はなナ

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●「日本画の教科書ー京都編ー」1 山種美術館

2017-01-27 | Art

山種美術館「日本画の教科書ー京都編ー」 2016.12.10~ 2017.2.5


明治以降の京都画壇で活躍した約30人。なかでも心に残ったのが、伊藤小坡「虫売り」、上村松篁「千鳥」、山口華陽「木精」。

伊藤小坡(1877~1968)「虫売り」1932

虫かごの並んだ小さな移動式店舗の前にいる虫売りの女性。手ぬぐいで顔が隠れているけれど、赤い唇だけがのぞく。その美しさと気品と色気に、どきり。

おわら風の盆を思い出したり。(写真はこちらから)

 

絵に戻ると、柳の少し丸まった葉の息遣いが、かわいらしくもなまめかしく。市松の青い屋根、黒い着物に桔梗の花、各色が効いていて小物にも気を抜かない。

一見子供が遊ぶほほえましい絵に、実は美しさや色気を隠す伊藤小坡。数日後に畠山美術館でも一枚出会ったので、あとはそちらの日記に書きました。

 

上村松篁(1902~2001)「千鳥」1976 この絵以来上村松篁に開眼。

小さいもの、強くはないものに向ける松篁の眼差しがやさしいです。

月見草がやさしい。二羽の千鳥がかわいい。

二羽は楽しい気持ちでいるんでしょう。大きさも二羽は違う。微妙に違う方向を見つつも、一緒に歩くのが楽しい。

母、松園は見る者の邪心すら消えさせる清らかな美人を描いたけれど、松篁の鳥は、邪心にも傷心にも普通の時も、心の固まったところをほろほろと溶かしてしまう感じ。

「小さな生き物が好き。ハトなど鳥を見ていると何時間でも飽きることがなかった。尾や顔も見分けられた。好きなものを描いて、今に至った。その間伝統とゆれたことも(要約)」と。

 

上村松篁「白孔雀」1973

白い孔雀が幻想的で。真っ白で、少しだけ黄、緑、ほんの少し赤も。鳥の目線は気高い感じ。そして黄色いハイビスカスの様子が好きなところ。

ハイビスカスも先ほどの絵の月見草も、鳥を見ている。月見草は千鳥と一緒に遊びたそうだし、ハイビスカスは白孔雀をみて「なんてきれいなんだろうね」と話し合っている。鳥も花も、松篁のお友達なんだと思う。鳥を見る花の目線が、松篁自身なのかも。

 

松篁は石崎光瑤「燦雨」(◎大正8年 ◎六曲一双屏風)に感銘を受けて、熱帯へ旅立ち、この絵を描いた。70才を超えてのインドとハワイ。そんなおばあちゃんになろうと思う。

その崎光瑤(1884~1947)「燦雨」(画像はこちら。左隻)

 

石崎光瑤も竹内栖鳳に学んだ。大正5~6年にインドを旅し、この屏風絵で認められた。故郷、南砺市の福光美術館で常設展示があるようなので、そのうちプチトリップに出なくては。

 

山口 華楊(1899~1984)「木精」1974 息づく精気。なんていいんだろう。

北野天満のケヤキだそう。このミミズクはかつて飼っていた。木の写生をしていたら何かの拍子に亡きミミズクが立ち現れて木の根にとまった、と。

からむ木の根は、確かに木の精を感じる。先端まで意志を持ち、呼吸している。その精が体をつつんでくるような感覚。それがなんだか安心感。

ミミズクが振り返ってくれるからか、とってもかわいい。現実のミミズクではないように淡い光の中にいる。久しぶりに会えたね、と華楊は喜んでいる。ここにいたのかい。と。

 

山口 華楊「生」1973

生まれたばかりの但馬牛。戦前の写生から36年もたって、その感動が消えることなくこの絵を描いた。覚えている華陽がすごい。

栖鳳の動物は骨や肉付きとともに体温まで感じるけれど、華楊は奥の奥にほんのりともる精というか生というか。動物だけでなく、高島屋で見たケシの花も心に残る絵だった。また回顧展がないかな。

 

京都画壇は、東京美術学校を中心として日本美術はどうあるべきかと政治も絡んで試行錯誤していた東京とは、何か違う。続きは2に。



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