No Room For Squares !

レンズ越しに見えるもの または 見えざるもの

#3 You must believe in spring /Bill Evans

2013-05-31 | 音楽
僕の人生に大きな影響を与えた音楽アルバムを紹介するシリーズ、第三弾。

Bill Evans。初心者から年季の入ったジャズマニアまで変わらぬ支持を集める白人ジャズピアニストの最高峰。特に、ベースのスコット・ラファロ、ドラムスのポール・モチアンとのトリオでのアルバム、通称リバーサイド4部作は、今でも絶大な人気を誇る。これらのアルバムでは、メンバー相互がお互いのプレイに即応する形でインプロビゼーションを展開していく「インタープレイ」と呼ばれる新境地を開いた。そういうと小難しいが、実際には3者が有機的に絡む合う美しさは理屈で捉えなくても理解できるものである。1961年、NYのビレッジバンガードでのライブアルバム「Waltz for Debby」はジャズピアノ名盤の筆頭アルバムだが、そのライブから僅か1週間後、ベーシストのスコット・ラファロが交通事故で死亡し、伝説のピアノトリオは終焉を迎える。若くして人生最高の音楽を完成させ、そしてその直後にそれを喪失したビル・エヴァンス。彼はその後、終生このトリオの幻影と闘うことになる。

今回、紹介する「You must believe in spring 」は、エヴァンス中後期、1977年の作品。1968年にエヴァンスは、若きベーシスト「エディ・ゴメス」をトリオに加入させる。その後、ドラムス奏者は何度か入れ替わるが、ゴメスとのコンビは1978年まで12年もの長い間続けられることになる。名作を何枚も排出した二人だが、さすがに10年以上も共同作業を続けるとマンネリに陥り、その音楽的繋がりは失われていく。隙間風吹く離婚寸前のマンネリ夫婦が、最後に燃え上がったようなアルバム、それが、この「You must believe in spring 」だ。
何故燃えあったのかは誰にも分からない。でも、とにかく燃えあがったのだ。普段は煩いくらい饒舌なエディ・ゴメスが、思いのたけを吐き出すように紡ぐ美しいベースライン。押しては引いて、引いて押すように絶妙に絡むエヴァンスのピアノ。何かの始まりのようであり、何かの終焉のようである。奇跡のように美しく、そして哀しい音楽だ。このアルバム録音から3年後の、1980年。長年の麻薬常用の影響で、健康を大きく損なっていたビル・エヴァンスは、亡くなっている。

さて、このアルバムのエピソードは東京での学生時代の話。粗末な木造アパートで迎えた寒い冬の朝の話だ。

東京での学生時代は、常にお金がなく、女の子にも余り恵まれず、時間だけは豊富にあるという生活だった。六畳の風呂なしボロアパートに住んでいたが、似たような境遇の友人とよくお互いのアパートを行き来し、夜通し酒を飲むことが多かった。来客用の布団などあるわけもなく、毛布に包まって、よく雑魚寝をした。大抵3~4人でそういうことをするのだが、ある冬の夜、Nという友人と二人で飲み明かしたことがあった。彼とはそれほど親しい仲でもなかったので、何故二人で飲み明かすことになったのかは正直覚えていない。
それでも飲み明かすなかで、僕たちは互いに好感を持ち、下世話な話から将来の夢まで、親密な気分で語り合った。夜中の2時か3時にどちらからともなく、眠り込んでしまったのだが、朝方、首筋に強烈な冷気を感じて眼を覚ました。僕は自分のベッドで寝ていたが、Nはコタツと毛布に包まって余りの寒さに小さくなっていた。アパートは池袋のはずれにあり、都会の騒音にまみれた場所なのだが、何故かその日は異様な静けさに満ちていた。怪訝に思いながら、分厚いカーテンを開けると理由がすぐに分かった。東京には珍しい大雪だ。昨夜、寝ているうちに音もなく降り積もったのだろう、辺りは一面白銀の世界と化していた。普段はゴミだらけのアパート前のアスファルトは、白い雪にすっぽりと覆われていた。数十センチは積もった雪が、すべての汚い風景を隠し、東京中の騒音を全て吸い取っていた。まるで、人類が滅びた無人の街であるかのような静けさだった。僕たちは、二日酔いの頭を抱えたまま、無言で熱いインスタントコーヒーを飲んだ。そして、その時聴いたアルバムが、「You must believe in spring」だった。深々と冷えたみすぼらしいアパートの中に響く、エヴァンスの珠玉のピアノ。エディ・ゴメスのベースも、優しく柔らかく心に響いた。僕たちは、そんな音楽を朝から男二人で聴いていることに恥ずかしさを覚えるのだが、その気持ちとは裏腹にどんどん音楽に引き込まれていった。音楽の透明感に僕たちは硬直し、レコードが終わっても、しばらく動けずにいた。無音部分をトレースする「パチパチ」という音だけが暫く響いていた。

