はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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臥龍的陣 夢の章その8 孔明、友の背中を見送る

2022年02月23日 12時49分00秒 | 臥龍的陣 夢の章


酒店を出て、あらためて挨拶をして、孔明と州平は別れた。
孔明は、去っていく背中を、見えなくなるまでずっと目で追いかけた。
州平のほうはというと、一度も孔明を振り返らず、まっすぐ歩き去っていった。

「なにか大事を抱えている顔をしておった」
孔明に並んで、関羽が州平の後姿を見て言う。
「聞こえてしまったのだが、ほんとうに借金を返すためだけに荊州を離れるのだろうか。なにか、もっと大きなことを決意している様子だったが」
そのことばに、孔明は、はっとして、人込みに隠れて見えなくなった州平のうしろ姿を探した。
追いかけるべきではないのか。
そして、最後に言った、『忘れるな、仇讐は壺中にあり』という言葉の意味はなんだったのか。
いやな予感がして、孔明は足を踏み出す。
すると、関羽がまた言った。
「軍師どの、追いかけても無駄であろう。崔州平どののお心を変えることはできまい」
「なぜわかるのです」
軽いいらだちを懸命に押し殺しながらたずねると、関羽は重々しく答えた。
「あれほどに覚悟を決めた顔をした男を変えることは、なかなかできぬよ」

答えられなかった。
たしかに、州平の眼はいつになく澄んでいた。
迷いも濁りもなくなった、潔い目をしていた。
ああいう目をして去っていったのは、徐庶も同じだった。
ふたたび人込みに目をやると、州平の姿は、すっかり呑まれて、どちらの方向に行ったのかすらわからなくなっていた。

「かれを招へいできなかったのは残念です。ともに働いてくれたなら、きっと大きな力になってくれたでしょうに」
縁がなかったといってしまえばそれまでだが、惜しいという感情以外に、胸に広がる苦いものがある。
なぜだろう、孔明は、州平を吞み込んだ雑踏をみながら、重苦しい気持ちを持て余していた。





関羽が、市場に寄っていかないかと誘ってきたので、孔明は従うことにした。
崔州平とわかれた酒店からほど近いところにある東市には、たくさんの露店が出ていた。
往来もひっきりなしにあって、店をひやかすもの、取引をする者、ゆっくり吟味している者など、さまざまである。
しかしかれらも、孔明の背後にひかえる関羽を見ると、驚いたように顔をあげて、まじまじと見るのであった。
関羽のほうは、遠慮ない人々の視線に慣れているようで、山のように堂々としている。
たいしたものだなと孔明が感心していると、ふと、妙な気配を感じた。
だれかが、じっとこちらを見ている。
当初は、関羽を見ているのだろうと思った。
ところが、視線の主を探して目を向けると、青物や果物を売る一角で、瓜売りの老人が、わざわざ身を乗り出して、真剣な顔でこちらを見ているのだった。

はて、知り合いだったかな、と思い出しながら、老人に会釈をすると、老人もまた、ぎこちなく会釈をかえしてきた。
ヤギのように真っ白いひげをした、品のよさそうな老人である。
孔明が挨拶したのが目に入ったらしく、関羽が言った。
「軍師、みなに差し入れを買っていかぬか」
「そうですね、悪くない」
答えつつ、老人をどこで見たのだろうかと思い出そうとする。
しかし、どれだけ頭を探っても、記憶を引き出せなかった。

そんな孔明をよそに、関羽はのっそりと老人に近づいていく。
「じいさん、この水瓜はうまいか」
関羽に呼びかけられて、老人は夢から覚めたような表情になった。
「ええ、もちろん。丹精込めて作った瓜でございます。まずいわけがない」
言いつつ、じいさんは水瓜をひとつ包丁で割って、切り分けたものを関羽と孔明に差し出した。
食べてみると、なるほど果汁があふれてうまい。
関羽も同じく水瓜を受け取って、うまそうにほおばっている。
「たしかにおいしい。おじいさん、この瓜をすべて城へ運んでくれないかい」
孔明の申し出に、瓜売りのじいさんは目を白黒させている。
「全部でございますか」
「うむ、みなに食べてもらいたいからな。代金はすぐ払うよ。どうだい」
「ありがたいお申し出です。すぐにここをたたんで、城へ行かせていただきます」
じいさんは降ってわいた話に喜んで、瓜を台車に乗せはじめる。

こうして話していても、やはり、思い出せない。
お互いに人違いをしたのかなと孔明が思っていると、瓜を食べながら、関羽が妙なことをじいさんに言った。
「失礼だが、ご老体、武術をたしなんでおられるのか」
じいさんは、照れたように笑った。
「武術というほどではありませぬが、すこしだけ。なにせ、物騒な世の中ですから、こういう商売をやっていましても、たまに危険に遭いますので」
「関将軍、どうしてわかったのです」
孔明がたずねると、関羽は即答した。
「なに、武器を持つ者特有のタコが手にあったからな」
「さすがの観察力ですね」
感心して言うと、関羽は、なんてことはない、と答えたが、ぶっきらぼうな口調とはうらはらに、口元は、またゆるんでいた。

「ところで、軍師さまは徐州の出身ではありませぬか」
老人のことばに、孔明はおどろいて、目を見開いた。
「どうしてわかったのかな。訛りでもあったかい」
「いいえ、以前に知り合いだった徐州での男と、軍師さまが似ていらしたので、思い付きを言ってみたのです。当たっておりましたか」
「わたしは瑯琊の出なのだよ。そのひとは、どこの人だったのだい」
「同じです。諸葛玄という男でしたが、ご存じですか」
孔明はそれこそ、手にしていた水瓜の残骸を落としそうになるほどおどろいた。
「知っているもなにも、諸葛玄は、わたしの叔父だ」
「おお」
老人もまた、おどろいて、あらためて孔明の顔をまじまじと見た。
そこに、旧知の面影を探そうとしているかのように。
「諸葛という姓はめずらしいので、まさかと思っておりましたが、あの諸葛玄の甥御でしたか。それはおどろいた。いやはや、いやはや」
「ご老人、叔父とはどういう知り合いだったのです」
「十年以上も前になりますが、ともに劉州牧のもとで働いたことがあるのです。真面目で陽気で、優しい男でした」
「ええ、そうです。叔父はそういう人でした。ご老人、こうしてお会いできたのもなにかの縁。どうかこれから一緒に城に来て、叔父の話をしてくださいませんか。叔父を知る人はいまは少なくなってしまったので、思い出話をできる相手も限られていたのです。あなたがいろいろ教えてくださるとうれしい」
孔明は丁寧に頼み込んだが、しかし、老人は悲しげに首を横に振った。
「この汚れた年寄りが城になど」
「ご遠慮なさるな、ぜひお話を聞かせてください」
「いえ。申し訳ありませぬが、諸葛玄については、いまはお話しすることはできませぬ」

おかしな言い回しをするなと不思議に思いつつ、孔明は老人になおも城へ来てくれるよう誘ったが、老人は頑として、うんといってくれなかった。
背後の関羽がじりじりしはじめたのが気配でわかったので、孔明もあきらめて、城へ戻ることにした。

つづく

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