画家maruuの 心を磨く 絵を描く生活

50代主婦の絵を描く生活。
心穏やかにに生きるために、日々の思いを綴ってます。 maruからmaruuに改名しました。

可也山/安心が土台となる

2020-11-28 13:05:50 | 絵について
電車に乗って 可也山を描きに行った。

外で絵を描くのは、二十年ぶりぐらいかもしれない。
最近は体力もつき、とても元気になって、
ずっとやりたかった事を次々と実現してる。

9月の展示会、10月はふたつの公募展に応募することができた。
(落選してしまいましたが)
今月は、来年の3月に個展をする予定のアクロス福岡へ、
個展の宣伝用の絵を提出するため、
毎日、思い存分絵を描く生活をしていた。

絵を描く疲れは気持ち良い。
肩も痛くなるけれど、
その痛みすらうれしい。

沢山描きたいけれど、無理は良くない。
これから何十年もずっと長く描き続けるために。
整体で、描く生活に合う運動の指導も受けている。

休みながら描く、
合間にリラックスする体操をする。
歩く。
少しずつリズムができてきた。


電車に乗って、一貴山駅へ。
目の前に広がる田んぼの景色。
綺麗に植えられた苗が並ぶ。


浜まで20分。
この浜は4回目。
内海の穏やかさにいつもホッとする。


曇り空、
海と空が溶け合っていた。


砂浜に、
血管のような跡がどこまでも続いてた。

人も木も基本はこの形だ。

小さな流れが大きな流れに、
大きな流れが小さな流れになる。
小さな流れが大きな流れに、
集まって集まって大きな海になる。

地球の営み。


そして、お目当の可也山。
静かな海に、
逆さまに映る山。

大きな山も視界に入れると小さく感じる。
でも、心で感じようとすると、
山は心の中で、ずっしりと重く、
とてもとても大きい。

この重さが、心の中の安心になる。
この安心が土台となる。


日本は大きな大きなひとつ山。
その山の一部を、象徴として描きたい。

生き生きとした樹々が 生き物が育つ山に、
私たちは育まれてる。
この山があるから大丈夫。
この山に応える生き方をしないといけない。

この山に生かされてる事をよろこび続け、
その事を感じながら、
日々を過ごし、
そのよろこびを描きたい。

毎日の生活が私の絵になって行く。


写真を見ながら描くよりも、
実物を観て描くと気がつくことが沢山ある。
感動も沢山する。

筆の動きが早く、
絵の具を乗せる手に、
ぐっと力が入る。

山のエネルギーが伝わって来た。


心が、すーっと落ち着く瞬間。
普段は遠くの景色を見る機会が少ない。

リラックス。
自然を前にするとやさしくなれる。

人工的な硬い世の中は、
ひとを意地悪にする。
何でも自分の思った通りになる気がして、
ならないことに文句を言う。

海と空と山を観ていると、
謙虚にならないと、と思わされる。


帰りも畑の間を歩く。
ブロッコリーの畑。
いつも何気なく、買って食べているけれど、
誰かが手間をかけて育ててくれている。

立派な葉が太陽に向けて広がり、
精一杯生きてる。

もっと感謝をして、食事をしようと反省した。


畑の向こうに家が立ち並び、
煙が空に上がって行く。
人の営みを観ている。

駅の前の民家の軒先に座るおばあさんに、
しっぽを立てた猫が寄って行き、
おばあさんがやさしく猫を撫でていた。

何気ない日々の景色。
どの瞬間も、美しい。


ホームページでmaruuの絵を紹介してますhttp://maruartworks.com/






太宰府の大樟/へこたれない

2020-11-12 11:40:00 | 絵について

今描いているのは、
太宰府の、大樟。

へこたれなかったから、
1500年も生きて来られた。

これは、舞鶴公園の樟。
モリモリとした葉、
両側に広がっていく、枝の動きを、
描いてる絵に取り入れる。

目で見て感動したものを理想に近づけていく作業。
写真そのままでは物足りない。
粘土をこねるように、
自分の理想の形にして行く。

ひたすら樟の幹や根を描く。
色々なクスの写真を参考にしながら、
どん!と立つ姿、その足を描く。

ふんばる足を。

「もう嫌だ」と少し思った。

でも、自分の絵が観たい。
あれこれ描いてるうちに、
幹が力強くなってきた。
枝にも力が出てきた。

実際よりも大きく大きく広がって行く枝、
画面からはみ出る枝を。大きな樹は、耐えて耐えて、
折れ曲がりながら伸びる枝、
グッと力を入れてまた伸びて行く。

描きながら実感する樟のエネルギー。
何があっても伸びようとする意思、
その覚悟がかっこいい。

描きながら、
覚悟をしっかりしようと思った。
へこたれない覚悟を。

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