spin out

チラシの裏

「仮面劇場の殺人」と「月明かりの闇」 その2

2024年07月26日 | JDカー
★なので次作「月明かりの闇」もアメリカが舞台なんですね。
やたらに南部人とか北部人とか言い合っているのも、なんだかなあ。
昭和40年代に、日本の学生たちが「薩長の人間」「佐幕派」とか言い合っているようなものでしょう。
若い結婚志願者の二人は、北部人と南部人と設定されていて、
最後に彼女が一文無しになったときにさっさと姿を消したのが北部人。
南部人の彼は金じゃなくて愛だ、とのたまう。
■ニューオリンズ出身のカーは当然ながら、南部贔屓なんだろうね。
登場人物たちが旧弊で、これほんとに1967年が舞台なのかと思ってしまう。
ミステリ以外の、そういった部分が残念だけど、プロットのヒネり具合は悪くない。
再読したら感心したよ。
メインプロットではクリスティ流のミスディレクションをしかけているんだが、
謎解きの説明でトリック解明が後回しになったのは、そのせいかな。
★どういうことです?
■30年代から40年代の作品は、不可能犯罪の構造とプロットが分かちがたく、つながっていたのに対して
「月明かりの闇」はまったく分離してしまっている。
★殺人トリックは何であってもよかった、足跡のない不可能犯罪は余分、ということですか。
■プロットのヒネりだけで成立させたほうがスッキリしたのではないか、と思わないでもないけれど
「呪いのトマホーク」とか「ポーの黄金虫」といったレッドへリングが書きたかったんだろう。
プロットがリアルで地味な設定なのに、殺人方法がトンデモというか。
そんなんで殺せるのか?と疑問符がつくようなシロモノ。
★「黄金虫」と無理やりつなげようとでもしたんですかねえ。
■「月明かりの闇」が発表された1967年には、
ディック・フランシス(1962年デビュー)、ギャビン・ライアル(1961年デビュー)はもう活動していたわけで、
旧弊な登場人物やトンデモトリックを使った作品を出版社はよく出せたものだと思う。
ミステリマガジンのカー追悼号(1977年7月号)で都筑道夫が、
「晩年のカーは売れない大家だったのだろう」と書いていたけれど、そのとおりだったのかな。
★でも、このあとニューオリンズ三部作を書くわけですが。
■カーの発想なのか、また出版社あるいは編集者のアドバイスかわからないけれど、
古臭い登場人物しか書けないのならば、そういった人物が生きていた時代を舞台にする、という
逆転のアイデアだったのではないか。
★「ヴードゥーの悪魔」「亡霊たちの真昼」を再読しないといけませんね。
■うーむ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「仮面劇場の殺人」と「月明... | トップ | 「ヴードゥーの悪魔」と「亡... »

コメントを投稿

JDカー」カテゴリの最新記事