エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#仲間作りになる演劇

2024-06-02 12:46:26 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
「発達トラウマ障害 Enpedia」
は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、
MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照ください。
としましたが、1日で、MSN検索、Bing検索にも、内閣府情報調査室が施したであろう、情報操作が入りました。
それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実が大事。
 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『粗末にされたら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。 
今日は,p.343から。
 

(訳注:ニューヨークの里子の子たちが演劇を通してトラウマ治療を自らする)ポッシビリティ・プロジェクトの第一段階は,仲間作りです。



 共に協力することは,仲間作りになるから,力強い力があるんです
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#相互関係

2024-06-02 12:03:38 | エリクソンの発達臨床心理
「発達トラウマ障害 Enpedia」
は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、
MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照ください。
としましたが、1日で、MSN検索、Bing検索にも、内閣府情報調査室が施したであろう、情報操作が入りました。
それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実が大事。

Childhood and Society 第3章  p.145 第3パラグラフから。

 

 しかしながら,このような禁止項目や規則は,とても大切な様々な関係の本の一部なんです。幼い女の子でも自分の兄弟でも席を同じうせぬようになれば,裁縫と刺繍を上手にすることが結局は役立つ,ということを知っています裁縫と刺繍を上手にすることは,そのあと,将来幸せなお嫁さんになるための手仕事や飾りづくりのために集中することになっていました。また,同時に,猟師の子どもたちと揺り籠と赤ちゃん道具一式のためでもありました。「彼には善い姉妹がいます」と言われれば,戦士にとっても,猟師にとっても、賛辞になったことでしょう。その兄弟も,狩りや盗みで手に入れた者の中で一番良いものを,自分の姉妹にプレゼントすることになると知っていました。一番大きな獲物が取れれば,姉妹のためにつためにバラバラにされることになりました。こんな感じで,その姉妹も,兄弟のめげない心と気前良さのおかげで,狩りや戦のたけなわに,少なくともいろんな形で,能動的に攻撃的に参加するチャンスが見つかるものでした。ことに,サンダンスでしたら,彼女も,兄弟が自ら招いた傷を洗い流したでしょうね。幼いころに、原則,男女が関係を回避したのは,須く,尊敬し合い,助け合い,のひな形であり,雅量なのです。その雅量は,大きな大きな家族の「兄弟」と「姉妹」の中の人類愛です。いっぽう,兄弟間で忠実なことが,仲間通し同士の関係が忠実なことのひな形になります。
 このように男女が席を同じにしないことが,「自然な」近親相姦の緊張を予め防ぐのに役立った,と言えば,単純化しすぎでしょう。男女が席を同じにしないことが,極端になったり,義理の兄弟と義理の姉妹の間の冗談は,エッチな話に限るというような率直な提案をしたりすれば,人の怒りを買うことになりますし,かえって近親相姦の緊張を高めることにもなりかねません。このよう近親相姦の緊張は仲間の中でお互いに相手を大切にし合う 全体の雰囲気を作るという普遍的な役目のために使われます。また,獲物や敵や除け者に,噛む舞台で,呼び覚まされ,育まれた,赤子の手をひねる様に相手をコントロールする力や誰でも彼でも攻撃的になる力を,安心して手放すという,普遍的な役目のために使われます。「その人ならではの優れた」関係には,非常に優れた水準がありまして,それは,大家族の中で,優しく,親しみがあり,好意がある ということです。自分が仲間に入れてもらえていると感じるのは,良い人という評判の人として認められるからです。しかし,悪態を続ける人は,次第にをかくプレッシャーを感じて,ひどい噂を立てられたり,人とのやり取りが出来なかったりする破目になります。寄って集って攻め立てる陽動作戦で,助けを拒んで,あたかも,自分自身が自分の敵になっているみたいです。
 今でも,スー族のインディアンの少年は,人生を垣間見ることになるでしょう。人生を垣間見るのは,スー族の少年の遊びの儀式によって,いまも少年が覚悟を抱くのは,目上の者たちの踊りを観察する(し,できれば,その踊りに加わる)ことで初めて可能になります。この踊りは,「白人の目」から見れば,粗野と見なされる場合が多いものです。そういった「白人」らは,インディアンの集団が一気に盛り上がるのも危険だし,インディアンの集団が「生き生きとしたいのちのある」リズムが次第に盛り上げるのも危険だと二重に危険をかぎ取っている者達でした。ところがです,私どもが,離れた踊りの家の一つで行われた,スー族の古老らの踊りを観察しますと,その古老の踊り手たちは,徹夜で何時間も踊る時にも,その輝く顔には,リズムに深く集中しているのが表れているのように見えました。リズムに深く集中することが,精度を増して古老らの身体に乗り移りました。ルールに従うことは,高揚感響き合うものです。それに比べると,ジャズダンスを踊ることも身に着けた 男の若者らが遅れてくるのを見ると,気恥ずかしくなりますね。その若者たちのジャズダンスは,「調子はずれ」でしたし,その眼差しは自惚れた眼差しで,虚空に漂っていました。この自惚れた眼差しに比べば,古老の踊り手たちがズムに魂を込めていることが,一層鮮明になります。古老のインディアンたちは,哀れな笑顔は,手で隠そうとしますよ。
 このように,時々,その踊りと儀式が今も主張しているのは,その男には強い心がある,ということです。強い心のある男は,生活に係る道具を,自分の身体の限界以上に,狩りの実力を伸ばすために,使うようになっていたんです。馬を上手に御すことができれば,獲物や敵に ビックするくらい突然に近づくために,自分の脚ではできない素早さを手に入れることができます。弓矢や手斧を手にすれば,手の技や力を,拡大することもできますインディアンに伝わる聖なるパイプを吸えば,男たちは親身な意思を帯びることができますし,愛の囁きが心響けば,その女性の好みが判ります。魔法の呪文があらゆる幸福を人にもたらしてくれます。魔法の呪文あらゆる幸福を人にもたらしてくれる,その強さは,裸の息や言葉や願いを凌ぎます。でもね,インディアンの男は身につけなくてはならないのですが,インディアンの神様「偉大なスピリット」は,歩み寄ってくださるのは,インディアンが神様を夢中で探してる時だけと,相場が決まっておりました。



