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はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

画眉の背景 3

2020年05月04日 10時02分56秒 | 画眉の背景


毛は逃げ出す気配はなかったが、監視できるように、趙雲の寝泊りしている部屋のそばに、同じく就寝させることにした。
劉備に、孔明を描け、と言われたときは、戸惑いばかりを浮かべていた毛であるが、いまは、さまざまな人間から、孔明と言う人物のあれやこれやを聞き、なにかしら、描くものが形になってきた様子である。
兵舎の部屋を使うのにあたり、手続きが必要だというので、連れ立って歩いていると、毛が趙雲に尋ねてきた。
「将軍が、さきほどおっしゃっていた、軍師は、一で十を知る類いの人間だ、というのは、どういう意味なのでございますか」
「聞こえていたのか」
「はい。いま気づきましたが、みなさまは、軍師のこととなると、それぞれに熱心にお話になるのに、趙将軍は、ずっと黙ってらっしゃる」
「もともとお喋りは得意ではない。ここの連中は、みなお喋り好きだが」
「そうではございませぬ」
と、毛は、上背のある趙雲を、ちらりと見上げた。
「軍師のことをお話になるのを、避けてらっしゃる。たしか、将軍は軍師の主騎であられたはず。しかし、胡主簿さまとのお話では、さほどお好きではないような」
「そう聞こえたか」
たしかに、偉そうに見えたとかなんとか言ったな、と思いつつ、毛の追及を、どう交わそうかな、と趙雲は考えた。
この毛、画師を目指すだけあり、観察力が、なかなかに鋭いようだ。育ちの良さそうな、人の良い顔に気を抜いていた。
「一で十を知る、とは?」
「おまえ、なかなかねばり強いというか、しつこいな」
「画師を目指しておりまするゆえ、気になったことは、とことん追及する癖がついております」
「厄介な癖だな」
「申し訳ございませぬ。で?」
本当にしつこいな、と辟易しつつ、趙雲は重たい口を開いた。
「たとえば、おまえが真新しい経験を一つしたとする。失敗でも成功でも構わぬ。そこで、並みの人間であれば、一つだけのことを学ぶ。良かったな、とか、残念だったな、とか。
ところが、諸葛孔明というのは、一つの出来事で、十くらい一気に学べてしまう。感覚がするどいのだ。何事も見逃さず、小さなことからも、次の大きなことに繋がる知識を得ることができる。
つまり、我らが十くらいの経験をしなければ得られぬものを、諸葛孔明は、一つの出来事から一気に学んでしまうのだ。だから、年齢も関係なしに、我々より一足飛びに同等の経験を積んだのと同じになってしまう」
ほう、と毛は驚きつつも、ゆっくりと趙雲の言葉を吟味し、それから、言った。
「それは苦しいことでございましょう」
「なぜ」
「一度に、いくつもの心の波にさらされる、ということでございますよ。歓喜のなかにあってさえ、苦みをおぼえ、安息のない状態は、つらいでしょう」
「それは逆に、苦しみを覚えつつも、わずかな希望をも見い出せる、ということでもある。だからこそ、諸葛孔明は、力強く神秘な龍たりえるのだ」
毛は、あらためて驚いたように趙雲を見るが、当の趙雲は、あえて頓着しなかった。





