※
「あなたなら、すぐにわたしだと分かってくださると思っておりました」
と、大胆におしろいを取りながら、胡済《こさい》は言った。
おしろいを取っても、その地肌の抜けるような白さは相変わらず。
山猫のような大きな目と、全体の顔の作りのおさなさと愛らしさとが相まって、胡済はやはり、美少女にしか見えない。
だが、喉元を見れば、のどぼとけがあるので、きちんと少年だとわかる。
舞姫に扮していたときは、うまく首に布を巻いて、誤魔化していたのである。
幕舎の一つを借りますよと胡済はいい、しばらくそこで着替えてから、すぐに地味な衣になって戻って来た。
「男か、ほんとうに?」
まだ疑いのまなざしを向ける孫乾《そんけん》に、孔明はとりなすように言った。
「この者の身元は保証しますよ。義陽の胡済です。
あざなは偉度《いど》。わたしがあざなを授けました」
そうか、と孫乾は言ったが、まだ半信半疑、といった目つきだ。
それほどに、胡済の美貌は際立っていた。
鄧幹《とうかん》の使者とその一味は、縄をかけて一か所にまとめている。
助けてくれとうるさいので、さるぐつわも噛ませなくてはならなかった。
舞姫だとばかり思っていたのも、胡済に従っていた元の壺中《こちゅう》の娘たちで、芸人にしても、胡済がかつて壺中に所属したときに使っていた何でも屋たちだという。
「細作の真似事から、宴を盛り上げることまで、なんでもしてくれる、便利な連中ですよ」
と、胡済はさらりとかれらを孔明に紹介した。
何でも屋たちは、孔明が目を向けると、愛想よく頭を下げてきた。
「さて、詳しい事情を聞こうか。
なぜおまえが舞姫に紛れてやってきたのか。劉公子はどうなされたのか」
孔明がうながすと、胡済は、軽く一礼してから答え始めた。
「まずは、劉公子のことからお話させていただきます。
劉公子はこちらにきてから、お針子のひとりを見初めました。
その娘に桃姫《とうき》と名付けて、可愛がっていたのです。
それに目を付けたのが、あの悪党の鄧幹です。
曹操がいよいよ南下してきたとわかると、劉公子に、襄陽城の弟君と同調して、曹操に降伏するよう迫ってきました。
もちろん、劉公子がこれを是《ぜ》とするはずがありませぬ。
そこで鄧幹は桃姫を人質にとり、劉公子に自分の言うことを聞くよう、強要したのです」
「なんと、女のために、われらを無視したというか」
関羽が唸るように言うのを、胡済はまったく無視して先をつづけた。
「劉公子は関将軍らがやってこられたのを知って、なんとか助けようとなさいました。
恩を返すいい機会ですからね。
しかし、鄧幹が、それなら桃姫を殺してよいのかと、毎日のように責め立てるものですから、とうとう血を吐いて寝込んでしまわれたのです。
さらに鄧幹は、伊籍《いせき》どのたちをも、劉公子をだしに、軟禁してしまったのです。
これで鄧幹は思うように江夏を仕切れるようになりました。
ですが、天下の勇将たる関将軍に真っ向からぶつかる度胸はなく、どうしたものかと思案したところへ、あの、先ほど捕縛したやつが、酒と女で骨抜きにしてしまえと、つまらぬ策を立てました」
「なるほど、わかった。それに乗じて、おまえは舞姫に化けて、ここまでやってきたのだね」
「ご明察。都合のよいことに、やつは鄧幹の腰ぎんちゃくで、自分のことしか考えていませんから、周りをまったく観察していなかった。
愚者も使いようによっては役に立ちますね」
と、胡済は、白い歯をにっと見せて笑うと、たずねてきた。
「軍師はどのように事態を打破されますか」
孔明は、いまは闇のなかに沈む江夏城を見上げた。
「軍師、これを」
胡済はふところから、一枚の布を取り出す。
手に取ってみれば、江夏城の見取り図であった。
「鄧幹は卑劣な男です。劉公子や、玄徳さまのお味方をしようとする機伯《きはく》(伊籍)どのを城から出られないようにしています。
劉公子はここ、機伯どのたちは、こちらの部屋に軟禁されております」
と、胡済は、奥の部屋のそれぞれを指さした。
劉琦と伊籍のいる部屋は、隔てられて、容易に連絡できないようにしてあるらしい。
「鄧幹がこんなことをする理由は、もちろんおわかりですよね?」
「いざとなれば曹操に劉公子の首を献上しようという魂胆では?」
「そのとおり。ですが、それはおそらく最後の手段としたいのでしょう。
鄧幹という男、かなり卑劣な男ですが、一方でとても気が弱く、血が嫌いなのです。
だからぜったいに劉公子がうごけないように、愛妾を人質にとっているのです。
お優しい劉公子は、これでは何もできず、劉豫洲や軍師に恩を返せないと言って、毎日泣いていますよ」
軟弱な、と関羽は言うが、胡済は、それを山猫のような大きな目でじろりとにらんだ。
孔明は関羽と胡済のあいだに立ち、両者がにらみ合うのを防いだ。
「事情は分かった。では、劉公子には、われらを助ける意志がある、ということだな」
「もちろんです。恩義を忘れる劉琦さまではありませぬ」
孔明がふむ、と言って考え込むのを見て、孫乾が期待を込めた目をして、たずねてきた。
「軍師、よい策があるだろうか」
「江夏城内の見取り図が手に入ったのなら、こっちのものです。
あの使者を利用し、一気に城に雪崩れ込みましょう。
雲長どのには、決死隊を編成していただき、劉公子と機伯どのらを救出してもらいます。
そして、その騒ぎに乗じ、偉度には、桃姫とやらを救出してもらいましょう」
「なるほど、それはよいな」
「うむ、突撃ならば任せてくれ」
孫乾と関羽が、それぞれ気負って言った。
だが、孔明には心配があった。
「舞をみるかぎり、このあいだの怪我の影響はなさそうだが、大丈夫なのだろうね、偉度や」
孔明が問うと、胡済は、何を言うか、という顔を見せた。
「踊れるくらいにまでは回復しているのです。ちょっとした小競り合いになら負けませぬよ」
「ならばよし。では、そうと決まれば、すぐに動き出そう。
夜明けまでもうすこし。それまでに、突撃の準備をすませてしまわねば」
孔明の合図を皮切りに、いっせいに男たちは動き出した。
つづく
「あなたなら、すぐにわたしだと分かってくださると思っておりました」
と、大胆におしろいを取りながら、胡済《こさい》は言った。
おしろいを取っても、その地肌の抜けるような白さは相変わらず。
山猫のような大きな目と、全体の顔の作りのおさなさと愛らしさとが相まって、胡済はやはり、美少女にしか見えない。
だが、喉元を見れば、のどぼとけがあるので、きちんと少年だとわかる。
舞姫に扮していたときは、うまく首に布を巻いて、誤魔化していたのである。
幕舎の一つを借りますよと胡済はいい、しばらくそこで着替えてから、すぐに地味な衣になって戻って来た。
「男か、ほんとうに?」
まだ疑いのまなざしを向ける孫乾《そんけん》に、孔明はとりなすように言った。
「この者の身元は保証しますよ。義陽の胡済です。
あざなは偉度《いど》。わたしがあざなを授けました」
そうか、と孫乾は言ったが、まだ半信半疑、といった目つきだ。
それほどに、胡済の美貌は際立っていた。
鄧幹《とうかん》の使者とその一味は、縄をかけて一か所にまとめている。
助けてくれとうるさいので、さるぐつわも噛ませなくてはならなかった。
舞姫だとばかり思っていたのも、胡済に従っていた元の壺中《こちゅう》の娘たちで、芸人にしても、胡済がかつて壺中に所属したときに使っていた何でも屋たちだという。
「細作の真似事から、宴を盛り上げることまで、なんでもしてくれる、便利な連中ですよ」
と、胡済はさらりとかれらを孔明に紹介した。
何でも屋たちは、孔明が目を向けると、愛想よく頭を下げてきた。
「さて、詳しい事情を聞こうか。
なぜおまえが舞姫に紛れてやってきたのか。劉公子はどうなされたのか」
孔明がうながすと、胡済は、軽く一礼してから答え始めた。
「まずは、劉公子のことからお話させていただきます。
劉公子はこちらにきてから、お針子のひとりを見初めました。
その娘に桃姫《とうき》と名付けて、可愛がっていたのです。
それに目を付けたのが、あの悪党の鄧幹です。
曹操がいよいよ南下してきたとわかると、劉公子に、襄陽城の弟君と同調して、曹操に降伏するよう迫ってきました。
もちろん、劉公子がこれを是《ぜ》とするはずがありませぬ。
そこで鄧幹は桃姫を人質にとり、劉公子に自分の言うことを聞くよう、強要したのです」
「なんと、女のために、われらを無視したというか」
関羽が唸るように言うのを、胡済はまったく無視して先をつづけた。
「劉公子は関将軍らがやってこられたのを知って、なんとか助けようとなさいました。
恩を返すいい機会ですからね。
しかし、鄧幹が、それなら桃姫を殺してよいのかと、毎日のように責め立てるものですから、とうとう血を吐いて寝込んでしまわれたのです。
さらに鄧幹は、伊籍《いせき》どのたちをも、劉公子をだしに、軟禁してしまったのです。
これで鄧幹は思うように江夏を仕切れるようになりました。
ですが、天下の勇将たる関将軍に真っ向からぶつかる度胸はなく、どうしたものかと思案したところへ、あの、先ほど捕縛したやつが、酒と女で骨抜きにしてしまえと、つまらぬ策を立てました」
「なるほど、わかった。それに乗じて、おまえは舞姫に化けて、ここまでやってきたのだね」
「ご明察。都合のよいことに、やつは鄧幹の腰ぎんちゃくで、自分のことしか考えていませんから、周りをまったく観察していなかった。
愚者も使いようによっては役に立ちますね」
と、胡済は、白い歯をにっと見せて笑うと、たずねてきた。
「軍師はどのように事態を打破されますか」
孔明は、いまは闇のなかに沈む江夏城を見上げた。
「軍師、これを」
胡済はふところから、一枚の布を取り出す。
手に取ってみれば、江夏城の見取り図であった。
「鄧幹は卑劣な男です。劉公子や、玄徳さまのお味方をしようとする機伯《きはく》(伊籍)どのを城から出られないようにしています。
劉公子はここ、機伯どのたちは、こちらの部屋に軟禁されております」
と、胡済は、奥の部屋のそれぞれを指さした。
劉琦と伊籍のいる部屋は、隔てられて、容易に連絡できないようにしてあるらしい。
「鄧幹がこんなことをする理由は、もちろんおわかりですよね?」
「いざとなれば曹操に劉公子の首を献上しようという魂胆では?」
「そのとおり。ですが、それはおそらく最後の手段としたいのでしょう。
鄧幹という男、かなり卑劣な男ですが、一方でとても気が弱く、血が嫌いなのです。
だからぜったいに劉公子がうごけないように、愛妾を人質にとっているのです。
お優しい劉公子は、これでは何もできず、劉豫洲や軍師に恩を返せないと言って、毎日泣いていますよ」
軟弱な、と関羽は言うが、胡済は、それを山猫のような大きな目でじろりとにらんだ。
孔明は関羽と胡済のあいだに立ち、両者がにらみ合うのを防いだ。
「事情は分かった。では、劉公子には、われらを助ける意志がある、ということだな」
「もちろんです。恩義を忘れる劉琦さまではありませぬ」
孔明がふむ、と言って考え込むのを見て、孫乾が期待を込めた目をして、たずねてきた。
「軍師、よい策があるだろうか」
「江夏城内の見取り図が手に入ったのなら、こっちのものです。
あの使者を利用し、一気に城に雪崩れ込みましょう。
雲長どのには、決死隊を編成していただき、劉公子と機伯どのらを救出してもらいます。
そして、その騒ぎに乗じ、偉度には、桃姫とやらを救出してもらいましょう」
「なるほど、それはよいな」
「うむ、突撃ならば任せてくれ」
孫乾と関羽が、それぞれ気負って言った。
だが、孔明には心配があった。
「舞をみるかぎり、このあいだの怪我の影響はなさそうだが、大丈夫なのだろうね、偉度や」
孔明が問うと、胡済は、何を言うか、という顔を見せた。
「踊れるくらいにまでは回復しているのです。ちょっとした小競り合いになら負けませぬよ」
「ならばよし。では、そうと決まれば、すぐに動き出そう。
夜明けまでもうすこし。それまでに、突撃の準備をすませてしまわねば」
孔明の合図を皮切りに、いっせいに男たちは動き出した。
つづく
※ いつも閲覧してくださっているみなさま、どうもありがとうございます!(^^)!
以前は胡済(偉度)の表記を、「胡偉度」とか「偉度」にしていましたが、あたらしく「奇想三国志」に生まれ変わったのにあたり、「胡済」に統一することにしました。
今後、あざなで表記するのは、基本的に孔明と女性キャラクターぐらいになります。
孔明を「諸葛亮」と表記したこともありましたが、なんか違和感がありましたので、元に戻しました(日本では孔明だけはなぜかあざなで表記するという伝統があるようですが、なぜなんでしょうねえ……いや、でも孔明は「孔明」でちょうどいいですよね)。
次回、江夏城に突入! どうぞおたのしみにー(*^▽^*)