(1994/マイケル・ラドフォード監督・共同脚本/フィリップ・ノワレ、マッシモ・トロイージ、マリア・グラツィア・クチノッタ、リンダ・モレッティ、アンナ・ボナルート/107分)
ノーベル文学賞も受賞したチリの世界的詩人で政治家のパブロ・ネルーダは、その共産主義思想のために1948年からの凡そ10年間を国外追放となり、一時期イタリアにも亡命していた。「イル・ポスティーノ」は、そんな歴史的事実を背景にチリ人のアントニオ・スカルメタが書いた小説を、イギリス人監督マイケル・ラドフォードが映画化したものです。2月に紹介した「モーターサイクル・ダイアリーズ(2003)」は1952年の南米が舞台で、共産主義者というだけで故郷を追われた夫婦が出てきますが、ネルーダの事情とも附合するところであります。
「イル・ポスティーノ【IL POSTINO】」を英語で表記すると【THE POSTMAN】。地中海に浮かぶイタリアの小島に亡命中のネルーダと、彼宛の郵便物の専属配達人となった若者との交流を描いた映画であります。
男達のほとんどが漁師という小さな島で、舟が苦手な為に、親のすねかじりに甘んじているマリオが主人公。母親は亡くなっており、やはり漁師の父親と二人暮らし。年老いた父親にも『お前も男なんだから、仕事を探せ』と言われている。
そんな折り、マリオが郵便局の前を通ると“配達人募集”の張り紙。必要事項である“要 自転車”もクリアしているため、早速中に入ると、それはこの島に滞在中のネルーダの為だけに臨時に募集されたものであった。映画の速報ニュースでも紹介された有名人のネルーダには世界中から郵便物が届く。1軒だけの配達なので給料も安く、チップも少ないが、マリオは配達人になることにするのだった。
差出人がほとんど女性ばかりのネルーダとはどんな男だろう。父親達と違い、読み書きが出来るマリオは、ネルーダの本も読み始める。
若くて美しい奥さんと『アモール』と呼び合うネルーダ。配達時に少しずつ会話を交わし、やがてマリオは詩作についても尋ねるようになり、ネルーダも素朴なマリオの質問に応える事を楽しんだ。美しい浜辺に腰掛け、マリオは“隠喩”について学び、暮らしの不便さについて政治に訴える必要性についても教えられる。共産主義者の郵便局長はネルーダをドン・パブロと呼ぶが、いつしかマリオも同じように敬称付で呼ぶようになった。
ある日、すねかじりの時には行く事もなかった港の食堂で、マリオは美しい娘に逢い、恋に落ちる。彼女の名はベアトリーチェ。食堂の女将の姪。彼女との結婚を夢見るマリオは、やがてネルーダの詩を彼女に書いて寄こし、ベアトリーチェもロマンチックなマリオに惹かれるのだが・・・。
マリオに扮したのは、この映画の脚本にも参加したマッシモ・トロイージ。ご贔屓ブログ「豆酢館」の館長によると、重い心臓病を抱えながらの撮影で、クランクアップ後に亡くなったとのことでした。
老人とのふれ合いにより若者が成長していくという話に、ショーン・コネリーの「小説家を見つけたら」を思い出しましたが、ちょっぴり年齢的に引っかかるものがある。このマリオも「小説家・・・」のスラム育ちの黒人少年と同じく、若者にお似合いのエピソードばかりなのに、撮影時には40歳くらいだったトロージが演じているため、どこかしっくりこない雰囲気があるのです。原作ではマリオは17歳の少年との事なので、この違和感は強ち間違いではなかったようで、マリオの純朴さは演技でカバーできていたけど、若者の恋物語には瑞々しさが不足していたようにも感じました。流石に、映画ではマリオは17歳の設定ではないようですがね。
ネルーダに扮したのは、フィリップ・ノワレ。「ニュー・シネマ・パラダイス」と共に、一昨年亡くなった彼の代表作の一つとなる作品でしょう。
かねてからの望み通り、ネルーダの立ち会いの元にベアトリーチェと結婚するマリオ。
婚礼の宴の最中にネルーダに祖国から手紙が届く。それはネルーダに対する逮捕状の取消処分の連絡で、彼は晴れてチリに帰れるようになる。朗報を報告するネルーダと喜びを分かち合うマリオ。ネルーダが祖国に帰れるということは、即ちマリオとの別れを意味しており、更にはマリオの失業をも意味しているのだが。
ここまでで、上映時間は約80分。その後の30分で、マリオやベアトリーチェ、郵便局長らの後日談が語られる。
新聞に登場するその後のネルーダは、イタリアでの生活について語る時に、島の美しさ等には触れるもののマリオ達の名が出てくることはない。ベアトリーチェの叔母などはそれに不満を漏らすが、マリオは言う。
『俺たちがあの人に何をしてあげた? むしろ、教えて貰うことばかりだった』
