テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

夜と霧

2014-03-16 | ドキュメンタリー
(1955/監督:アラン・レネ/原作・脚本:ジャン・ケイヨール/撮影:ギスラン・クロケ、サッシャ・ヴィエルニ/音楽:ハンス・アイスラー/ナレーション:ミシェル・ブーケ/32分)


アラン・レネ追悼と「夜と霧」借りてきたのに今日は観れなかった。
 [ 3月 9日(→twitter より)]

明日が返却日のアラン・レネの「夜と霧」を観る。部分的には何度か観た映画だが、頭から通して観るのは初めてだ。ドキュメンタリーの傑作。作者の意志と意図がしっかりと貫かれているのを感じる。ナレーションされる言葉のなんと示唆に富んでいることか!人間は油断すると直ぐに残酷になる。
 [ 3月 14日 ]

「夜と霧」、返却前にもう一度観る。流石に終盤の5分の痩せこけた遺体がゴロゴロしているシーンは早送りした。レネたちが撮影した映像はカラーで、当時の強制収容所の跡をドキュメントしたモノ。過去のシーンは、モノクロのスチール写真やニュース映像(或いはナチの記録映像)を使っている。
 [ 3月 15日 以下同じ]

脚本があるが、良く分からずに収容されていった人が、その待遇に驚き、恐怖し、蹂躙されていった様子が順を追って感じられるように構成してある。ナチの反ユダヤ主義の説明もない。ただ、行われたホロコーストの結果だけが報告され、人間の残酷さが暴かれる。

大いに見ろとは言いにくいが、風化していいものではないので、大人は一度は見るべきだろう。コレだけの(殺されたのは900万人とも一千万人とも云われている)殺戮がありながら、当時のドイツ国民の3分の1しか知らなかったという話もあり、情報統制の凄さも感じる。

アラン・レネ。「去年マリエンバートで」は一度だけ観て、凄く退屈した思い出しかない。もう一度観てみたい。それと「戦争は終わった」、「ミリュエル」、「恋するシャンソン」、「風にそよぐ草」etc。「薔薇のスタビスキー」は録画してあるんだが・・・。

*

<夜と霧(独:Nacht und Nebel, NN)は、1941年12月7日、アドルフ・ヒトラーにより発せられた命令である。いわゆる総統命令の一つ。
(中略)
 この法が施行当初意図していたことは、ナチス・ドイツ占領地全域において全ての政治活動家やレジスタンス「擁護者」の中から「ドイツの治安を危険に晒す」一部の人物を選別することであった。この2ヶ月後、国防軍最高司令部総長ヴィルヘルム・カイテルは、占領地において収監された後その8日後時点で生存している収監者も全て対象に含めることを画策し、同法の適用対象を拡大した。この命令は、「行方不明者」の友人や家族に対し、行方不明者の所在や彼らの死に関する一切の情報を与えないことで地元住民に対し服従を強要するという意図があった。収監者はドイツへ密かに連行され、まるで夜霧のごとく跡形も無く消え去った。1945年、押収されたSD(ナチス親衛隊情報部)の記録の中に、まれに"Nacht und Nebel"という呼称と"NN"なるイニシャルが記載されているのが見つかったが、遺体が埋められている場所などは一切記録が無かった。こんにちに至るまで、この命令が出された結果、多くの人々がどのように消えていったかは未だに分かっていない>(ウィキペディアより)

 過去の既存のスチール写真を使った部分でも、音楽やナレーションとの相乗効果はドキドキするほどスリリング。ナチスの残虐な結果を知っているから故の事とはいえ、アラン・レネの編集感覚の凄さを感じる所だ。
 あまりごちゃごちゃと書きたくないが、ラストのナレーションは字幕をそのままに紹介しておきたいと思う。

 “火葬場は廃墟に ナチは過去になる
  だが、900万の霊がさまよう

  我々の中のだれが戦争を警戒し、知らせるのか
  次の戦争を防げるのか
  今もカポが、将校が、密告者が隣にいる
  信じる人、信じない人

  廃墟の下に死んだ怪物を見つめる我々は
  遠ざかる映像の前で
  希望が回復したふりをする
  ある国のある時期の話と言い聞かせ
  絶え間ない悲鳴に耳を貸さぬ我々がいる”






・お薦め度【★★★★=ホロコーストについて知らない、友達にも薦めて】 テアトル十瑠

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