とし坊のお祭り三昧

祭りの宝庫、のとの祭り紹介

2年ぶりに「鵜樣道中」。鵜は宿鵜家(ういえ)家で一夜のくつろぎ

2023年12月13日 | 日記
師走に入り16日、羽咋の気多大社の神事「鵜祭」があります。
神事の主役「鵜樣」を気多大社まで運ぶ「鵜樣道中」が12日早朝七尾の鵜浦から出発しました。


13日、道中の「鵜樣」の宿が中能登町の良川の鵜家さん宅で「鵜樣」を迎える「鵜樣道中協賛謡会」がおこなわれました。
江戸時代、能は幕府の「式楽」となり各地の藩でも能役者を召し抱え、藩主は能を稽古しました。加賀藩では、代々の藩主が能楽、中でも宝生流を大変愛好しました。宝生流を愛好するようになったのは、五代藩主・前田綱紀が、宝生流贔屓だった徳川綱吉の影響を受けて宝生流を稽古したことによります。
加賀藩では町民にも能を奨励しました。町民も、町役者として城中の演能に出演することが許され、税の免除や、名字を名乗れるなどの優遇措置がありました。こうして金沢は能楽、宝生流が盛んな土地となり、「加賀宝生」と呼ばれるようになりました。二代藩主・利長以来続く大野湊神社神事能は400回以上を数えます。植木職人が仕事をしながら謡を口ずさむので「謡が空から降ってくる」とも言われるようになりました。






鵜樣道中の宿保存会会長さん。中能登町観光協会の会長さんの挨拶があり、宝生流・七尾謠宝会の船本会長さんが演目の説明があり仕舞が演じられました。






最初に演じられたのは「羽衣」。(はごろも)天人が国土安寧を祈りつつ天にのぼって行くきり(結末)の部分の舞です。








2番目の演目は「鵜祭」。宝生流の師匠・玉川 博さんが形付けされた作品。平成28年に気多本宮にて奉納。
朝廷より鵜祭りに参拝してくるように言われた勅使が気多大社にやってきたが、途中道に迷ってしまつた。
其処に海女と出会い、気多への道を尋ねたところ、道と鵜祭りの事を詳しく教えてくれた。気多大社に着いたところその海女はけたの神様であった。
とのストーリーでした。






鵜の三番目は「鵜の段」。禁漁の掟を破った漁師が罪により海に沈められ、その 亡霊が漁の有様を2本の扇を使い
扇は「松明」に、「鵜篭」にも表現され、上手く使い分けた仕舞です。




最後の演目「素謡」は全員で謡われました。




仕舞が演じ終わった後、鵜捕り部に担がれた「鵜樣」が、今夜の宿「鵜家家」に迎えられ、「今年の鵜樣に一目見よう」と沢山の方から挨拶を受けていました。




家路につく頃は薄暗く鵜家さんの庭内に飾られたイルミネーションが見送ってくれました。



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