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「お手紙が届いております」
補佐の者が書簡の束を持ってきて、孔明の机に置いた。
陳情の手紙が何本か。
手紙の束をたぐっていって、孔明は、はっとして手をとめた。
束に交じって、懐かしい友の筆跡でつづられた手紙が二本あったのだ。
もしかして、と孔明は急いで手紙を読み進めた。
一本目は、親友の馬良からのものであった。
馬良。あざなを季常といって、司馬徽の塾で同窓だった人物だ。
きわめて優秀で、めずらしいことに、眉の毛が白いことから、「白眉」のあだ名で世間から呼ばれていた。
馬家には五人の兄弟がいるが、そのなかでも、世間は「白眉もっともよし」と評している。
人格、風格、才覚、ともに抜きんでている、というわけだ。
孔明は、親友に、ともに劉備のもとで働かないかと呼び掛けていた。
その返事がいまきたのだ。
色よい返事を期待していた。
しかし。
「あまりよい内容ではなかったようだな」
劉備が心配して声をかけてくるほどに、孔明は落胆していた。
手紙の内容は、孔明が新野でうまくやっているか心配しているという内容で、そこまではよかった。
だが、つづく内容がよくない。
馬良曰く。
自分も新野に行って手伝いをしたかったのだが、親族に不幸があったので、服喪しなければならない。
残念だが、しばらく仕官はできそうにない、とのこと。
じつは、馬良を当てにしていた孔明だけに、かれの一族に不幸があったことに関しては、残念としかいいようがなかった。
そのことを劉備たちに説明すると、かれらも、がっかりしてため息をついた。
「まだもう一本あります。こちらはよい手紙かもしれませぬ」
「だれからだい」
「崔州平からです。ご存じですか」
劉備はすぐに思い当たったらしく、両方の眉をあげて、言った。
「おお、おまえと徐庶の親友だという、富豪の子息か。たしか、父君はわしとおなじ琢県の出自であったな」
「そのとおりです」
応じつつも、州平の名を出すと、やはりいまでも、みなは金と結び付けて思い出すのだなと、友の気持ちになって悔しく思った。
崔家は大富豪で、後漢王朝の今上帝の父・霊帝が官位を売りに出したさい、大金をはたいて大臣の位を買った。
崔州平の父は戦乱で命を落としたのだが、そのことも同情されず、世間はかれら一族を「銅臭」がする、といって忌み嫌った。
だが、孔明と徐庶は世間の評判とかかわりなく、崔州平を認め、付き合った。
付き合ってみると、崔州平はふだんはとぼけた顔をして人を茶化すようなことばかり言っているが、実際は真面目で責任感のつよい人物で、おなじく真面目な孔明や徐庶とウマが合った。
孔明は、徐庶が曹操のもとに去ってしまったあと、崔州平に、新野へ来ないかと誘っていたのだ。
その返事が手紙に書かれている。
はやる気持ちを抑えつつ読むと、そこには、短く、
『大事な話があるから、新野の酒店で会おう』
とあった。
落ち合う日付は、ちょうど今日であった。
「関羽を連れて行くといい」
劉備のことばにおどろいて、孔明は言った。
「関将軍がわたしの随行など、もったいない。それに、指定された酒店は、城とは目と鼻の先です。問題なくひとりで行って帰ってこられます」
「しかし、このところ曹操の細作や刺客の動きが活発だからな。おまえもこのあいだ、襲われかけただろう」
「すぐ捕まりましたし、問題はありません」
「それだって、子龍がそばに控えていたからだろうが。ちょっとの油断が隙を招く。悪いことは言わない、関羽を連れていくといい」
しかし、と尚も言いつのろうとする孔明に、いいから、いいから、といなす劉備。
どうやら、孔明が遠慮をしているのだと勘違いしているらしい。
孔明としては、ひさびさに親友に会うのだから、ふたりきりで語り合いたいと思っていたのだが。
「おおい、雲長」
と劉備が声を張り上げると、近くで控えていたらしい関羽がのっそり姿をあらわした。
孔明を軽く超える高身長の武人は、現れただけで周囲を圧倒した。
「お呼びでしょうか、兄者」
劉備は関羽に、かくかくしかじかなので、孔明といっしょに城下の酒店へ行ってきてほしいと説明した。
孔明は、誇り高い関羽が、孔明の主騎のまねごとをするのは嫌だというかなと予想していた。
だが、意外にも関羽は素直に、
「わかり申した」
と応じて、出かける孔明に従って城下へ行くこととなった。
つづく
みなさま、いつもありがとうございます!
ブログランキングに協力してくださったみなさまもありがとうございました。
とても励みになります!
