秋田県仙北市、田沢湖畔の集落の分校だった建物だ。昭和49年に廃校となり、平成16年から一般公開されている。僕の通った静岡県の小学校は木造校舎ではなかったし、こういう感じでもなかった。それでも、この校舎は昭和の小学校の最大公約数的な雰囲気を持っている。雪国なのに建物は綺麗に保存されているし、実際に机に座ったり、黒板に何かを描くこともできる。小学校特有の小さな机に座り、教壇の方を見れば、何やら甘酸っぱいものが鼻腔をつく。
以下に書くことは、(ほぼ)事実に基づいたフィクションと思って下さい。小学校の3年か4年の頃、僕はCちゃんという女の子と席が隣り合わせだった。Cちゃんは、毎日のように何かの教科書を忘れ、僕が教科書を見せながら授業を受けなければならなかった。照れくさと面倒さとドギドキ感が入り混じり、正直困惑した。何故しょっちゅう教科書を忘れるのか、僕には理解できなかった。教科書を見るためにCちゃんが近づくと、少し甘い香りがした。異性を意識した最初の経験かもしれない。その後Cちゃんは、中学になると少し不良っぽい女の子になった。日常的な接点はなくなったけど、中学校2年のとき、突然Cちゃんからバレンタインデイのチョコレートを貰った。最初はからかわれているのかと思った。でもCちゃんは昔から僕のことが好きだったと告げた。昔わざと教科書を忘れた振りをして、僕とくっついて授業を受けたことも明かした。僕はどう振る舞ったら良いのか分からず、素っ気ない態度を取ったと思う。当然それ以上の進展はなかった。中学を卒業すると、僕は違う町に引っ越して高校に通った。後で知ったのだが、Cちゃんは中学を卒業すると間もなく子供を産んだ。父親が誰なのか決して言わなかったという(当然だが僕ではない)。町は衝撃的な話題に騒然したらしいが、僕は既にそこを離れていた。計算上、僕がチョコレートを貰って、その何ヶ月か後には誰かと子供を作っていたことになる。どう受け止めてよいのかも分からなかった。その後、Cちゃんは音信不通になったそうだ。Cちゃんが亡くなったという知らせを受けたのは、僕が東京の大学を卒業する頃だった。故郷は物理的にも精神的にも更に遠い場所となっていた。そのとき感じた哀しみは言葉に出来なかった。今回、この分校の教室で小さな木の机を座ってみた。そして突然Cちゃんのことを思い出した。遠い昔の思い出なのに、涙が溢れそうになるのを必死に止めた。
LEICA M10 MONOCHROME / レンズ各種
全然関係のない場所なのに、何かの思い出と重なって、忘れてた小さな記憶が蘇る事も、歳を重ねれば増えて来るでしょうね。
かくいう私も、若かりし頃の過ちを誤りたい方が数人いますが、こういった方たちとは不思議と合えないですね。
そういう人それぞれの記憶を喚起するような写真が撮りたいと思って活動しています。
でも今回は人ではなく、撮っている自分自身が被写体に魅入られ、遠い記憶の旅に出てしまいました。
>こういった方とは不思議と会えない
わかります。不思議ですよね。
いつ頃の(年代の)お話か判りらないですが、
小学校の頃、好きな娘にあえて、ちょっかいを出して。なんて話はよくありましたよね。
金八先生の『十五の母』のエピソードを思い出したり。
行間を想像した時、ちょっとほろっとしちゃいました。
本当は他の登場人物もいて、出来事全体では僕は影響力がほぼありません。僕の視点から見れば今回のようになり、知らない部分で色々なことがありました。話は端折ったり分かり辛くするよう多少の変更をしています。
でもそういう風に、人は人の人生の一場面に色々な関わりがあって、生きてまた死んでいくのだなと学びました。
金八先生の話みたいですけど、在学中の出来事でなかった点だけ良かったのかもしれません。
風景や場所であれば、ひょっとしたら再会も叶うかもしれません。
一方で、困難な人(苦笑)や故人において、そのやり直しはほぼ、圧倒的に無理かなぁと。
良い思い出も、そうでない思い出も、唐突に思いださせてくれる場所。
そこは素敵な場所です。
人間は忘れるように出来ているのかもしれない。脳が忘れた振りをするだけで、心のどこかにそれは仕舞ってあるのかもしれませんね。
丁寧に生きる、若い頃は難しいところもあるかもしれませんが、この齢になると心底そう思います。
人間は忘れるように出来ているのかもしれない。脳が忘れた振りをするだけで、心のどこかにそれは仕舞ってあるのかもしれませんね。
丁寧に生きる、若い頃は難しいところもあるかもしれませんが、この齢になると心底そう思います。