
「横溝正史研究 4」毎年の恒例行事の春日井リヴィン古書展で購入。
ほぼ半額でした。
特集は「横溝正史の一九三〇年代 鬼火から真珠郎まで」。
巻頭に正史の長女と長男の対談掲載。
「探偵小説五十年」では分からなかったけれど、
正史はずいぶんエキセントリックな人だったんですね。
で、特集ですが、「?」と首を傾げたくなるものから
「おお!」とヒザを打つものまで、いろいろ。
後者は中相作『「陰獣」から「双生児」ができる話」(次点飯城勇三「横溝正史とエラリー・クイーン」)。
なるほど、確かに冒頭の英文は不思議でしたが、そういう意味だったのか。
そして、そろそろ横溝正史からディクスン・カーを解放したほうがいいのではないか(逆?)。
「横溝正史とエラリー・クイーン」でも書かれていましたが、
横溝正史のミステリの骨法はエラリー・クイーンなんですよね。
カーの作品はあくまで語り口のキッカケにすぎない。
その証拠に、代表作のプロットはクイーンの作品を換骨奪胎させたもの。
とくに「Yの悲劇」は「獄門島」「八つ墓村」「犬神家の一族」(逆「Yの悲劇」)などなど。
ミスディレクションの使い方はカーよりフェアでうまいと思う。
そのカーの特集を組んだ「CRITICA vol.7」(探偵小説研究会編著)を密林で購入。
特集というにはボリュームがやや少なめ。

巽昌章「カー・空間・奇談」、「覗く・覗かれる」と言うより「犯行の舞台化」ではないでしょうか。
犯行の舞台化がミスディレクションを仕掛ける文字通り舞台となっているのでは。
ま、どうでもいいんですが。
あと「幽霊屋敷」の記述トリックについては同感!
それはともかく、頼んだはずの「チェスタトン特集」はどうなってしまったのだろうか。
※メールで、密林から調整中という知らせ。
チェスタトン特集の方がカー特集より売れているのだろうか。ショック
ほぼ半額でした。
特集は「横溝正史の一九三〇年代 鬼火から真珠郎まで」。
巻頭に正史の長女と長男の対談掲載。
「探偵小説五十年」では分からなかったけれど、
正史はずいぶんエキセントリックな人だったんですね。
で、特集ですが、「?」と首を傾げたくなるものから
「おお!」とヒザを打つものまで、いろいろ。
後者は中相作『「陰獣」から「双生児」ができる話」(次点飯城勇三「横溝正史とエラリー・クイーン」)。
なるほど、確かに冒頭の英文は不思議でしたが、そういう意味だったのか。
そして、そろそろ横溝正史からディクスン・カーを解放したほうがいいのではないか(逆?)。
「横溝正史とエラリー・クイーン」でも書かれていましたが、
横溝正史のミステリの骨法はエラリー・クイーンなんですよね。
カーの作品はあくまで語り口のキッカケにすぎない。
その証拠に、代表作のプロットはクイーンの作品を換骨奪胎させたもの。
とくに「Yの悲劇」は「獄門島」「八つ墓村」「犬神家の一族」(逆「Yの悲劇」)などなど。
ミスディレクションの使い方はカーよりフェアでうまいと思う。
そのカーの特集を組んだ「CRITICA vol.7」(探偵小説研究会編著)を密林で購入。
特集というにはボリュームがやや少なめ。

巽昌章「カー・空間・奇談」、「覗く・覗かれる」と言うより「犯行の舞台化」ではないでしょうか。
犯行の舞台化がミスディレクションを仕掛ける文字通り舞台となっているのでは。
ま、どうでもいいんですが。
あと「幽霊屋敷」の記述トリックについては同感!
それはともかく、頼んだはずの「チェスタトン特集」はどうなってしまったのだろうか。
※メールで、密林から調整中という知らせ。
チェスタトン特集の方がカー特集より売れているのだろうか。ショック
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