会津天王寺通信

ジャンルにこだわらず、僧侶として日々感じたことを綴ってみます。

謹賀新年    柴田聖寛

2015-01-07 11:47:11 | ボランティア

謹賀新年

旧年中の御厚誼を感謝申し上げ

尚本年も宜敷く御願い申し上げます

御一家方々の御万福を御祈念申し上げます

 

忘己利他

    国宝とは何物ぞ

宝とは「道心」なり

    山川草木悉皆成仏

                    平成乙沙中金歳  元旦

                           会津高田山 天王寺

                                      柴田聖寛

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖寛の独り言(1)

2014-07-07 05:50:48 | ボランティア

  宗教家、哲学者、政治家、官僚、一般人

  それぞれの立場でベクトルに大きな違い

どこの職業に属するかで、価値観や見方も変わってくるものです。宗教家、哲学者、政治家、官僚(官吏。役人)、一般人と分けた場合に、それぞれにベクトルに特徴があるような気がします。職業が人間をつくるからでしょう。

まず宗教家は仏とか神とかを問題にしますが、中心になるのは祈りの心です。絶対的な価値観に帰依する信仰心が求められます。人間の弱さを知っているからです。

哲学者は何もかも説明しようします。宗教家のように霊観や直感ではなく、言葉を駆使して真実に迫ろうとするのです。ある種の確信があっても、他人に理解してもらうために、体系だった論理を駆使するのです。

政治家は現実の世界を動かすことが使命であり、宗教家や哲学者のようなきちんとした世界観があったとしても、それにこだわらずに、個々の判断をする人たちです。

内なる情熱を秘めてはいても、どことなく冷徹なリアリストでなければなりません。もちろん、言葉によって他人を説得しますが、それは真理を明らかにするためではなく。権力闘争に勝ち抜くためです。

役人は上からの決定を順守し、組織を守ることを優先します。全体的な世界観よりは、より細部的なことに精通しています。セクショナリズムが批判されるのは、個々の利害を調整するような大局的な見地には立てないからです。

一般の人たちは、インテリに属する宗教家や哲学者、政治家、官僚の影響を受けますが、より根本においては、漠然としていながらも、宗教家をもっとも頼りにしています。それは理屈ではなく、信仰心が脈打っているからです。哲学者は知識の点で、政治家は具体的な生活での恩恵に関して、多くの弊害があるとはいえ、社会を安定させるうえでは官僚も大きな役割を果たしています。

意識するかしないかを別にして、一般人は最終的には宗教に帰依するのです。インテリではない人たちの方が素朴です。人間として救いを求めることに、より切実であるからです。そして、宗教家もまた、一般の人から信仰心のエネルギーを吸収するのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新年おめでとうございます 柴田聖寛

2014-01-01 05:06:32 | ボランティア

謹 賀 新 年

旧年中の御厚誼を感謝申し上げます。

御一家方々の御万福を御祈念申し上げます。

 

千年に一度の東日本大震災とそれに伴う人災でもあった福島第一原発一号~三号はメルトダウンしたままです。また、四号はまだまだ予断は許されない状況が続いています。5.6号機はようやく廃炉が確定しました。

未だに福島の山や川などはセシウム等の放射性物質が多量に含まれています。今年は三周年です。伝教大師最澄、慈覚大師円仁の「志」は不惜身命です。福島県民の皆様に、「希望」「安心」「活力」「合力」を取り戻してもらうためには祈りの心が大事なのです。

「忘己利他」「道心」「山川草木皆ほとけ」

 

                       合掌

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東北復興は「求法人」の祈りの心で(下)

2013-08-31 18:01:52 | ボランティア

慈覚大師の画像なども見ても、温和な人柄であったことが分かります。喜怒哀楽を表情に出さなかったそうですから、何物にも動じない信仰心の持ち主であったのでしょう。身長が5尺7寸ともいわれますから、当時としては大男であったようです。東国人の精悍さが感じられてなりません。

天台宗の一僧侶である私は、30代半ばから大原三千院や比叡山で修行に励むと同時に、慈覚大師円仁の『入唐求法巡礼行記』に魅せられて、数え切れないほど中国各地を旅しました。慈覚大師との出会いがあったからこそ、私はそこまでできたのです。関東東北を巡錫し、多くの霊場を開いた志を継ぐのが使命だと思っています。

天台宗では「慈覚大師1150年御遠忌」を皮切りにして、向こう10年間にわたって「祖師先徳鑚仰大法会」の期間としていますが、統一テーマは『山家学生式』で述べられている「国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり」の「道心」であり、サブのテーマは「山川草木みなほとけ」であります。

福島第一原発事故が継続中の福島県にあって、私はその「道心」と「山川草木みなほとけ」の祈りの心の大切さを痛感しております。福島の人たちに「希望」「安心」「安全」「活力」「合力」を取り戻してもらうためには、天台宗の祈りの心が大事なのです。2020年に東京で開催されるオリンピックでも、それが大きなきっかけになるはずです。かつて慈覚大師があの法灯を高く掲げたように。

 

       合掌

         一心頂禮十方法界常住三寶(三遍)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東北復興は「求法人」の祈りの心で(中)  会津天王寺住職 柴田聖寛

2013-08-30 17:32:12 | ボランティア

慈覚大師は延暦13年(794)に栃木県下都賀郡に壬生氏の子どもとして生まれました。9歳で大慈寺の高名な僧広智に預けられ、大同3年(808)に15歳で、広智に連れられて比叡山に入りました。伝教大師最澄の弟子になるためです。
 

24歳で伝教大師とともに古里の関東に赴きました。大慈寺では伝教大師から潅頂と円頓戒を受けました。伝教大師の入滅の直前には、慈覚大師だけに一心三観の妙義が伝授されました。29歳のことです。それから30歳で止観業の年度分度者として12年籠山(ろざん)に入り、それを経てから比叡山を出て、法隆寺や四天王寺での法華経の講義、東北布教などに力を注いだのでした。

転機が訪れたのは、40歳になって重い病気にかかったからです。横川の首楞厳院(しゅりょうごんいん)で、6千部を目標に如法写経に挑戦し、それで健康を取り戻したのです。そこでの写経を納め、本尊として祀り建立されたのが、横川の根本如法堂です。
 

病後に慈覚大師は、「天台教学の心髄と密教を伝えなさい」との伝教大師の夢を見て、それで最後の遣唐使の一員として中国に渡りましたが、希望していた天台山には向うことはかなわず、秘かに求法の旅を決意し、弟子二人と五台山で、禅の必要性から止観の妙旨を伝授せられたほか、念仏三昧の行法も習得しました。また、五台山の法要(引声阿弥陀経)や、仏教の法要に欠かせない声の音楽である声明(しょうみょう)なども体得しました。唐の都の長安では、胎蔵界、金剛界とともに、天台宗の台密では「胎金の両部を不二(ふに)ならしめる第三の契経である蘇悉地経(そしつじきょう)」などを受法しました。

胎金の両部と蘇悉地経の三つを、天台宗では「三部三昩耶」と呼んでいます。仏典や曼荼羅なども入手し、武帝の仏教弾圧を逃れるべく、日本に帰国したのでした。足掛け10年にわたった苦難の求法を書き記したのが国宝である『入唐求法巡礼行記』です。

持ち帰った経典は584部802巻に及んだのでした。曼荼羅などの図像法具も21種あったといわれ、天台密教の大成に尽力したのでした。その功績によって、第三世の天台座主になられ、勅旨での初の任命でした。そして、没後2年にして、日本で初めての大師号が清和天皇から贈られたのでした。最澄が伝教大師となったのも、そのときのことです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする