※
鄱陽湖《はようこ》のほとりに滞在する周瑜のもとに急使がやってきたのは、孔明が孫権の説得に成功してからすぐであった。
周瑜としては、孫権が開戦を決めたことにおどろきはなかった。
いまは亡き小覇王・孫策が血みどろの努力を重ねて得た土地。
その苦労をしっている孫権が、よそ者たる曹操に無傷で明け渡すはずがないと確信していたのだ。
柴桑《さいそう》に向かうため、身なりを整える。
その出立の準備は、同行している妻の小喬がやってくれた。
三十路に入ってもなお、人の目を奪うほどのみずみずしい美しさをそなえている小喬は、無言で周瑜のからだを飾り立てていく。
それに周瑜も無言でこたえながら、そういえば、曹操は、わが妻と義姉を狙っているという下世話な噂があったなと思い出していた。
曹操が好色な男だというのは江東の地にも聞こえていて、その魔の手を小喬と、その姉の大喬にのばさんとしているらしい。
うるさい江東の小雀たちのなかには、
「大喬さまは寡婦なのだし、江東が平和におさまるなら、いっそ曹操にくれてやってしまえばいいのに」
などと言っているのがいるとか、いないとか。
周瑜としては腹が立つが、それは自分がこの妻と姉を家族として愛しているからなのか、それともいま身に着けている帯や簪などと同じように、装飾品の一部として考えているからなのか、どちらなのだろうと自分で不思議に思ってしまった。
夫の周瑜がそんなことを考えているとは、小喬は夢にも思っていないだろう。
わたしは嫌な夫だなと、さすがに周瑜は自己嫌悪を覚えた。
「いってらっしゃいまし、どうぞご無事で」
小喬のことばに、周瑜も、
「後は頼む」
と短く答える。
そして、慣れ親しんだ廬山《ろざん》の見える光景に別れを告げて、柴桑へと向かった。
水軍は、長江をさかのぼるかたちで柴桑に向かう。
出立を知らせる太鼓がどろどろと音を立てる。
遠雷を思わせるその音を耳にして、周瑜はなぜか、孫策のことを思い出していた。
孫策の、その無残な死をむかえたときのことを。
※
小覇王と称えられ、破竹の勢いを見せていた孫策が、突如として刺客に襲われ、その怪我がもとで亡くなったのは、八年前の建安5年(西暦200年)だった。
豫章《よしょう》と盧陵《ろりょう》を平定したのち、巴丘《はきゅう》に駐屯していた周瑜は、その知らせを聞いて、ただちにわずかな従者とともに孫策のもとへ向かった。
春のことだった。
あちこちに梅や桃が咲き乱れ、新芽が萌える季節だ。
冬のあいだ、だれもが待ち焦がれたこの季節に、孫策は突然に逝ってしまった。
馬上で必死に先を急ぎながらも、周瑜はその死をまだ信じられないでいた。
孫策のさいきんの手紙によれば、かれは曹操が袁紹を狙っている隙をねらって、許を襲う計画を建てていると書いていた。
江東の地で、ひたすら血路を開くようにして戦い続けてきたその先に、天下という光明が見えてきた、その矢先だったのに。
遠くで雷雲がどろどろと太鼓のような音をたてて唸っている。
急がねばなるまいと周瑜は思った。
途中、馬を交代して、ひたすら休まず孫策の元へ急ぐ。
つづく
鄱陽湖《はようこ》のほとりに滞在する周瑜のもとに急使がやってきたのは、孔明が孫権の説得に成功してからすぐであった。
周瑜としては、孫権が開戦を決めたことにおどろきはなかった。
いまは亡き小覇王・孫策が血みどろの努力を重ねて得た土地。
その苦労をしっている孫権が、よそ者たる曹操に無傷で明け渡すはずがないと確信していたのだ。
柴桑《さいそう》に向かうため、身なりを整える。
その出立の準備は、同行している妻の小喬がやってくれた。
三十路に入ってもなお、人の目を奪うほどのみずみずしい美しさをそなえている小喬は、無言で周瑜のからだを飾り立てていく。
それに周瑜も無言でこたえながら、そういえば、曹操は、わが妻と義姉を狙っているという下世話な噂があったなと思い出していた。
曹操が好色な男だというのは江東の地にも聞こえていて、その魔の手を小喬と、その姉の大喬にのばさんとしているらしい。
うるさい江東の小雀たちのなかには、
「大喬さまは寡婦なのだし、江東が平和におさまるなら、いっそ曹操にくれてやってしまえばいいのに」
などと言っているのがいるとか、いないとか。
周瑜としては腹が立つが、それは自分がこの妻と姉を家族として愛しているからなのか、それともいま身に着けている帯や簪などと同じように、装飾品の一部として考えているからなのか、どちらなのだろうと自分で不思議に思ってしまった。
夫の周瑜がそんなことを考えているとは、小喬は夢にも思っていないだろう。
わたしは嫌な夫だなと、さすがに周瑜は自己嫌悪を覚えた。
「いってらっしゃいまし、どうぞご無事で」
小喬のことばに、周瑜も、
「後は頼む」
と短く答える。
そして、慣れ親しんだ廬山《ろざん》の見える光景に別れを告げて、柴桑へと向かった。
水軍は、長江をさかのぼるかたちで柴桑に向かう。
出立を知らせる太鼓がどろどろと音を立てる。
遠雷を思わせるその音を耳にして、周瑜はなぜか、孫策のことを思い出していた。
孫策の、その無残な死をむかえたときのことを。
※
小覇王と称えられ、破竹の勢いを見せていた孫策が、突如として刺客に襲われ、その怪我がもとで亡くなったのは、八年前の建安5年(西暦200年)だった。
豫章《よしょう》と盧陵《ろりょう》を平定したのち、巴丘《はきゅう》に駐屯していた周瑜は、その知らせを聞いて、ただちにわずかな従者とともに孫策のもとへ向かった。
春のことだった。
あちこちに梅や桃が咲き乱れ、新芽が萌える季節だ。
冬のあいだ、だれもが待ち焦がれたこの季節に、孫策は突然に逝ってしまった。
馬上で必死に先を急ぎながらも、周瑜はその死をまだ信じられないでいた。
孫策のさいきんの手紙によれば、かれは曹操が袁紹を狙っている隙をねらって、許を襲う計画を建てていると書いていた。
江東の地で、ひたすら血路を開くようにして戦い続けてきたその先に、天下という光明が見えてきた、その矢先だったのに。
遠くで雷雲がどろどろと太鼓のような音をたてて唸っている。
急がねばなるまいと周瑜は思った。
途中、馬を交代して、ひたすら休まず孫策の元へ急ぐ。
つづく
※ いつも閲覧してくださっているみなさま、ありがとうございます(^^♪
今週は土曜日も「設定集」の更新があります。
どうぞお時間ありましたら見てやってくださいましー。
体調ですが、あたらしい鼻炎薬にしたところ、ぴたっと収まりました。
薬ってすごいなーと、驚くやら、ちょっぴり怖いやら。
これから体調をととのえて、ガンガンに創作に励みます!
ではでは、また明日をおたのしみにー(*^▽^*)