チリのネルーダの秘書から、島に残したネルーダの荷物をチリに送ってくれるように手紙が届く。荷物の中にはテープレコーダーも有り、ドン・パブロの為にと、マリオと郵便局長が“島の音”を録音するシーンが印象的だ。寄せ来る波。岸壁を吹く風。漁船の網をあげる音。教会の鐘の音と神父の声。そして、美しい星空を眺める時にそよぐ風。
アコーディオンかバンドネオンを使った音楽が如何にもヨーロッパの雰囲気で、星や海を眺めながら物思いに耽るマリオのバックに流れるロマンチックなピアノの旋律も美しいです。
脚本を書いたのは、アンナ・パヴィニャーノ、マイケル・ラドフォード、フリオ・スカルペッリ、ジャコモ・スカルペッリ、そしてマッシモ・トロイージ。
1995年の米国アカデミー賞で、作品賞、主演男優賞(トロイージ)、監督賞(ラドフォード)、脚色賞にノミネートされ、音楽賞(ルイス・エンリケス・バカロフ)を受賞。
英国アカデミー賞でも主演男優賞、脚色賞にノミネートされ、監督賞(デヴィッド・リーン賞)、外国語映画賞、作曲賞(アンソニー・アスクィス映画音楽賞)を受賞したそうです。
ノーベル文学賞も受賞したチリの世界的詩人で政治家のパブロ・ネルーダは、その共産主義思想のために1948年からの凡そ10年間を国外追放となり、一時期イタリアにも亡命していた。「イル・ポスティーノ」は、そんな歴史的事実を背景にチリ人のアントニオ・スカルメタが書いた小説を、イギリス人監督マイケル・ラドフォードが映画化したものです。2月に紹介した「モーターサイクル・ダイアリーズ(2003)」は1952年の南米が舞台で、共産主義者というだけで故郷を追われた夫婦が出てきますが、ネルーダの事情とも附合するところであります。
「イル・ポスティーノ【IL POSTINO】」を英語で表記すると【THE POSTMAN】。地中海に浮かぶイタリアの小島に亡命中のネルーダと、彼宛の郵便物の専属配達人となった若者との交流を描いた映画であります。
*
男達のほとんどが漁師という小さな島で、舟が苦手な為に、親のすねかじりに甘んじているマリオが主人公。母親は亡くなっており、やはり漁師の父親と二人暮らし。年老いた父親にも『お前も男なんだから、仕事を探せ』と言われている。
そんな折り、マリオが郵便局の前を通ると“配達人募集”の張り紙。必要事項である“要 自転車”もクリアしているため、早速中に入ると、それはこの島に滞在中のネルーダの為だけに臨時に募集されたものであった。映画の速報ニュースでも紹介された有名人のネルーダには世界中から郵便物が届く。1軒だけの配達なので給料も安く、チップも少ないが、マリオは配達人になることにするのだった。
差出人がほとんど女性ばかりのネルーダとはどんな男だろう。父親達と違い、読み書きが出来るマリオは、ネルーダの本も読み始める。
若くて美しい奥さんと『アモール』と呼び合うネルーダ。配達時に少しずつ会話を交わし、やがてマリオは詩作についても尋ねるようになり、ネルーダも素朴なマリオの質問に応える事を楽しんだ。美しい浜辺に腰掛け、マリオは“隠喩”について学び、暮らしの不便さについて政治に訴える必要性についても教えられる。共産主義者の郵便局長はネルーダをドン・パブロと呼ぶが、いつしかマリオも同じように敬称付で呼ぶようになった。
ある日、すねかじりの時には行く事もなかった港の食堂で、マリオは美しい娘に逢い、恋に落ちる。彼女の名はベアトリーチェ。食堂の女将の姪。彼女との結婚を夢見るマリオは、やがてネルーダの詩を彼女に書いて寄こし、ベアトリーチェもロマンチックなマリオに惹かれるのだが・・・。
*
マリオに扮したのは、この映画の脚本にも参加したマッシモ・トロイージ。ご贔屓ブログ「豆酢館」の館長によると、重い心臓病を抱えながらの撮影で、クランクアップ後に亡くなったとのことでした。
老人とのふれ合いにより若者が成長していくという話に、ショーン・コネリーの「小説家を見つけたら」を思い出しましたが、ちょっぴり年齢的に引っかかるものがある。このマリオも「小説家・・・」のスラム育ちの黒人少年と同じく、若者にお似合いのエピソードばかりなのに、撮影時には40歳くらいだったトロージが演じているため、どこかしっくりこない雰囲気があるのです。原作ではマリオは17歳の少年との事なので、この違和感は強ち間違いではなかったようで、マリオの純朴さは演技でカバーできていたけど、若者の恋物語には瑞々しさが不足していたようにも感じました。流石に、映画ではマリオは17歳の設定ではないようですがね。
ネルーダに扮したのは、フィリップ・ノワレ。「ニュー・シネマ・パラダイス」と共に、一昨年亡くなった彼の代表作の一つとなる作品でしょう。
