hanana

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●東博(本館二階)ー池大雅「楼閣山水図屏風」、伝狩野元信「囲棋観曝囲屏風」

2017-02-18 | Art

1と2の続き

時間が無くなってきたので、お目当ての池大雅の「楼閣山水図屏風のある国宝室から、狩野元信のある水墨の部屋までを見て帰ることに。

池大雅「楼閣山水図屏風」18世紀

少し前まで、「南画」にささるものが何もなかった私。中国の景色画ばかりだけど、この人たち行ったことないのに描いているのよね、どれも同じに見えるのよね、とか思っていた。すみません。

その浅慮を一蹴してくれたのが、私にとっては池大雅。誰とも違う。ぶっとんでておもしろい。その池大雅の作品のなかでも、「大雅のベストオブベスト」(解説)というこの大きな屏風、ずっと見たいと思っていた。

この楼閣山水図屏風は、行ったことないからこそのイメージ世界。宋の范仲淹(はんちゅうえん)の『岳陽楼記』欧陽脩『酔翁亭記』の記述、清初期の邵振先の小画帖「張環翁祝寿画冊」に出ているたった二つの小さな図をもとに、池大雅はここまで壮大に膨らませて描いた。

これを開いたとたん、所有者のお部屋はもう、当時の憧れの先進国・中国に一変したでしょう。

右隻は、唐の詩人孟浩然李白ゆかりの洞庭湖を眺望する「岳陽楼」と、湖水が長江に注ぐところ。

とにかく、大雅のエネルギーに圧倒され、巻き込まれる。

木の葉は燃え立ち、山は内から山意?をあふれさせている。木は濃淡つけて墨でここまで立体化させる。

そんななかに、くつろぐ人、何か言っている人。彼らの目までしっかり、表情と状況を描きだしている。

自在に自由に曲線が走る中、屋根のすじの線と舟のマストはまっすぐひかれている。でも、まっすぐなのに尖った線ではなく、どこか丸みとリラックス感ある線。人がひいた線はまっすぐでも、やわらかい。

そして、真ん中の曲。柳の葉の流れに海風を感じながら、波のゆらぎに気持ちを任せると、広やかで開放感。屏風の紙の上と思えない。長江に舟がこぎ出している。

沖合に出るに従い、波はどんぶら、どんぶら感。舟では、一生懸命帆を操る人の姿。自然が支配する世界になっていく。

絶妙に散らされた青色と、差した赤色のバランスが絶妙なのだろう。粋だ。

 

左隻は、「北宋の詩人欧陽修が琅?山(ろうやさん)に建てた、「酔翁亭(すいおうてい)」のたたずまい。

大気が満ちてくる山。自然の山の気のなかに、人工的な酔翁亭をも違和感なく溶け込ませている。

そして、やっぱり飲んだくれてるおじさんズ。

自在に描き分けられた木の葉のリズムが途切れず、その線から、大雅の気というか木の葉の精というか、放出されている。

岩は生き物のよう。よく見ると上から胡粉を足して、際立たせている。屋根や人のシルエットにも少し足していた。

山も岩も木も大気も気を放ち、そこにいる人々もいい感じで酔い、釣りをし、浮遊し。自然のリズムとなんら違和感ない。それは最高の心地だと思う

筆を走らせる大雅の腕や体にみなぎるパワーに引き込まれた時間。細部までこれほど緻密に描き切っているのに、神経使って描きましたよ的な力みが、全くない。力量あるものが、さらにキャリアを経て得られるこのステージ、かっこいい。

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そしてもうひとつ、心打たれた屏風も広やかな世界。

伝狩野元信(1477~1559)「囲棋観曝囲屏風」

楽しみにしていた元信。狩野一族でも絵の持つ強さで言ったら、元信、山楽、永徳が浮かぶ。「狩野派は、雪舟や周文といった画僧に代わり、15世紀末期には水墨画製作の担い手として台頭した」と。元信の政治力はすごい。

絵もすごい。いやすごい。

池大雅は、筆が沸き立ち、踊る。

元信の筆は、走る。進む。そして線を目で追うごとに、筆の先の先で止める瞬間、放す瞬間を感じ、元信の気持ちと腕力の強靭さを想像する。

 

右隻は囲碁、左隻は滝だった。少し離れて見ると、右隻は横ライン、左隻は縦ラインな構成。そして右隻はおおむね静、左は動の世界。

右隻:飲み物も用意してのんびり囲碁を。

でも囲碁を打つ人の顔がしかめっつら、苦戦しているらしい。元信は細かいとこを見ても楽しい。

でも松の枝ぶりは走る走る。

遠くで霞む林は、等伯「松林図」を思い出してどきり。

ひとつ上の写真の松にも、その向こうに林が霞んでいる。遠近を意識しているのかな。この霞んだ林は、元信の画の好きなところである。他の狩野派絵師たちの線やぼかしより格段に雰囲気がある。

 

左隻は迫力のある滝。

まっすぐな筆致のすごさ。せまるようなアバンギャルド感ある岩は雪舟ぽい?

そしてもうもうとした水煙に目を見張る。なんともいえずあいまいにふんわりとして、陰影まで美しい。

ここまででもう胸がいっぱいなくらいなのに、これでもかと、遠方の山の美しさ。

松の枝には、立体になるように陰影をつけていて、枝の構成自体も前後3Dに立ち上がって見えてくる。

建物のなかから滝を観る人と滝の間には、たっぷりな余白に濃厚な大気が立ち込めている。どきどきしそうなライブ感。

緻密で大胆。元信すごい。

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 他に見たものの記録

 北野天神縁起絵巻 13世紀 先日の戦国時代展では、道真の幼少期の場面を見たところ。これは、その後。タタリか天変地異の場面。

 

八幡大菩薩縁起 南北朝時代14世紀 写真は第一段。修験道の祖、役行者が中国への渡航を神に祈ったという話。

 3人とも妙にリアル。とくに役行者に付き従う赤鬼、青鬼のおにいさんたちは人間味あふれている。若いけど、どうして付き従うことになったのか、役行者に出会うまでなにか苦労してきたのではないか、など彼らの身の上が気になったほど。

 

「白衣観音」伝一之 室町時代

 画家により違う描き方が楽しみな観音様。波がすてき。


いったんここで。


●東博(平成館) 春日権現験記絵模本III―写しの諸相―

2017-02-18 | Art

春日権現験記絵模本III―写しの諸相―

平成館 企画展示室  2017年1月17日(火) ~ 2017年3月12日(日)

1の続き

あんこトーストのあと、ちょうど始まったところの春日大社展のビデオに誘いこまれ。春日大社展はまだいけてないけど、ロビー階の関連展示は、チケットなしでも鑑賞できる。

 

ビデオでは、春日大社の神事の多さに感嘆。春日山は、霊やどる神域の深い緑の映像が美しかった。水の源流でもあるそう。古来より日本人は「自然を怖れるとともに、あがめお祀りしていた」と。絵巻にも「神気が描かれて」いたとのこと、山並みに立ち上る霊気も描かれていた。

 

企画展示スペースでは、春日権現縁起絵巻の複製画が見ごたえあり。展示替え含めいくつかの複製本の同じシーンを開いてあり、見比べられる。

春日権現験記絵(紀州本) 巻三(部分) 冷泉為恭ほか筆 江戸時代・弘化2年(1845)(以下画像は東博HPより)

  
 

原本の「春日権現験記絵(三の丸尚蔵館所蔵)宮廷絵所の高階隆兼が描いたもの)」は、当時も拝観が厳しく制限されていたけれど、江戸時代中期にいくつかの模本が作られた。

よって、摸本といっても、原本を一定期間拝観できうるだけの力のある者によるもの。

興味深いのは、剥落の部分まで細密に写したものと、修正をくわえたものとがあること。目的によって違う。

文化4年(1807)の春日大社蔵、春日は、松平定信の命で作られた剥落まで正確に再現した「剥落模写」。松平定信が編纂した「古画類聚」も後の方に展示されている。

 

もう一つ、皇室の命で作られた1925年の絵巻(帝室博物館本、前田氏実筆)も、剥落模写。これは12年もの時間を要したそう。本当に剥落しているようで、描いているとは思えないほど。

 

続いて、彩色をした「復元模写」

陽明文庫本:(享保20年(1735))、摂関家筆頭、近衞家凞(1667~1736)の命により渡辺始興 (1683~1755)が描いたもの。

 始興が手掛けたというところから見惚れるのだけど、さらに家凞の字の素晴らしさ。ため息でそうな流麗な文字。

 剥落部分は補って描かれ、大変美しい絵巻に仕上がっていた。これは家凞はじめ公家衆の鑑賞のためのものなのでしょう。

 始興は、なんでも描けるのだと改めて感嘆。簾のメ、畳の縁、襖に描かれた牛の黒白模様まで、細密。柳の葉や桜の花、聞き耳を立てる女房たちの黒髪もいっそう美しく見える。これも三年かかったそう。

 

紀州本:弘化2年(1845)、 東京国立博物館蔵 州藩主徳川治宝の命により冷泉為恭(1823~64)らが描いた

 

一部に彩色したものも。これは研究の一環でしょう。

 新宮本:丹鶴文庫伝来、山名行雅筆


収める箱も立派なものだった。

春日大社展を見ていないので、よくわかっていないのが残念。会期近くになりずいぶん混んできたようなので、もう行けないかな・・。