 聖書でも「たたけ そうすれば門は開けてもらえます」(マタイによる福音書第7章7節)とあります。神様と人間も,一方通行ではなく,相互関係なんでしょう。
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#新しい毎日礼拝 と #倫理的習慣

2024-06-02 10:47:06 | エリクソンの発達臨床心理
「発達トラウマ障害 Enpedia」
は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、
MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照ください。
としましたが、1日で、MSN検索、Bing検索にも、内閣府情報調査室が施したであろう、情報操作が入りました。
それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実が大事。 
 Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』
 p.81の第2パラグラフから。

 
 人生の初めに,食べることと見通すこと 望見ることと信頼すること を以上のように観察しますと,このような毎日礼拝こそ,善い良心が生きる基盤そのものだと思い知らされます。昔ながらの文化社会が「物心がつく」時期と呼んだ,善い良心が生きる基盤以外で,その子どもは,その,人と自分とを信頼して共に生きる意味を掴むように期待されていますし,この世を不思議がる見通しの中に文化社会的にとどまるために,禁止と遠慮を受け入れるように期待されたんです。あとで,男たちの「汗の家」の中で,青年になった男の子は,お金のことを考えて,女たちのことは考えない という2つのお務め身に着けることになります。大人になればユーロックのインディアンの人たちは,お金が木から下がり,季節外れの時も,サケが川を泳いでいるイメージを見通せるようになるものでした。それは,ユーロックの大人たちは,すべからく,自分の内にある内的促しがもたらす「夢幻の」思いは,海を越えて神々の心と溶けて一体になるはずだと信頼していたんです。その神々は,毎年一定量のサケを海に待たせる力と,気前よくそのサケを河口から毎年川を遡上させ,待ちに待った人間が仕掛けた網やダムに溢れるほど入らせる力をお持ちでした。
 ユーロックの人たちの「文化と人となり」には,(そんな印を仕切る言葉ですが),「強迫的」と思しきところが目に付きますし,アメリカの文化でいう,強迫神経症の「いろんな儀式」と似ていますでしょ。しかしながら,私が『子どものころと仲間たち』の中でご指摘したことは, よくよく見ていることに 透明な力を及ぼしたいと願う儀式的な試みとして理解できる ということでした。ですが,サケがどのように暮らし,どのように川を遡上するのかなどを複雑怪奇なことを知っているわけではありません。それからね,私どもが体得している毎日礼拝は,紛れもなく,神経症と同じ状態です。その神経症と同じ状態があれば,毎日礼拝のおかげで,ある自然,ある科学技術にある とある文化社会の中で 人間は,自分の天性をまとめて(訳注:たった)一つの生き方を創造することができるわけです。ですから,毎日礼拝は,自然界にも人間界にも とても大事で,ピッタリな関係作りに役立つのです。この神経症と同じ状態毎日礼拝は,日常会話では,文字のスピリットを犠牲にした「取引」に従がって 人から押し付けられたことに従順に従うという,今まで通りになりがちでしょう。
 毎日礼拝は,一番うまくいきますと,すなわち,いのち漲る創造ができる場では,「(訳注:聖書の神様が)創造を具体的に実現すること」が繰り返し再現されます聖書の神様が創造を具体的に実現しますと,「内からの突き上げ」がやりすぎになったり,「共に強いられて」抑制したりすることを避けることにもなりますし,皆が生きる意味を感じられないということも,道徳を人に押し付けることも避けられます。キッパリと申し上げたいのは,が出来たといえますのは,ありがたいほどたくさんのことができます。

1. 毎日礼拝は,いまここで必要なことを一人で満たす満足(ここでは,空腹を満たしたい思い)を,人と関わって満足する満足へと,深めてくれます。ですから,毎日礼拝のおかげで,自分が欲でやっていたことを昇華して(欲を満たしたいという情熱を飼いならして)くれますし,まだまだ脆い,自分を大切に感じる気持ちを,生まれながらに頂いているスピリット聖書の神様のいのちが一巡する場で 自分が大事にされていると仲間も考える理想と一つにしてくれます。