*
かねてからの望み通り、ネルーダの立ち会いの元にベアトリーチェと結婚するマリオ。
婚礼の宴の最中にネルーダに祖国から手紙が届く。それはネルーダに対する逮捕状の取消処分の連絡で、彼は晴れてチリに帰れるようになる。朗報を報告するネルーダと喜びを分かち合うマリオ。ネルーダが祖国に帰れるということは、即ちマリオとの別れを意味しており、更にはマリオの失業をも意味しているのだが。
ここまでで、上映時間は約80分。その後の30分で、マリオやベアトリーチェ、郵便局長らの後日談が語られる。
新聞に登場するその後のネルーダは、イタリアでの生活について語る時に、島の美しさ等には触れるもののマリオ達の名が出てくることはない。ベアトリーチェの叔母などはそれに不満を漏らすが、マリオは言う。
『俺たちがあの人に何をしてあげた? むしろ、教えて貰うことばかりだった』
チリのネルーダの秘書から、島に残したネルーダの荷物をチリに送ってくれるように手紙が届く。荷物の中にはテープレコーダーも有り、ドン・パブロの為にと、マリオと郵便局長が“島の音”を録音するシーンが印象的だ。寄せ来る波。岸壁を吹く風。漁船の網をあげる音。教会の鐘の音と神父の声。そして、美しい星空を眺める時にそよぐ風。
アコーディオンかバンドネオンを使った音楽が如何にもヨーロッパの雰囲気で、星や海を眺めながら物思いに耽るマリオのバックに流れるロマンチックなピアノの旋律も美しいです。
脚本を書いたのは、アンナ・パヴィニャーノ、マイケル・ラドフォード、フリオ・スカルペッリ、ジャコモ・スカルペッリ、そしてマッシモ・トロイージ。
1995年の米国アカデミー賞で、作品賞、主演男優賞(トロイージ)、監督賞(ラドフォード)、脚色賞にノミネートされ、音楽賞(ルイス・エンリケス・バカロフ)を受賞。
英国アカデミー賞でも主演男優賞、脚色賞にノミネートされ、監督賞(デヴィッド・リーン賞)、外国語映画賞、作曲賞(アンソニー・アスクィス映画音楽賞)を受賞したそうです。
・お薦め度【★★★=一度は見ましょう】
クランクアップ後12時間で亡くなるというトロイージの人生、凄いですね。執念を感じます。
だけども、鑑賞後には柔らかな感情に包まれる、そんな映画ですよね。
>外国語映画賞という部門がなくなり・・
2008年の「おくりびと」は外国語映画賞だったので、何時変わったんだろうと調べたら今年からでした。つまり例の「パラサイト・・」が作品賞と共に国際長編映画賞も獲った所から始まったんですね。
年齢が一番の理由でしょうけれど、マッシモ・トロイージが闘病中であったところに無理があるとして喫する人もいます。僕は余り考えませんでしたが、一理ありますね。
>1995年の米国アカデミー賞で、作品賞
ほおぅ、そうですか。
最近は垣根がなくなりつつありますが、25年前ではまだ外国語映画賞以外の主要部門は英語で語られる映画に限られていたわけですから、珍しいですね。多分監督マイケル・ラドフォードが英国人ということを考慮した例外だったのかもしれませんね。
言語の垣根がなくなった為に、確か、外国語映画賞という部門がなくなり、国際長編映画賞に代わりましたね。実質的に大して変わらないとは思いますが。
この映画もそうだけど、同じ時代のイタリア映画も見直したくなる、そんな雰囲気がありましたね。
原作の主人公は17歳の設定だったんですね。
瑞々しさという点では劣るけれど、でもそれを差し引いても、再鑑賞してみてやはり胸を打つものがありました。マッシモ・トロイージさんの朴訥とした雰囲気が良かったし、逆に人生を諦めてしまっている島民たちの意識がよく出ていたんではないかしらって思います。
淡々とした描き方なんだけど、それがかえって感動的。
「イル・ポスティーノ」にはそんなシーンはないから、ゆっくりと再見して下さい。
主演の彼は喘息が元で亡くなったそうで、持病として喘息をもっている私は「ううう、喘息で死ぬのだけイヤ」と思いました。
発作とつきあいながらの撮影だったわけで、肉体の苦しさを想像すると・・
でも、こんな名作を残すことができて、ある意味幸せな一生だったと言えるのかも・・ね
バンドネオンとピアノで演奏されたBGMがとても素敵でした。
監督やトロイージの、とても興味深い人生の背景。映画作りの難しさも感じましたネェ。
>原作ではマリオは17歳の少年との事なので、この違和感は強ち間違いではなかったようで
そうなんです(笑)。
さすがにマリオの恋物語の方は、瑞々しいとはいいかねますが(苦笑)、トロイージの演技は忘れがたいものがありますねえ。彼にこの映画の成功を見せてあげたかったです…。