OH江戸ライフ

パクス・トクガワーナ♪
とりあえず江戸時代っぽいものが好きなのです♡

上田にいってきました~♡

2016-07-25 | 日記


『真田丸』熱に浮かされたオヤジをそそのかして誘って、行ってまいりました、丸抱え旅行~(けっけっけ

もちろんゴマは真田丸ではなく、松平伊賀守忠優(忠固)さまの長裃目当てだったわけですが…………



博物館に展示されてないじゃないかーっ!

…………

た、大河のせいで……展示史料が真田カラーに……
恐るべし……六文銭効果……
かくなるうえは、大河が終わったあとリベンジ再訪するしかない……
(長裃を見れば、身長とかがわかるんじゃないかと期待してたのに…グスン…

悔しいので、幕末関連の図録を買って帰りました

とはいえ、いいこともあったんです

今回泊まった別所温泉は、なんと上田藩主がよく湯治に訪れていた所だとか

なにしろ、別所温泉内の案内板に、そう書いてあったのです

【番所跡】
「江戸時代、上田藩主が別所の温泉に入浴の際、警護のために設けられた辻番所跡である。
大湯(今の公衆浴場)の脇に、真田氏以来歴代藩主の「お茶屋御殿」と称する保養所があり明治維新まで250年余も続いた。
当時の記録の一部を記すと、院内境橋西詰に一ヶ所、大湯入口小橋の脇に一ヶ所、薬師堂村橋に一ヶ所~(後略)」

この大湯というのが、ゴマの泊まった部屋(玉屋~)から見えた共同浴場なのです。
(大湯:木曽義仲・北条氏ゆかりの湯「木曽義仲が上洛前、側室・葵御前としばしば入浴していたので「葵の湯」とよばれていた。その後、北条義政が浴室を建て、北条湯ともよばれたが、その溢れ出る湯量の豊富さからのちに「大湯」と改められた」by別所温泉HPより)


つまり、チューさま(=忠優さん)もいらっしゃったかもしれない御殿が、ゴマの泊まった所に

チューさま、お傍にまいりましたぞ~
(あ~、シ

ちなみに、この案内板は大湯と北向き観音の中間地点にありました。


そして、もう一か所行った『海野宿』は、北国街道の宿場町。
ここの白鳥神社は木曽義仲挙兵の地だそうです。


(治承5年(1181年)6月、木曾衆・佐久衆・上州衆など3000騎を集結した小県郡白鳥河原はココの前だったらしい。でも、いまそれっぽい河原は見当たらなく……?)

それに、古民家好きアザラシ発狂必至、「殿、利息でござる」チックな町並み



(「うだつが上がらない」の語源となった「うだつ」)

ソバはうまいし、野菜もうまい

また行くぞ、信濃~



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする