hanana

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●東博(18室)ー旧久邇宮邸障壁画・天井画ー

2017-02-14 | Art

2月に入った少し暖かい日に東博へ。いつも全部は見られないので、まず一階の第18室へ直行。

 

旧久邇宮邸の障壁画と天井画が公開されていました。

 「旧久邇宮御常御殿」は、現在の聖心女子大の敷地内に保存されている旧宅。昭和天皇の皇后様のご実家だそう。(こちらから)

本館もあるようですが、大正13年の築のこちらの「御常御殿」は、日々の生活に使われていた棟。

建物の設計は森山松之助(ディーン様、じゃなくて五代友厚の甥)。日本統制下の台湾で仕事をしていたとのこと。新宿御苑にいくといつも「何故ここで中華風?」となぞだった「台湾閣」を設計した人だった。(こちらから)

 台湾閣は、昭和天皇のご成婚を祝い、台湾在住の日本人が寄贈したのだとか。


森山は、御常御殿にも台湾産の木材を使用している。さすがは宮家。普段使いの建物にこの顔ぶれの障壁画・天井画とは。

障壁画は横山大観(大正15年(1926))。居室の襖らしく、優しい雰囲気でしつらえている。大胆な枝ぶりにほんわかした色彩。(これだけ写真不可だったので、画像は東博のHPから。この画像は、右側の二枚の部分。実際は4枚の襖×二面。)

右側は、紅梅。女性的なしなやかな枝ぶりだった。左側4枚の白梅は、幹も老練な古木。苔むし方も、紅梅の方は清新な感じ、白梅の方は年季を感じる苔。どちらも、びっしりと花も蕾もついていた。

紅梅も白梅も枝ぶりは、ゆったりとためつつ、どちらも大きく左へ枝が流れているのだけれど、二つの樹は真ん中でからんでいる。これは横に並んで設置されていたのかな?二面にまたがる部分が少しずれていたけど、直角か向かい合わせか?どちらでも穏やかで華やかなお部屋になったでしょう。

 

天井画もじっくり堪能。大観以下、日本美術院系統の画家が顔をそろえている。

嬉しかったのは、大好きな小川芋銭(1868~1938)があったこと。

「水芭蕉」 58才ごろの作。

花弁の先のくるんに、ドキドキ。湿度を含んだような線が、芋銭らしい。花の精気を立ちのぼらせている。きっとその辺に小さな河童や妖怪たちがいると思う。


椿は、安田靫彦と北野恒富を見比べてみる。

北野恒富(1880~1947)「椿」

厚塗りされた花弁はなまめかしげ。茎の線までもカクカクと強く際立せて、花も茎も葉も、全部が主張している。洋画のように強烈な印象だった。

11月に千葉市美術館で回顧展が開催される。これは46才ごろの作。北野恒富のここまでの道のりを知ることができるかも。

 

どちらが好きかといえば、個人的には、安田靫彦(1884~1978)「椿」の世界が好きだと思う。

葉の描き方は、どこかで見た靫彦らしい感じ。葉は墨だけれど、少し緑色ものせて、ほんのり。こんなに簡略化しているのに、葉の肉厚感がわかる。花も抑えた赤。後ろにそっと隠れるような茎や蕾は淡く。でも確かに呼吸している。

蕾のがくも神秘のレベル。靫彦の絵は上品と言われるゆえんを満喫しました。

 

荒井寛方「紅梅」 天窓越しに外の世界を覗いたみたいで、なんだかお楽しみ感がある。梅と、青空まで見えてすてきだ!

 

堅山南風(1887~1980)「桔梗」

 

 南風の植物の絵は、見るたびいいなあと思う。細部もどのひとつひとつも脇役にしないで見て描いている。胡粉は少し剥落していたけれど、花も蕾も葉も、生き生き。


前田青邨「紅梅」 

 抽象みたいで、つぼみはほとんどドット。なんかシャーレの中でなにかの培養してるみたい。

 

川端龍子「白梅」

丸の中にデザイン的に納めつつ、枝も花も立体的に踊らせていた。日本美術院を脱退する前の作。

 

速見御舟「枇杷」

1926年というと、前年に「炎舞」を書きあげ、墨で木蓮(岡田美術館)を描いた頃。


中村岳陵「雪松」

地味なんだけれども、他の花々の絵の中にこういうのがあるといいなあ。天井画らしく、松の枝の下にいて、高い松の枝を見上げている。たっぷり雪がのっていて、ちょっと枝が重そう。


下村観山「牡丹に雀」、これだけは一回り大きくて、テイストが違う。

天井画というより、壁にかけていたのかな?。

風が吹き、その逆方向へ鳥が飛び。絵が動いている。そういえば、他の天井画は、こんなに動いていなかった。

53才の作。70、80歳の絵を観たかったひとのひとり。

 

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18室はほかにも見どころ満載。

春日大社展と関連して、鹿がいた。

「神鹿」竹内久一(1857~1916)、ドレスコードあり。

鹿島を経って、三笠山まで神様を乗せてくる。茨城からてけてけ歩いてくるなんてエライわとずっと思っていたのだけれど、この鹿は足元に雲が。そうか雲に乗ってきてたのか。正面からみても、とても精神性の高いお顔をしていた。

 

「牝牡鹿」森川杜園(1820~1894)奈良一刀彫。

奈良の鹿はおじぎして礼儀正しいと、外国人客に大人気みたいですが、この二頭も明治26年のシカゴコロンブス博覧会に出品されたもの。日本展示場の入り口両脇で、世界のお客様をお迎えした草分けだった。

 

「海士玉採図石菖鉢」山尾侶之 1873 ウイーン万博に出品されたもの。金沢の石菖鉢は、他にも多数出品され人気を博したと。

4匹のウサギが持ち上げている。荒波でてんやわんやしているのは、竹取物語のお話なのか、龍の首の玉を取りに行くところだろうか?反対側の図柄は、波にもまれた海士が玉を手にしていた。

あ、一匹こっそりぶらさがっているウサギが(‼)。

プロジェクトにぶらさがっているヤツはいねえかァと前職の役員の声を思い出してちょっとヤな気分になったけれど、この丸いうさぎがとてもかわいい。日本の工芸っておちゃめ(と思って帰宅したけれど、もしや下の展示台が平らじゃなかっただけ?)

 

そして西洋画の流入のなかで、存在を放つ明治の三人。

「竹林猫」橋本雅邦(1835~1908)1896 岡倉天心の指導下で「日本画の革新」に取り組んでいた時期の作と。

ちょっと挑発するかのような雀たち。今はお休み中だよと余裕の猫。

あ、でもちょっと肉球がうずいている?

春日大社展に竹林猫図柄の刀があったそうなので、関連展示かも。

 

「春亭鴛鴦」狩野芳崖(1828~88) 「伝統的な花鳥画に依りながらも近代的な調和を見せる」と。

筆がさえる。芳崖の先端まで全く途切れない集中と迫力、すごいと思う。

   

 

「黄石公張良」小林永濯(1843~1890)1874

 

ここのところ続いて永濯が見られるのがとても嬉しい(山下先生のサシガネかな)。前回の浮世絵風の絵もこのあたりだった。

このひとは不思議な存在感。狩野派を学び、西洋を取り入れ、日本や中国の伝統的な題材を描く。背景にも西洋的な遠近、陰影、人物にも写実を器用に取り込んで、ワンシーンのような劇画タッチ。

でもこの線描の美しさ。西洋風のドレスのようなひだ。でもバターじゃなくて出汁をとったようなキレのあるすっきりさ。

 

 下村観山「豊太閤」1918

年老いた秀吉のしわや皮膚のいろに対して、幼い秀頼の肌の白さが際立っている。秀吉は金キラ金のイメージと違って、落ち着いた色合いの地味な着物を着ている。秀頼の着物も、いいものだけれど華美ではない。

安田靫彦の秀吉の絵のように、秘めた恐ろしさや行く末を暗示するような雰囲気はないよう。年老いた身であるからこそ、かわいい子供をしっかりと守っている、一介の父親の秀吉という感じ。

 

秀吉は、26聖人を磔けにしたり様々な残虐なこともしたなあと思いつつ見ていたら、こんな絵も。

前田青邨(1885~1977)「切支丹と仏徒」1917

キリシタン虐殺図を背景に発つ若者。天草四郎をイメージしたそう。地獄絵図を背景にする仏教徒。青邨は、寺と教会が混在する長崎を訪れた際に着想を得たとか。

 

18室だけでおなかいっぱい、もう疲れた根性なしで、早くも一休みランチにしました。

平成館の鶴屋吉信で、あんこトーストとコーヒー。

こんがり焼きたてパンに、冷たいマスカルポーネがおいしい。

続きは次回に。