2.真正直な毎日の出来事を「よし」とすることを教える中で,毎日礼拝は,幼稚な万能感を,「自分の使命はこれだ」と感じる 人と人を繋げる感じに変革してくれます。(毎日礼拝は,サケのいのちが一巡する不思議を超える力になるんですよ)

3.毎日礼拝は,自分が不甲斐ないことを,内と外のよそ者らに捻じ曲げて映し出します。そのよそ者らは,正しい道を知らず、知らさせずにいます。

毎日礼拝は,仲間が抱いているみんなの見通しに役立つように光の当てる 物の知り方を教え込みます。ユーロック属のインディアンの例で申しますと,私が先取りしたいのは,毎日礼拝は,食事の時や赤ちゃんのときにいろいろとこの世で世話をしてくれる人々との出会いの中で,感覚と動きで物事を身に着けたことを活かすだけではなく,善いことと善い人を、悪いことと悪い人から,キッパリと仲間と共に知ることを養うものだ,ということなんです。

5.毎日礼拝が,発達の続く舞台で,儀式のあらゆる意味での大事な側面(ここでは,聖体であるパンと葡萄酒を口にする,キリスト教の聖餐式の意味)を育ててくれるのを示すのが私どもの務めになるからには,儀式のあらゆる意味での大事な側面は,大人の儀式を工夫する際にも、とても大事な様相になることが,行論の中で明らかになるだろう,ということです。

6.毎日礼拝は,うまく働く社会の大事な慣習の一つにとって欠くことができない,社会的に分別を付ける習慣を育てます。ここでは,ルール通りの良い行いと,恥ずべき関わりや罪深い関わりを区別することですし,それは大人になれば,裁判でも出合う分別です。

7.それで,結局,毎日礼拝は,確固としたその人ならではの一心同体を対人関係の中で魂を次第に育てる基礎を与えてくれるものですから,さまざまな儀式で「本当の自分を確立する」,「2度生まれ」によって,青年期まで、封印されています。2度生まれ」とは,子どものころに一心同体になった全ての相手を 世の中に対する見通しと信頼を確かにすることとひとつにします。たほうで,願っていることやイメージしていることが望ましくなかったり,悪かったり,他の「下衆」を思い出したりする すべて者は,「考え方がおかしい」として,レッテルを張ります

 これらすべてが物語っているのは,毎日礼拝は,1つの大事な繫ぎだということです。すなわち,一人の人がこの世でオリエンテーションを求めて生きる性質と,仲間の中で支配的な(あるいは,仲間内で競い合う)世の中に対する見方とを,毎日礼拝は繋ぎます。しかしながら,精神医学の中では,毎日礼拝を経たように見える行動も,バラバラにされた人や バラバラにされた人が一人抱えこんでいる葛藤の中で,絆をバラバラにするものになった そのバラバラになるなり方をよくよく研究することができますし,研究すべきです。ですからね,私どもは治療的毎日礼拝をお示したいんです。この治療的毎日礼拝は,が人と結びつくことに対して,新しい心の眼を打ち込みます。どうしたら,毎日礼拝が,治療的毎日礼拝となり,が人と結びつくことに対して,新しい心の眼を打ち込むのか? 「生き生きした」毎日礼拝深く探求する時だけ,私どもは身に着けることができるのは,いかに人が,次世代の人々を創造する中で,互いに打ち合うことから、和解に至ることですし,あるいは,真の毎日礼拝なくなってしまえば,あるいは,真の毎日礼拝が,スピリットが死んだ形だけの礼拝になりますと,ウソとゴマカシがいろんなところで蔓延ることになります
 このような新しい心の眼が特に大事なのは,時代が急速に変化する時期かもしれませんね。毎日礼拝(人に厳しいものでも,人に鷹揚なものでも,性役割が様々でも)でさえ,理想や技術が急速に変わる衝撃の中で,バラバラになります。ところが,新しい毎日礼拝立ち現れるのは,大事で有力な倫理的習慣(エートスethos)立ち現れる場合だけです。


 毎日礼拝は,必ず,スピリットが生み出すものですから,同時に,必ず,そのスピリットは,倫理的習慣を伴います
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#笑顔でいてね

2024-06-02 09:58:11 | 聖書の言葉から
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生きているのに
死んでいるあなたへ    

今朝は本田哲郎神父様の言葉から
 
 
救いを確信して 

喜びを忘れないでね

ローマ人への手紙 12章12
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#笑いを生きる のが #真のキリスト者

2024-06-02 07:35:23 | 聖書の言葉から
尾瀬小屋さんの写真から

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生きているのに
死んでいるあなたへ    

今朝は,リチャード・コートさんの言葉から
本日も木鎌神父様の翻訳に筆者が手を加えました
 

創造する聖書の神様との絆の中で 

下に立つこと と 上に立つこと を 同時に大事にする時だけ

キリスト者は 下に立つ生き方を生きたいと願うと同時に 

息をするように笑いを生きたいと願うことになります
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