(2003/ウォルター・サレス監督/ガエル・ガルシア・ベルナル、ロドリゴ・デ・ラ・セルナ、ミア・マエストロ、メルセデス・モラーン、ジャン・ピエール・ノエル/127分)
家族のいない熟年女性と、母親と死に別れた少年との父親探しのロード・ムーヴィー、「セントラル・ステーション」で僕を泣かせてくれたウォルター・サレスが、その5年後にR・レッドフォードのプロデュースで作った、今度は若者二人がバイクで旅をするロード・ムーヴィーだ。
主人公はエルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ。通称チェ・ゲバラ。
先日、キューバのカストロ議長が引退を表明したが、ゲバラはカストロと共にキューバ革命の旗頭だった革命家で、要するに、これは実話を元にしている映画であります。
1952年1月4日からの凡そ半年間。アルゼンチンの比較的裕福な家庭に育ち、医学の道を目指していた23歳のゲバラが、7歳年上の生化学者、アルベルトと共に南米縦断の旅に出、その時に綴った日記が元になっている。【原題:THE MOTORCYCLE DIARIES】
(ゲバラの)大学卒業前に、本でしか知らない南米のその他の国々を実際に見てみたいというのが彼らの目的で、とりあえずの目的地は大陸の最北端のグラヒラ半島。ゲバラの専門はハンセン病であり、アマゾンの奥にある療養所にも立ち寄る予定だった。当初の手段は、アルベルトが持っていた大型二輪に二人乗りだが、全行程8000㎞には耐えられず、途中からは徒歩やヒッチハイク、そしてアマゾン河の船の旅になる。
実話なので「セントラル・ステーション」のような伏線のあるエピソードはないが、僅かなお金しかない旅であり、おまけにゲバラは幼少期からの喘息持ちで死の危険にさらされることもあり、面白いロード・ムーヴィーとしての土台は出来ております。
スケッチ風というには些か重いムードはあるが、ジャンプ・カットを混じえた語り口には弛みが無く、厳しくも美しい南米の大自然を捉えたエリック・ゴーティエのカメラも印象的だった。
この旅によって、ゲバラは同じ大陸の同胞達の様子を見聞きし、ある考えに目覚めるが、そこにはまだマルクス主義は入っていないようだった。正義感に溢れる若者の、旅立ちストーリーと言ってよいと思う。
旅の初めに恋人の家にも寄るが、彼女の親は結婚に反対していて、彼女は無事を祈ってくれたが、永遠に待つとは約束できないとも言った。
異国の人々はどこも貧しく、二人の旅も過酷なものとなるが、ゲバラは目的を全うしたいという強固な意志を持っていたし、アルベルトには天性の明るさがあった。
ブエノスアイレスを西に向かってチリに入り、アンデス山脈に沿って北上する。1月はアチラでは夏のはずだが、山越えは雪の中だった。
マチュピチュでは、スペイン人に侵略された古代インカの人々に想いを馳せる。
共産主義者だというだけで、生まれ住んだ土地を奪われ、放浪の旅をする夫婦にも会う。ペルーの山の中にもアメリカ資本の企業が進出しており、安い労働者を確保していた。
リマでは大学の教授に紹介された医師と面会し、サンパブロにあるハンセン療養所への紹介状を書いてもらう。
リマの医師が、ハンセン療養所での体験は君達の人生に貴重なものとなるであろう、と言ったとおり、終盤のハンセン療養所でのエピソードが映画のクライマックスとなる。
生化学者であるアルベルトは研究の手伝い、医者の卵であるゲバラは治療の手伝いをする。看護をしている女性は全てシスターだったが、彼女達にもハンセン病の理解が不足していて、謂われない差別が行われていた。重症患者と軽症患者は河を隔てて分けられており、療養所での最終日、ゲバラは抗議の意味もあったのだろう、この河を泳いで渡り、患者の喝采を浴びる。
大勢の関係者に見送られながら、筏(いかだ)で更に北上する頃には、旅は1万キロを越えるものとなった。
映画の終わりは、アルベルトとゲバラのカラカス空港での別れのシーンだった。
アルベルトは療養所で引き続き働く予定であり、ゲバラにも卒業後には(病院に)来ないかと誘うが、ゲバラは多分そうはならないだろうと答える。ゲバラは、今の自分がかつての自分ではないことに気付いていた。
