未婚の俺には当然ながらまだ子はいませんが。
身内や知人の子である赤ちゃんと遊ぶのは大好きで、その中で驚くほど勉強になる事が多いんです。
(残念ながら現在は、周りに赤ちゃんはいませんが。)
ず~っと赤ちゃんを見てると、やがては泣き方一つで、お腹が空いてるのか、甘えたいのか、眠たいのかなどが、だんだんと分かる様になるんですよ。
無償の愛を与え続けるのが親=真実の愛、というものであるからか、子が物を言わぬ存在であっても、立派にコミュニケーションが成立してしまうんですよ。
寧ろ、「無言に勝る多弁なし」って格言が頭に浮かんでしまうくらいです。
…その一方で俺達大人は、日常の何気ない言葉に一喜一憂し、時には人生までもそれに翻弄されてしまう。
あの人は何であんな事を言うのだろう?、言ってくれないのだろう…?と、ね。
その中で疑心暗鬼に陥り、見えない敵を作り出して、まるで自分がこの世の中でたった一人取り残された、チッポケな存在であるかの様に思い悩んでしまう。ひねくれてしまう。
自分も人から産まれて人の愛で育てられた存在であるのに。
忘れてしまうという事にすら気が付かない、認めない。
愚かで傲慢な生き物になってしまっていた。
赤ちゃんは、それを思いださせてくれるのです。
「天からの授かりもの」という表現がありますね。
俺はそれには同意しますよ。
我もひとなり、かれもひとなり。
ですよ。
身内や知人の子である赤ちゃんと遊ぶのは大好きで、その中で驚くほど勉強になる事が多いんです。
(残念ながら現在は、周りに赤ちゃんはいませんが。)
ず~っと赤ちゃんを見てると、やがては泣き方一つで、お腹が空いてるのか、甘えたいのか、眠たいのかなどが、だんだんと分かる様になるんですよ。
無償の愛を与え続けるのが親=真実の愛、というものであるからか、子が物を言わぬ存在であっても、立派にコミュニケーションが成立してしまうんですよ。
寧ろ、「無言に勝る多弁なし」って格言が頭に浮かんでしまうくらいです。
…その一方で俺達大人は、日常の何気ない言葉に一喜一憂し、時には人生までもそれに翻弄されてしまう。
あの人は何であんな事を言うのだろう?、言ってくれないのだろう…?と、ね。
その中で疑心暗鬼に陥り、見えない敵を作り出して、まるで自分がこの世の中でたった一人取り残された、チッポケな存在であるかの様に思い悩んでしまう。ひねくれてしまう。
自分も人から産まれて人の愛で育てられた存在であるのに。
忘れてしまうという事にすら気が付かない、認めない。
愚かで傲慢な生き物になってしまっていた。
赤ちゃんは、それを思いださせてくれるのです。
「天からの授かりもの」という表現がありますね。
俺はそれには同意しますよ。
我もひとなり、かれもひとなり。
ですよ。