はなナ

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●東京藝術大学大学美術館「いま、被災地からー岩手・宮城・福島の美術と震災復興ー」2

2016-06-26 | Art

東京藝術大学大学美術館「いま、被災地からー岩手・宮城・福島の美術と震災復興ー」

1の続き

第二部は三階から。

震災から五年たった今、知らなかった私に、この展覧会はとても意義の大きいものでした。感想など簡単に書けるものではありませんが、 こんな厚いパンフレットを作って配布してくださったのも、きっと、「多くの人の中にとどめてほしい」という主催者の気持ちなのではと解釈して、写真だけ少し載せます。

・岩手では沿岸部の文化施設に甚大な被害が出た。中でも、陸前高田博物館では二階まで浸水し、六名の職員さん全員が亡くなった。所蔵品の運び出しは7月までできなかったそうです。それから土砂の汚れやカビを落とし、その作業は今も続いているそうです。

陸前高田博物館の二階にあった作品から、修復を終えた猪熊源一郎の作品が展示されていました。

1992年の「顔」のリトグラフ

1952年の「猫と頭」

猪熊源一郎といえば「顔」の絵はよく目にしますが、正直こんなに心に入ってきたのは、この展覧会が初めてです。人ひとりの顔。それぞれの顔。この博物館だけでも六名の亡くなられた職員さんのことが頭に。今回この絵を選んで、ここに持ってこられた学芸員さんたちの顔も。

 

・宮城県で最も被害が大きかったのは、石巻文化センター、避難途中に学芸員さんが一人亡くなられた。一階の収蔵庫は水圧で扉が壊れ、土砂や泥、工場のパルプ屑が流れ込み被害を大きくした。跡地はメモリアルパークになり、後継施設の移転予定地は現在は仮設住宅ですが、予定では2020年完成と。
 
 
この石巻文化センターは、石巻生まれの高橋英吉の作品を常設展示する美術館の設立運動が契機になってできたのだそうです。
高橋英吉(1911-1942)は、東京美術学校でまなんだ木彫作家。31歳で戦死したそうです。石巻文化センターは高橋英吉の他、木彫や木を素材にした作品や、地元出身の画家の絵をコレクションしていたそうです。
 
高橋英吉「少女と牛」1939 石巻文化センター蔵
 
高橋英吉「不動明王」1942と、「手製の彫刻刀」1942 個人蔵、石巻文化センター寄託
 
これは亡くなった年の制作です。
 
・福島県内では主だった博物館美術館では被害は少なかったものの、放射能汚染の問題から、海外からの出品停止や巡回展の中止が相次ぎ、正常値になった現在も数値の測定を続け発信しているそうです。

第一部の展示ですが、伊達市出身の写真家・瀬戸正人の、放射性物質を具象化させた写真が展示されていました。

瀬戸正人(1953-)、上は「セシウム 会津/五色沼」2012 下は「セシウム 福島市」2013

見えない、その気持ち悪さ、空恐ろしさ。

当時、私の住まいも除染対象地域になりました。他の地域の知人の、悪気はない無邪気な言葉にも、複雑な気持ちになったものです。ましてや、この写真や他の展示について、自分の思いすらつかみきれないのです。パンフレットの解説には「震災から五年を経ても福島をめぐる状況は今なお混迷のさなかにある。美術家たちの営みもまた、迷いと戸惑いの途上にあるのだろうか。」と。


三階では、警戒区域に指定された地域の、寺社、学校、資料館に置き去りにされた文化財の救援について、紹介していました。

 


救出が始まったのは一年以上たってからで、今も個人所有の文化財の救出など続いているそうです。またその救出されたものは一時保管されていますが、今後の取り扱いについてもこれからの議論になるようです。