安楽寺があるのは長野県上田市別所温泉。上田市中心部から12kmほど南西に入る。
上田電鉄という私鉄も伸びていて、所要時間はほぼ30分。
1回目は富山に単身赴任していたおり、月一で訪れる連れ合いと松本側から入った。連れ合いが青木村という別所温泉の西隣にあるところに行けるなら行ったみたいという。なにやら本家にあった古い家系図によると遠い祖先が青木村一帯を治める真田の武将だったらしい。真田昌幸の九度山蟄居にも従った名前であるが、それがどういう経緯で大阪夏の陣を生き残り、山口に流れ着いたは定かでない。
今の時代、出自が卑しくとも知事や市長になれる。遠い先祖がどうだったなぞ言っても全く意味がない。それに家系図そのものも後年作られたものが多い。そもそも戦国時代の武将は、各自が俺は藤原だ、源氏だ、平氏だとその時の都合で勝手に名乗っていた。
しかしこの手の話しは真偽は兎も角としてロマンを感じる。誰にも何万人、何百万人という先祖がいて30代前になると単純計算で2の30乗、つまり11億人にもなる。自分も子孫の祖先になるのだから。
そういうわけで、青木村に行くことにした。
別所温泉の周りに古刹が多い。別所温泉には安楽寺、北向観音、同じく上田市の前山には前山寺、青木村には大法寺があり、安楽寺と大法寺の三重塔は国宝、そして前山寺のは重文に指定されている。半径5kmの範囲内に国宝、重文の塔が3基あるのは多分ここだけだろうと思う。
前山寺付近には、鎌倉時代に整備された鎌倉街道の一部がまだ残っている。鎌倉で緊急事態が発生した時「いざ鎌倉」で出動できるように鎌倉へ伸びる街道である。安楽寺、大法寺の三重塔も鎌倉時代の建立だそうで、特に前山辺りはまだ鎌倉が活きているような気がした。
安楽寺の三重塔は他に例を見ない八角形をしている。最下層に裳階を持つので外見は四重に見える。八角形といえば壁と壁の間の角度は135度。鎌倉時代によくこんな複雑な構造の塔を建てたものだと感心する。
(蛇足だがGoogle mapの前山寺にポインターを移すと口コミが表示され国宝・八角三重塔があると書かれているがこれは安楽寺の間違い)
裏手の斜面が墓地になっているので失礼して入らせてもらうと塔の全体を写真に収めることができた。
実はこの写真は2回目に行った時のもの。初めに行った時は写真撮影で失敗した。まだフィルムカメラが主流のときで、旅行には軽い使い捨てカメラを愛用していた。それもフィルムを自分で交換して使いまわしていた。新しいフィルムを収めて最後に本体のカバーを止めるのに使ったビニルテープがカメラ内に残っており、それがフィルムに被って肝心の写真に黒い影が入ってしまった。
山口に戻ってからデジカメ時代になり、もう一度写真撮影にチャレンジしたくなり再訪した次第である。
上田電鉄という私鉄も伸びていて、所要時間はほぼ30分。
1回目は富山に単身赴任していたおり、月一で訪れる連れ合いと松本側から入った。連れ合いが青木村という別所温泉の西隣にあるところに行けるなら行ったみたいという。なにやら本家にあった古い家系図によると遠い祖先が青木村一帯を治める真田の武将だったらしい。真田昌幸の九度山蟄居にも従った名前であるが、それがどういう経緯で大阪夏の陣を生き残り、山口に流れ着いたは定かでない。
今の時代、出自が卑しくとも知事や市長になれる。遠い先祖がどうだったなぞ言っても全く意味がない。それに家系図そのものも後年作られたものが多い。そもそも戦国時代の武将は、各自が俺は藤原だ、源氏だ、平氏だとその時の都合で勝手に名乗っていた。
しかしこの手の話しは真偽は兎も角としてロマンを感じる。誰にも何万人、何百万人という先祖がいて30代前になると単純計算で2の30乗、つまり11億人にもなる。自分も子孫の祖先になるのだから。
そういうわけで、青木村に行くことにした。
別所温泉の周りに古刹が多い。別所温泉には安楽寺、北向観音、同じく上田市の前山には前山寺、青木村には大法寺があり、安楽寺と大法寺の三重塔は国宝、そして前山寺のは重文に指定されている。半径5kmの範囲内に国宝、重文の塔が3基あるのは多分ここだけだろうと思う。
前山寺付近には、鎌倉時代に整備された鎌倉街道の一部がまだ残っている。鎌倉で緊急事態が発生した時「いざ鎌倉」で出動できるように鎌倉へ伸びる街道である。安楽寺、大法寺の三重塔も鎌倉時代の建立だそうで、特に前山辺りはまだ鎌倉が活きているような気がした。
安楽寺の三重塔は他に例を見ない八角形をしている。最下層に裳階を持つので外見は四重に見える。八角形といえば壁と壁の間の角度は135度。鎌倉時代によくこんな複雑な構造の塔を建てたものだと感心する。
(蛇足だがGoogle mapの前山寺にポインターを移すと口コミが表示され国宝・八角三重塔があると書かれているがこれは安楽寺の間違い)
裏手の斜面が墓地になっているので失礼して入らせてもらうと塔の全体を写真に収めることができた。
実はこの写真は2回目に行った時のもの。初めに行った時は写真撮影で失敗した。まだフィルムカメラが主流のときで、旅行には軽い使い捨てカメラを愛用していた。それもフィルムを自分で交換して使いまわしていた。新しいフィルムを収めて最後に本体のカバーを止めるのに使ったビニルテープがカメラ内に残っており、それがフィルムに被って肝心の写真に黒い影が入ってしまった。
山口に戻ってからデジカメ時代になり、もう一度写真撮影にチャレンジしたくなり再訪した次第である。
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