旅で感じたことは、南米の国々が貧しくて、人々の意識がバラバラだということ。医者になることよりも、もっと重要な道があると感じさせた旅だった。
飛び立っていく飛行機を見送るアルベルト。ゲバラのモノローグに被せて、旅で出会った色々な人々がモノクロの映像で流れてくる。
黒いスクリーンに静かにクレジットが流れ、二人のその後を解説する。
二人が再会するのは8年後のキューバ。1960年、アルベルトを出迎えたゲバラは、キューバ革命軍の司令官だった。
1967年10月8日。ゲバラは、ボリビアでのゲリラ活動中にCIAに逮捕され、翌日処刑される。
画面が替わると、一人の老人が飛行機を見送っている。
再会後、キューバ国民となり、医療活動に身を捧げ、子供や孫たちと余生を送っている現在のアルベルトだった。
ゲバラに扮していたのは、「バベル」のガエル・ガルシア・ベルナル。
ラストシーンとエンドクレジットに流れてくる哀愁漂うメロディーも、「バベル」のグスターボ・サンタオラヤだった。
カンヌ映画祭ではパルム・ドール(ウォルター・サレス)に、ゴールデン・グローブ、セザール賞では外国語映画賞にノミネートされ、英国アカデミー賞でも作品賞他でノミネートされ、外国語映画賞、作曲賞を受賞したとのこと。
尚、アルベルト役のロドリゴ・デ・ラ・セルナは、名前でもわかるようにゲバラの血縁者で、映画サイトの情報によると“はとこ”の関係だそうである。
家族のいない熟年女性と、母親と死に別れた少年との父親探しのロード・ムーヴィー、「セントラル・ステーション」で僕を泣かせてくれたウォルター・サレスが、その5年後にR・レッドフォードのプロデュースで作った、今度は若者二人がバイクで旅をするロード・ムーヴィーだ。
主人公はエルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ。通称チェ・ゲバラ。
先日、キューバのカストロ議長が引退を表明したが、ゲバラはカストロと共にキューバ革命の旗頭だった革命家で、要するに、これは実話を元にしている映画であります。
1952年1月4日からの凡そ半年間。アルゼンチンの比較的裕福な家庭に育ち、医学の道を目指していた23歳のゲバラが、7歳年上の生化学者、アルベルトと共に南米縦断の旅に出、その時に綴った日記が元になっている。【原題:THE MOTORCYCLE DIARIES】
(ゲバラの)大学卒業前に、本でしか知らない南米のその他の国々を実際に見てみたいというのが彼らの目的で、とりあえずの目的地は大陸の最北端のグラヒラ半島。ゲバラの専門はハンセン病であり、アマゾンの奥にある療養所にも立ち寄る予定だった。当初の手段は、アルベルトが持っていた大型二輪に二人乗りだが、全行程8000㎞には耐えられず、途中からは徒歩やヒッチハイク、そしてアマゾン河の船の旅になる。
実話なので「セントラル・ステーション」のような伏線のあるエピソードはないが、僅かなお金しかない旅であり、おまけにゲバラは幼少期からの喘息持ちで死の危険にさらされることもあり、面白いロード・ムーヴィーとしての土台は出来ております。
スケッチ風というには些か重いムードはあるが、ジャンプ・カットを混じえた語り口には弛みが無く、厳しくも美しい南米の大自然を捉えたエリック・ゴーティエのカメラも印象的だった。
*
この旅によって、ゲバラは同じ大陸の同胞達の様子を見聞きし、ある考えに目覚めるが、そこにはまだマルクス主義は入っていないようだった。正義感に溢れる若者の、旅立ちストーリーと言ってよいと思う。
旅の初めに恋人の家にも寄るが、彼女の親は結婚に反対していて、彼女は無事を祈ってくれたが、永遠に待つとは約束できないとも言った。
異国の人々はどこも貧しく、二人の旅も過酷なものとなるが、ゲバラは目的を全うしたいという強固な意志を持っていたし、アルベルトには天性の明るさがあった。
ブエノスアイレスを西に向かってチリに入り、アンデス山脈に沿って北上する。1月はアチラでは夏のはずだが、山越えは雪の中だった。
マチュピチュでは、スペイン人に侵略された古代インカの人々に想いを馳せる。
