はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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臥龍的陣 花の章 その36 劉琦への献策

2022年08月04日 09時57分44秒 | 臥龍的陣 花の章


劉琦に対面を申し込むと、また花園に案内された。
どうしても屋内では人の目、人の耳があるのではと疑ってしまうらしい。
しかも劉琦はよく眠れていないらしく、目の下に青黒いクマができていた。
顔色もすこぶる悪く、白い肌には、ところどころ紫色の細い血管が浮き出ているほどであった。
気が滞っているのである。

花園には、今日も今日とていろとりどりの花々が咲いていた。
夏の日差しのもと、蝶やミツバチたちに挨拶するように、劉琦はうん、うん、と満足げにうなずく。
孔明は手でひさしを作りつつ、ちょうど花園の全体が見えるところに立つ高殿《たかどの》を指した。
「ここは暑くて、脳天がやられてしまいます。あそこの日陰に参りましょう」

孔明の誘いに、劉琦は人の好いところを見せて、うれしそうに微笑んだ。
「今日はどんな面白いお話をしてくださるのでしょう。
花安英が、軍師は面白い話を持っておられるようだと言っておりましたよ。
たしかに軍師のお話は、いつも面白い」
「ご期待通りの面白い話ができるとよいのですが」

謙遜しつつ、孔明は、花安英が、蔡夫人と蔡瑁のことを教えろとせっついているのだなと推測した。
あの子は何を考えているのかつかめない。
敵なのか、味方なのか。
見極めが難しいうえに、話が話だけに、劉琦に不倫のことを教える気にはなれなかった。
この公子のことだ、不倫の話を元手に動こうとするよりも先に、不潔な話におどろいて、卒倒してしまうに違いない。

劉琦と孔明は高殿にのぼる。
梯子《はしご》のすぐそばには趙雲と伊籍が、それぞれ佇立《ちょりつ》して二人の様子をうかがっている。
ふだんであれば、暑いだろうから一緒に上へ、と誘うところであるが、今日はそういうわけにはいかない。
劉琦の運命がかかる話をこれからすることになると思うと、自然と孔明の背筋は伸びた。

「ときに公子、黄祖どののことはおぼえておられますか」
「もちろん」
劉琦は深くうなずいた。
「人がかれのことをなんと言っているかはしりませんが、わたしを可愛がってくれた人でした。
おそらく、わたしが長子ということで、特別に想っていてくれていたのでしょう」

孔明にとっては、黄祖は孫堅を討った男で、異才の人・禰衡《でいこう》を殺害した短慮な男、という印象しかない。
その黄祖が劉琦を可愛がったというのは意外だった。
おそらく、劉琦がいう理由も大きいだろうが、それ以外に、やはり、劉琦には人をなごませる性質があるのだ。

「黄祖がどうしたのです」
「公子、率直に申し上げます。黄祖どのが孫権に討たれたことで、江夏太守の座が空席になっております。
公子はその江夏太守になり、いますぐ襄陽から出るべきです」
「し、しかし」
反駁しようとする劉琦に、孔明はさらに言った。
「目先のことだけに囚われていてはいけません。よろしいか、これは州牧の座をあきらめるということではないのです。
公子も晋の文公の故事はご存じのはず。
兄弟で地位を争った文公でしたが、いったん国を捨て各地を放浪したことがさいわいし、結局かれが地位を得た」
「もちろんその話は知っておりますとも…ああ、やっとわかりました」

劉琦は今度こそ、目をぱっちり開いて、孔明を見た。
「わたしに、晋の文公になれとおっしゃる」
「左様。このまま襄陽城にとどまっていても、蔡瑁らを排斥することはざんねんながらむずかしい。
むしろ、排斥するより前に、こちらが排除されかねない。
しかし、かれらとて完璧というわけではない。
いつか、その力にほころびが出るときがありましょう。その時を待つのです。
そのためにも、いったん城を出て、相手の油断を誘うのです。
江夏に向かわれましたら、劉公子はお味方に連絡し、兵と物資を集められますように。
孔明の見立てでは、時機はそう遅くないときに訪れましょう」

劉琦は、おお、と感嘆の声をあげた。
どうやら、孔明の言葉が体内を駆け巡って、気鬱の病を吹き飛ばしている最中らしかった。
爽快なほどに、だんだんと顔色が晴れてくる。

孔明からすれば、単純な策であった。
しかし、長子だからと州牧の地位に固執し、義弟の劉琮との確執に惑う劉琦とその取り巻きたちには、いったん外部に出て力をためるという案はひらめきもせず、劉琦に注進することもなかったのだろう。

外から来た人間で、客観的に劉琦を見られた自分だから献策できたのだと思う。
劉琦が喜んでいる様子を見るのは楽しかった。


つづく


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