21世紀を迎えた年のことである。僕は渋谷の奥まった通りで、記憶を頼りに、その店を探していた。おおよその場所は身体が覚えていて、勝手に足が進む。だが、込み入った通りに入ると、辺りの景色が以前とは異なっている。最後にそこを訪れてから、かなりの日時が経過していた。それでも僕は何度も周囲をグルグル周って、やっとその場所を特定した。そう、やはり店はもうそこに存在しなかった。自分の中の何かが失われてしまったことを思い知る。時は流れたのだ。
僕が探し求めていた店は、20世紀に渋谷で営業をしていたジャズ喫茶「SWING」という。
学生時代から社会人生活の初期まで、僕は都合9年間に渡り東京で生活をした。ジャズ好きの僕は、その間、数多くのジャズ喫茶に遊びに行った。総数でいけば優に20店舗以上にはなると思う。東京には数多くのジャズ喫茶があった。下北沢の「マサコ」がホームグラウンドで、神保町の「響」、高田馬場の「イントロ」、銀座の「ジャズカントリー」なんかには数えきれないほど行った。ジャズ喫茶は、必ず地名と一緒に表現される。四谷の「いーぐる」とか、新宿の「DUG」といった具合だ。有名なジャズ喫茶が一つの街に複数あるケースもある。吉祥寺の「MEG」、「A&F」、「ファンキー」等の場合で、それぞれのファンというか派閥みたいなものがあった。今風にいえば、「押しメン」か。
今回の話は、数ある東京のジャズ喫茶の中から、渋谷にあったジャズ喫茶の話である。渋谷は、当時から若者の町、そして深夜早朝まで人通りが絶えることのない街だった。もちろん、それなりに物騒な街ではあるが、現在よりは遥かに安全で遊びやすかったと思う。六本木なんかと比べればカジュアルで気楽な街なので、週末ともなるとまさに人で溢れかえっていた。夏の季節には、薄着の女性の汗と香水の匂いの入り混じった独特の空気が辺りを満たし、様々なエネルギーをモロに身体に受けた。頭がボーッとして、熱に浮かされるようになってしまうのだ。僕はその渋谷で、レコードを買ったり、本を買ったり、友達と居酒屋で酒を飲んだり、女の子とショットーバーでデートしたり。様々な用事で出かけて遊んでいた。それだけ馴染みのある町ではあるが、渋谷に行くということは、街全体が発する熱に飛び込むことを意味し、少し疲れてしまうのも事実だった。
その渋谷に「SWING」というジャズ喫茶があった。ただでさえゴミゴミした渋谷の街でも、特にゴミゴミした一角の雑居ビルに居を構えていた。その昔は知らないが、僕が行った当時のSWINGは、プロジェクターでジャズビデオを投影するジャズビデオ喫茶だった。真っ暗な店内に巨大なスクリーンだけが光り、そこで古くさい映像を見ながら珈琲を啜ったり、ビールを飲んだりするのである。ビデオは得てしてモノクロであり、8ミリ映画なみの画質のものも多かった。また、ジャズだけでなく、ブルースや古いロックのビデオが流れていることもあった。店は老齢のマスターが切り盛りしていた。時には、マスターの娘さんと思われる黒髪の美女がウェイトレスをしていた。そして店内には飼い猫が、マスターの近くで静かに寛いでいた。真っ暗な店内、特に美味しくない珈琲、無口なマスター、古くさいビデオ。そしていつの間にか僕に懐いた猫。それだけの店だったが、それが僕にとって居心地のよい場所となり、渋谷での避難小屋となったのだ。
その後、社会人になってからも、折に触れてSWINGに通い続けた。マスターとは特に会話をすることもなかった。来店するとマスターは無愛想にうなづき、黙って珈琲を出すようになった。ビールやコーラを飲むときは、マスターが珈琲を出す前にこちらから断わらなければならない。後はたまに「外は雨ひどい?」とか天候の話をするだけである。でも、その距離感が逆に僕にとっては心地よかったのである。猫も相変わらず大音量の店内で寝ていて、僕を見つけると膝の上に乗ってきた。そして、そんな日々が数年続いたあと、僕は東京から地方都市に転勤することになった。結果的に、それが僕にとって東京との別れになった。
詳細は割愛するが、僕は転勤先で会社を退社し、その後本社が関西の、別の会社に転職した。転職先の仕事にも慣れ、いつしか今度は出張で日本全国各地に行くようになっていた。東京を離れてから、気が付けば結構な年月が経っていた。当然その間も、東京も出張で何度も訪れている。出張先の事務所は渋谷区内にあった。行こうと思えば、行けた筈なのに何故かSWINGに行かなかった。
いや何故かではない。敢えて行かなかったのだ。僕は、SWINGが無くなっていることが怖かったのだ。店がなくなることで、自分と東京との結びつきが断たれてしまうのではないか、それが怖かったのだ。
そして、僕らの時代、太陽の光を反射した真珠の粒のような20世紀は終わりを告げた。かわりに腰痛持ちの事務員みたいな憂鬱な顔をした21世紀がやって来た。いよいよハッキリさせなければならない時が来たことを悟った。自分の中の「何か」と決別する時が来たのだ。その「何か」が何を意味するのかは自分でもわからなかった。初冬の肌寒いある日、僕は東京に出張し、日帰りができるのにも関わらず適当な理由をつけて渋谷に泊まることにした。その夜、重い腰を上げて、SWINGがそこまだあるのかどうか、探しに行ったのだ。無いのは分かっていた。無いことを自分で確認したかったのだ。そして、SWINGが無くなっていることを、この眼で確認した時、僕の若かりし日々は終わりを告げた。同時に紐の結び目が解けるように、東京と僕の結びつきが切れたのである。
昔、SWINGというジャズ喫茶があった。そこに通っていた人は、今どうしているのだろう? ただの一人でもいい。僕のブログを見てくれる人がいるだろうか。ただの一人でもいい。あの猫のことを覚えていてくる人がいるだろうか。
写真:Mcintosh MC7270 (EOS 6D / EF40mm F2.8 STM)