共産主義者だというだけで、生まれ住んだ土地を奪われ、放浪の旅をする夫婦にも会う。ペルーの山の中にもアメリカ資本の企業が進出しており、安い労働者を確保していた。
リマでは大学の教授に紹介された医師と面会し、サンパブロにあるハンセン療養所への紹介状を書いてもらう。
リマの医師が、ハンセン療養所での体験は君達の人生に貴重なものとなるであろう、と言ったとおり、終盤のハンセン療養所でのエピソードが映画のクライマックスとなる。
生化学者であるアルベルトは研究の手伝い、医者の卵であるゲバラは治療の手伝いをする。看護をしている女性は全てシスターだったが、彼女達にもハンセン病の理解が不足していて、謂われない差別が行われていた。重症患者と軽症患者は河を隔てて分けられており、療養所での最終日、ゲバラは抗議の意味もあったのだろう、この河を泳いで渡り、患者の喝采を浴びる。
大勢の関係者に見送られながら、筏(いかだ)で更に北上する頃には、旅は1万キロを越えるものとなった。
映画の終わりは、アルベルトとゲバラのカラカス空港での別れのシーンだった。
アルベルトは療養所で引き続き働く予定であり、ゲバラにも卒業後には(病院に)来ないかと誘うが、ゲバラは多分そうはならないだろうと答える。ゲバラは、今の自分がかつての自分ではないことに気付いていた。
旅で感じたことは、南米の国々が貧しくて、人々の意識がバラバラだということ。医者になることよりも、もっと重要な道があると感じさせた旅だった。
飛び立っていく飛行機を見送るアルベルト。ゲバラのモノローグに被せて、旅で出会った色々な人々がモノクロの映像で流れてくる。
黒いスクリーンに静かにクレジットが流れ、二人のその後を解説する。
二人が再会するのは8年後のキューバ。1960年、アルベルトを出迎えたゲバラは、キューバ革命軍の司令官だった。
1967年10月8日。ゲバラは、ボリビアでのゲリラ活動中にCIAに逮捕され、翌日処刑される。
画面が替わると、一人の老人が飛行機を見送っている。
再会後、キューバ国民となり、医療活動に身を捧げ、子供や孫たちと余生を送っている現在のアルベルトだった。
*
ゲバラに扮していたのは、「バベル」のガエル・ガルシア・ベルナル。
ラストシーンとエンドクレジットに流れてくる哀愁漂うメロディーも、「バベル」のグスターボ・サンタオラヤだった。
カンヌ映画祭ではパルム・ドール(ウォルター・サレス)に、ゴールデン・グローブ、セザール賞では外国語映画賞にノミネートされ、英国アカデミー賞でも作品賞他でノミネートされ、外国語映画賞、作曲賞を受賞したとのこと。
尚、アルベルト役のロドリゴ・デ・ラ・セルナは、名前でもわかるようにゲバラの血縁者で、映画サイトの情報によると“はとこ”の関係だそうである。
・お薦め度【★★★=一度は見ましょう、私は二度見ましたが】
本作は革命運動に身を投じる前に医学生だった一人の青年だった彼の日記を元に製作されているからでしょうね。観た時は、日記から、もう少し彼の内面を掘り下げて描いて欲しかったなってないものねだりの気持ちが起こりましたが。
彼は政治的人間ではなくって、真摯に革命を考えていた。最後は彼と決別するんですけどね、カストロにうまく祭り上げられた、ゲバラの悲劇的な最期を思うと、未来に夢を持っていた若かりし日の彼のこんな姿に切なさを覚えます。
数十年前にも、ブームがありましたが、革命を欲しているのか、ただのファッションか。
確かに、魅力的な人物ではありますね。
“フーセル”=激しい男。これが、彼のあだ名でした。
ウォルター・サレスの映画では、これと「ビハインド・ザ・サン」がひっそりお気に入りです。ロード・ムービーはやはりいいです。ほんとに。
ゲバラは、今の若い人たちにとってはイコンです。でもその意味するところは、おそらくファッションのひとつでしかないようにも思えます。セレブの延長でしょうね。
実際の彼は一筋縄ではいかない人物であったはず。だからこそ様々な逸話が残っているのであり、今もなお大きな影響力を持っているのでしょうし。
北の姐さんのお友達のカゴメさんチには、topに彼の顔が出てきますね。
「ビハインド・ザ・サン」は未見ですが、サレスはご贔屓にしたい監督なので、メモったど~。