さて、手続きを終えて兵舎に戻る途中、ちょうど廊下をひとりで行く、孔明その人と行きあった。
孔明は、趙雲と、その後ろに控えている毛の姿を認めると、足取りも軽やかに近づいてくる。
おや、今日の衣に焚き染めた香は、好きな香りだな、と思いつつ、趙雲は礼を取る。
型どおりの挨拶が終わったあと、孔明は、不機嫌そうに、白羽扇をぱたぱたと仰いで見せた。
「わたしなど描いたところで、いいことなどひとつもなかろう。奥方の絵を描かせればよいものを。主公はなにをかんがえていらっしゃるのか」
と、孔明はひとしきりぶつぶつ言ったあと、はじめて間近で見る孔明の姿に、感心して、口をあんぐりと開けている、毛のほうを、煩わしそうに見た。
「間近で見ねば描けぬ、というのであれば、時間を作るが」
「協力的ではないか」
趙雲が言うと、孔明は、事務仕事で疲れたのか、肩をまわしつつ、ため息をつく。
「そのほうが、早く終わるだろう。わたしの絵を、主公が描かせようとしているので、あちこちで口がさない雀たちが、あれやこれやと五月蠅くて叶わぬ。『軍師は女のような顔をしていらっしゃるので、どうせ、単なる美人画になるだけであろうよ』と、こうだ」
趙雲は、孔明が、自分の容姿を武器にしながらも、本当は気に入っていないことを知っている。
だからこそ、みながあれやこれやと論じている中でも、あえて口を挟まなかった。
わかりにくい諸葛孔明という人間の、複雑な心のうちを説明したところで、そもそも口下手の自覚のある自分では、百の言葉を尽くしても、本当のことは伝えられぬ、かえって誤解を招いてしまうと思ったからである。
「おまえ、疲れていないか」
「顔に出ているか」
と、孔明は柳眉をしかめ、自分の頬に手を当てる。
そういえば、このところ馬良とほとんどふたりで、あちこちを動き回っていた。
もともと色白なのが、さらに蒼く透き通るようだ。
「城壁の修復に、思いのほか予算がかかりそうなのだよ。どこをどう締めて、費用を捻出すべきかで、ずっと計算に追われていた。軍備を削るわけにはいかぬし、かといって、増税をすれば、いまだ落ち着かぬ情勢で、民も不満を募らせよう」
「おのれを取り巻く言葉のうち、わざわざ否定的な言葉を捜して耳を傾けるな。疲れたなら休め」
「休めるものなら、休みたいところであるが」
「人任せにするのが不安なのか」
はっきり言うな、と孔明はつぶやき、曖昧ながらも、そうだ、と答えた。
趙雲はちいさくため息をつき、言う。
「人をどこまで信用するかも技量のうちだぞ。気持ちはわかるが、これから、我が軍の規模はさらに大きくなる。新野と同じ方法を取っていたのでは、やっていけなくなるぞ。
いままでの方法がうまくいかないのであれば、怖じずに新しい方法に飛び込め。失敗を恐れていては、なにも為すことはできないと、前に自分で言っていただろう」
「うん…言ったな」
趙雲の言葉に、孔明の顔にあった険が薄らいだ。どうやら、態度が刺々しくなっていたことを反省したらしい。
趙雲は、孔明の明朗な素直さが気に入っている。
笑みをこぼしたくなるのを抑えつつ、精一杯、厳しく、趙雲は言った。
「おのれの言葉すら忘れるとは問題だ。今日は俺が屋敷まで送る。もう仕事はするなよ。迎えに行くから、部屋で待っているがいい」
「それはありがたいが、絵は?」
「絵の心配は、こいつのほうがする。それと、ほかのヤツが言うことに、いちいち反応するな。みなが騒いでいるのは、みな、おまえの絵がどうなるか、興味があるからだ。それだけ、普段から注目されている、ということだろう。張飛など、叔至たちと一緒になって、自分でおまえの絵を落書きして、こんなふうじゃないか、などと遊んでいるくらいだったからな」
孔明は、せわしなく動かしていた羽扇を止め、趙雲を見た。
「張飛殿が?」
孔明は、張飛が自分を苦手としていると思っているが、実情は、深刻なものではない。張飛は単純明快な男なので、昔はともかく、いまは劉備と同じくらいに、孔明を家族も同様の者だと見なしているのだ。
自分の才能や容姿をあれこれ誉められるよりも、張飛の話のほうが、孔明の心を明るくしたようである。
趙雲は、おのれの言葉の与えた効果に満足しつつ、つづけた。
「うむ。なかなか器用に描けていた。土に描いたものだから、もう消えてしまったかな。みな、おまえの絵を楽しみにしているのだ。そう、不貞腐れることもなかろう
「そうか」
孔明は、その様子を想像したのか、飾り気のない、照れたような笑みを浮かべた。
「ところで、悪口を叩いているのはだれだ」
「聞いてどうする?」
「別に。いつものとおりだが」
それを聞くと、孔明は、今度は声をたてて、陽気に笑った。
「わが主騎は、ときにひどく物騒になる。あなたが過激な行動に走らぬよう、わたしとしては、悪口を忘れるしかなさそうだな。今日は早く休むことにするよ」
では、またいずれ、と言いながら、優雅に踵を返すそのうしろ姿を見送っていると、毛が、ぽかんと口を開いているのが横に見えた。
その視線が、ちくちくと当たるのがわかったが、趙雲はあえて無視をして、毛を兵舎の一室に連れて行き、それから孔明のもとへと急いだ。


つづく……

(サイト「はさみの世界」 初掲載年月日・2005/08/14)


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