕事とも言えぬ仕事?をする人々の罪づくりなところである。春秋航空がそうだとは言わないが、あらかじめ航空会社などの企業もその辺を狙って「どさくさ、もう仕方ない的バナナのたたき売り的安さ」で使わせてくれるであろうことを承知で参入しているのかもしれない。空港を作る時からこの国の政治家、官僚もその程度のことしか考えていないのかもしれない。航空チケット料金についてはできるなら、成田、羽田あたりで、そのくらいの価格でやってほしいものである。もちろん黒字になるように・・・。


                                           

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9月・・・1Sep2010

2010-09-01 | エッセイ
  
           


かつて、20代の頃にフィリピンへ旅した時の土産として買い求めたものである。中は、丁度ひょうたんの様に空洞になっていて、水筒といえばいえなくもない代物。どういうふうに使うかよくは分からなかったが形と、細工が気に入ってぶら下げて帰って来た。水を入れて使った事がないので漏れるか否かは判明していない。たぶん今後も水を入れずに飾っておくだけで満足なのだと思う。
 その時は友人と二人の旅だった。短期間で1週間くらいのものだったと思う。マニラへ空路で入り、そこから国内便で1時間ほど飛び、後は小さな地元の船で海底が透けて見えるエメラルドグリーンの海を海面まじかの視線で眺めつつ行き、小島へ渡った。ここで木の葉で覆って造られた安いコッテージを借りて遊んだ。島で遊んでいる人間には日本人はおらず、ヨーロッパなどから来た長期の旅人がほとんどだった。
 ここでの話は色々と尽きないくらいあるのだが、一つ、島へ渡る飛行機での出来事を思い出した。
 その国内便の飛行機は、ジュラルミンか何かの金属の色がそのままむき出しの20人も乗れば満杯というくらいの小さなものだった。見た感じからして古そうだった。機体の所どころに継ぎはぎの金属を当てて鋲打ちしてあり、それが図らずもデザインとなっているといった類の、双発のプロペラ機だった。それに安旅行好きといった者や見るからに地元の者といった面々が乗り込み、気楽そうなパイロット2名がひょこひょこと歩いてやってきてコックピットに入るといとも簡単に飛び立ったのであった。飛び立ったのはいいが、上昇中は機体がしばらくの間、前を上にして斜めになる。私たちは一番前の席が指定の席だった。私のすぐ目の前にコックピットと客室を隔てる扉があり、機体が斜めになっているのでその扉がパカッと開いて私の膝のあたりに落ちてくるのであった。手で押し戻して締めようとしたがドアノブが壊れているらしく、ラッチが効かないのだ。手を離すとまた膝に落っこちてくるのだった。コックピットの中は丸見えである。二人のパイロットは笑いながら気にも留めていない様子だ。ちゃんと前を見て操縦してくれ。何のこれしき、仕方なしに私は足を伸ばしてそのドアを押し上げつつ上昇の間ずっとコックピットにふたをしつつづけたのであった。ふたをしててやった、のではなく膝に落ちたままだと重たかったのである。飛行機の扉というのは内部扉とはいえ造りが重厚で重いものなのである。飛行機の扉の重量を体感しつつ飛んだ人間は探してもそうはいないかもしれない。その間隣の座席の友人は薄情なことににやにやと笑うばかりであった。
 その足を突っ張りつつの斜め上への旅はやがて終り、飛行機はほどなく水平飛行に移り、平穏な時間が訪れたのだった。きちんと閉じられることもなく今や半開きのままとなったその扉ごしにコックピット内部はやはり丸見えで、依然としてパイロットは休むことなく談笑し続けていた。飛んでいるから操縦はしているのだろう。
 その向こう、操縦席のガラス越しに、青く広がるフィリピンの海と点在する島々と千切れたように浮かぶ雲が、陽光に熱を帯びたようにかすんで眺められるのだった。


                                          
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