(前回からの続き)
暗澹たる気分になりかけた時、一人の女性が話しかけてきた。
「ひどい状態でしょ?」
40代と思われるその女性は、自転車に乗っていたので、地元の方だろう。
「これでも、このあたりの学校ではみんな遠足で一度はここに来ているのよ」
彼女は続ける。
「そして、それが楽しかったので、今度は自分の子供を連れてくるの。ついこの間までそんな人たちがいっぱいいた」
「子供たちも嬉しそうに遊んで、また来たいって声が聞こえてた」
その時、その日(僕を除いて)唯一の客である、3歳くらいの子供を連れた若い夫婦が話に入ってきた。
「俺たちもその口ですよ。学校の遠足や子供会でここにきた」
「今は県外に住んでいるけど、実家に来たついでに、子供をつれてきた」
若い男は言った。子供はかつて何かの乗り物のコースだった古タイヤで遊んでいる。
「私も楽しみだった。今見るとしょぼいけど、当時はこれが遊園地だって思った」
若い妻も話に入ってきた。
話が弾んできたようなので、僕は彼らを残し、そこをそっと後にした。
正直、この遊園地に復活の可能性があるのかどうかわからない。
夕方近いとはいえ、3連休の中日。客は1組だけだ(僕を除いて)。
まだ新しいセルフサービスの休憩所ががらんとしている。
むしろ、何もなければ、すっきりとしている。単なる公園と考えれば・・・。
それでも、閉鎖されたかつての遊具は嫌でも眼に入ってくる。
廃墟よりも廃墟らしく、廃墟よりもむしろ物哀しい。
ただ、初めて来た僕の眼に写る風景と、その賑わいを知る者の目に映るものは異なるだろう。
ここは、廃れるだけの遊園地ではなかった。
微かな夢を繋ごうとする想いが、残り香のように、脆くはあるが、確かに漂っていた。
また、いつの日か・・・。
「滅び行くものの美しさ」そういう風に言ってもらえるとうれしいです。
関係者とも話をし、何か重たい気分になってしまいました。軽い気持ちでは撮れないと痛感しました。
小生も写真を撮っています。
この風景もやがて「撤去」されてしまい見ることも出来なくなってしまう事でしょう。歴史の記録者的視点もある様な気がします。
また寄らせてください。
歴史の記録者などおこがましいですが、やがて見れなくなるものを記録したいとは考えています。
東北地方では、この地域独特のものがどんどんなくなり、新しくできるものは、没個性的で変わり映えしないものが多い気がします。
今後ともよろしくお願いいたします。