きららの窓

山口市立阿知須中学校のブログです。
学校の様子をお知らせします。

立志式

2015年02月10日 18時30分47秒 | Weblog
立志式第1部体育館
「校長式辞」
「生徒代表 立志の誓い」  ~全文から抜粋~
『笑顔』
 誰かの笑顔を見るのが好きだ。その笑顔をみんなに笑顔をが広がっていけばいいなと思ってる。だから自分は誰かを笑顔にさせる人になりたい。誰かを笑顔にさせるためには自分が笑顔でいなければいけない。小さなことからだが、変えていけるように努力していく。そうすることによって夢への実現が近くなるのではないかと思う。はやく大人になった自分に会いたい。
『未来の翼』
 「困っている人を助け、えがおにしたい」私はそう考えます。震災や事故で傷ついた人々、体が不自由でつらい思いをしている人々、そんな人たちの力になりたい。
 「周囲の人と上手に会話したり、行動したりする人になりたい」今までの私は何でも思いを抱え込み、一人で行動していた。違う意見を聞くことで、思いが晴れたりするからだ。
 「自信を持ち充実した毎日を送りたい」弱音をはかず、いつかは夢をつかむことができるよう一生懸命にがんばります。
『チャンスメーカーになる』
 「もし好機が到来しなかったならば、自ら好機をつくりだせ。」スマイルズ英国の著述家の言葉です。今の自分は、まわりが見えておらず自分のことだけを自分の考えで行動していた。周りに流されないようにと気をつけていた結果、このような状態に落ちていった。僕は、これから常に周りの様子を把握し、いろんなことに積極的に取り組め自ら好機をつくりだせるチャンスメーカーを目指します
『私の夢』
 私の将来の夢は、海外旅行のツアーコンダクターになることです。この春中学3年生で、中学校生活はもう半分もありません。ともだちとはたまに志望校の話をします。これから勉強し英語がたくさん学べる高校へ入り、いろんな体験を通してコミュニケーションがしっかり取れる立派なツアーコンダクターになります
『立志の誓い』
 人の話をちゃんと聞ける人になりたい。前から親には言われていたが改めようとは思いませんでした。人の話を聞けない人は社会では通用しないから直したい。もう一つ将来のために改めたいことは、早寝早起きです。今は遅く寝ることが多く親にしかられながら登校しています。これらのことを改めて、今の自分と将来のためにも直していこうと思う。
『立志の誓い』
 自分から積極的に動ける人になる。これが私の目標です。私の夢は看護師なので、自分から進んで動ける人になって、やさしく声をかけたりいろいろな形でたくさんの人に笑顔になってもらいたいです。これからは少しずつでのいいので、自分が目指す理想の自分になれるように努力していきたいです
『立志の誓い』
 この立志式を通して、これからは自分の意志を強くしていきたいと思います。大人になる15歳を迎えてつらいことがたくさんあると思うけど、何事も続けてやろうという意志をもってがんばろうと思います。生活面や行動、先輩への態度などを礼儀正しくして、立派な人間として社会に出て行きたいです
『立志の誓い』
 私は人を傷つけない人になりたいです。今の私は、言葉を選ばずに言ってしまったり、笑ってはいけないところで馬鹿にして笑ったりして、知らないうちに周りの人を傷つけていると思います。だからこの機会に考えてみようと思いました。今度からは人を嫌な気持ちにさせないようにします。逆に人が喜んでくれるような温かい言葉をかけようと思います
立志式第2部各教室
 体育館で発表した代表者以外全員が『立志の誓い』を発表しました。

式 辞
 『本日、ここに立志式を迎えられた二年生110名の皆さん、まことにおめでとうございます。
 義務教育も残り一年となる皆さんには、今日の日を、自分の人生を考える一つの契機とし、将来について考え大人としての自立を自覚する機会にしていただきたいと思います。
 今、皆さんは自分の将来について、様々な姿を思い浮かべていることと思います。自分の個性をしっかりと見つめ、これからの将来像を描き、それに向かって、どのような人生を歩んでいくのかを考えてください。そして多くの人との出会いと、そこから得た知識を吸収し、人間としての基礎を大きく育んでいけば、自分が目指すよりよい姿がきっと生まれてくるものと信じてください。
 「時代は幕末。二十五歳の彼は、外国の情勢を知ろうとして、我が国に来航したペリーの黒船に乗ってアメリカへ渡ろうと計画しました。しかし、その計画は失敗し牢獄に入れられてしまいました。当時、勝手に国外に出ようとすることは、とても重い罪でした。
 彼の入れられた牢獄は、七十六歳を筆頭に何十年も牢屋に入れられている罪人が多く、もう二度と社会に戻ることはできないというあきらめと暗さが漂っていました。彼ももう一生外には出られないかもしれません。
 しかし、そんな中でも彼は猛烈に読書を続け勉強しました。(一年二ヶ月で六一八冊読んだそうです) また、亡くなった弟子のためにと自分の食費を削って、そのお金でお墓にお供え物をしていたそうです。
 牢獄でも勉強を続け、亡くなった人のために自分の食事を切り詰める彼の姿に、人生に絶望した囚人たちは驚き、そして尊敬するようになります。
 やがて彼からの「一緒に勉強しましょう」の呼びかけに答えて人生に絶望した囚人たちが、牢獄内で彼を囲んで勉強会を始めるようになったのです。勉強することによって牢内の雰囲気は一変し、生きる希望をもつようになります。そして、初めはその変化に驚いていた牢獄の番人たちまでもが勉強会に参加し、彼に弟子入りしてしまったのです。
 その後、牢を出た彼は塾を開きました。月謝は無料、村の人々を対象にした小さな塾で、通ってくるほとんどのものは貧しく、身分の低い家の子たちでした。しかし彼は、身分に関係なく意欲のある者に学問を教えました。そして、この塾の中から、国を動かす多くの人材を輩出したのです。代表的な者だけでも、騎兵隊を創設した高杉晋作、初代総理大臣の伊藤博文、日本陸軍の創設者山県有朋・・・高杉以外はみな足軽程度の下級武士の子弟でしたが、この短期間にこれだけ小規模の学校からこれほどの人物を輩出したのは、歴史上ないことだといわれています。」
 そう、彼の名は吉田松陰。多くの人は、牢獄の中で勉強しても意味がないと思うでしょうが、松陰先生が求めていたのは出世のための勉強ではないのです。理想とする人間になることを目指して努力を続けていたのです。」
 私たちと生きる時代の違いこそあれ、自分の目標を達成するために一生懸命努力すること、そして大きな壁にぶつかったとしても、「あきらめない」という姿勢は、これから成長して行かれる皆さんにも大切なことだと思います。
 終わりに、自分が生まれ育った郷土を愛し、家族やお世話になった方々への感謝の心を忘れず、先人の教えを大切にしながら、国際的な広い視野とより高い志を持って、大きくはばたいていかれんことを祈念し、式辞といたします。』

 

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