今後も創作に励んでまいりますので、当ブログをごひいきに(^^♪
「お手紙が届いております」
補佐の者が書簡の束を持ってきて、孔明の机に置いた。
陳情の手紙が何本か。
手紙の束をたぐっていって、孔明は、はっとして手をとめた。
束に交じって、懐かしい友の筆跡でつづられた手紙が二本あったのだ。
もしかして、と孔明は急いで手紙を読み進めた。
一本目は、親友の馬良からのものであった。
馬良。あざなを季常といって、司馬徽の塾で同窓だった人物だ。
きわめて優秀で、めずらしいことに、眉の毛が白いことから、「白眉」のあだ名で世間から呼ばれていた。
馬家には五人の兄弟がいるが、そのなかでも、世間は「白眉もっともよし」と評している。
人格、風格、才覚、ともに抜きんでている、というわけだ。
孔明は、親友に、ともに劉備のもとで働かないかと呼び掛けていた。
その返事がいまきたのだ。
色よい返事を期待していた。
しかし。
「あまりよい内容ではなかったようだな」
劉備が心配して声をかけてくるほどに、孔明は落胆していた。
手紙の内容は、孔明が新野でうまくやっているか心配しているという内容で、そこまではよかった。
だが、つづく内容がよくない。
馬良曰く。
自分も新野に行って手伝いをしたかったのだが、親族に不幸があったので、服喪しなければならない。
残念だが、しばらく仕官はできそうにない、とのこと。
じつは、馬良を当てにしていた孔明だけに、かれの一族に不幸があったことに関しては、残念としかいいようがなかった。
そのことを劉備たちに説明すると、かれらも、がっかりしてため息をついた。
「まだもう一本あります。こちらはよい手紙かもしれませぬ」
「だれからだい」
「崔州平からです。ご存じですか」
劉備はすぐに思い当たったらしく、両方の眉をあげて、言った。
「おお、おまえと徐庶の親友だという、富豪の子息か。たしか、父君はわしとおなじ琢県の出自であったな」
「そのとおりです」
応じつつも、州平の名を出すと、やはりいまでも、みなは金と結び付けて思い出すのだなと、友の気持ちになって悔しく思った。
崔家は大富豪で、後漢王朝の今上帝の父・霊帝が官位を売りに出したさい、大金をはたいて大臣の位を買った。
崔州平の父は戦乱で命を落としたのだが、そのことも同情されず、世間はかれら一族を「銅臭」がする、といって忌み嫌った。
だが、孔明と徐庶は世間の評判とかかわりなく、崔州平を認め、付き合った。
付き合ってみると、崔州平はふだんはとぼけた顔をして人を茶化すようなことばかり言っているが、実際は真面目で責任感のつよい人物で、おなじく真面目な孔明や徐庶とウマが合った。
孔明は、徐庶が曹操のもとに去ってしまったあと、崔州平に、新野へ来ないかと誘っていたのだ。
その返事が手紙に書かれている。
はやる気持ちを抑えつつ読むと、そこには、短く、
『大事な話があるから、新野の酒店で会おう』
とあった。
落ち合う日付は、ちょうど今日であった。
「関羽を連れて行くといい」
劉備のことばにおどろいて、孔明は言った。
「関将軍がわたしの随行など、もったいない。それに、指定された酒店は、城とは目と鼻の先です。問題なくひとりで行って帰ってこられます」
「しかし、このところ曹操の細作や刺客の動きが活発だからな。おまえもこのあいだ、襲われかけただろう」
「すぐ捕まりましたし、問題はありません」
「それだって、子龍がそばに控えていたからだろうが。ちょっとの油断が隙を招く。悪いことは言わない、関羽を連れていくといい」
しかし、と尚も言いつのろうとする孔明に、いいから、いいから、といなす劉備。
どうやら、孔明が遠慮をしているのだと勘違いしているらしい。
孔明としては、ひさびさに親友に会うのだから、ふたりきりで語り合いたいと思っていたのだが。
「おおい、雲長」
と劉備が声を張り上げると、近くで控えていたらしい関羽がのっそり姿をあらわした。
孔明を軽く超える高身長の武人は、現れただけで周囲を圧倒した。
「お呼びでしょうか、兄者」
劉備は関羽に、かくかくしかじかなので、孔明といっしょに城下の酒店へ行ってきてほしいと説明した。
孔明は、誇り高い関羽が、孔明の主騎のまねごとをするのは嫌だというかなと予想していた。
だが、意外にも関羽は素直に、
「わかり申した」
と応じて、出かける孔明に従って城下へ行くこととなった。
つづく
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