やっとの思いで針を上げると、Nは、ポツリと「故郷を思い出す」と言った。Nは北国出身だった。暖かい地域出身の僕には、彼が思い出している故郷がどんなところなのか、思い描くことは出来なかった。

さて、それから数ヵ月が過ぎた。冬は去り、確かに春は訪れ、更には季節は春を越えて初夏に入ろうとしていた。Nとはその後会う機会がなかった。元々日常的に会うような関係でもなかったので、正直な話、特に気にとめてはいなかった。ところが、事態は急変する、驚きの知らせが届いたのだ。なんとNは郷里の青森の病院で亡くなっていたのだ。「舌癌」という舌の癌が急速に進行したそうだ。僕が全く知らない間に彼は亡くなり、地元で葬儀まで終了していたのだった。ほんの数ヶ月前に、一晩飲み明かした友人が、癌で亡くなっている。僕はこの事実をどう受け容れてよいのか分からなかった。彼が亡くなったという実感がわかないので、悲しみさえわいてこない。どういう訳か、東京の彼の友人はこの件を誰も知らなかったようだ。隠していたのか、あるいは本人にも告知されていなかったのか。いずれにせよ、僕が彼の死を知った時には、彼は既に骨になっていた。
その日の夜、アパートで「You must believe in spring 」に針を落とした。あの日、Nと一緒に聴いて以来のことだった。メロディと共に数ヶ月前のNの姿がどうしても脳裏に浮かんでくる。そして、その次の瞬間、僕は自分が泣いていることに突然気づいたのだ。「あれ?」、大粒の涙がとめどなく両方の眼から流れ落ちていた。自分が泣き出したことに気づかなかったし、何故泣いているのかも分からなかった。哀しさは伴っていなかった。感情が麻痺して、涙が意識をバイパスして勝手に流れ落ちている。そんな感じの不思議な涙だった。

次の日、僕は「You must believe in spring 」のLPレコードを処分した。とても、聴くような気分にはならず、手元に置いておきたくなかったのだ。Nの死をレコードと共に、忘れてしまいたかったのかもしれない。結局、僕がこのアルバムを買い直したのは、それから10年以上たってからだった。やっと、あの時のことを受け容れることのできる年齢になった僕は、CDで同じアルバムを買い直したのだ。今では折に触れて、このアルバムを聴くが、やはりNのことを思い出す。だが、それはもう辛いことではない。年月は経ち、僕も齢を取ったが、同じ音楽を聴きながら、変わらぬ姿のNを思いながら酒を飲む。まるで、あの夜の飲み会が今でも続いているような気がする。
Nには僕よりも親しい友人もいたし、付き合っていた彼女もいると本人から聞いていた。でも、そんなに親しい仲ではなかった僕が、今でも彼と共に語り合う。人生とは因果なものである。「You must believe in spring 」。このアルバムは僕にとって、濃厚な死の香りと、儚さ、二度と訪れない美しい瞬間、そんなものたちの象徴である。

もうすぐ、彼の命日がやってくる。僕はまた、「You must believe in spring 」を聴くだろう。

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6 コメント

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Unknown (Unknown)
2014-07-15 18:00:51
このアルバムは自分の知っているアルバム1000枚以上の中でもナンバー1に位置するものですが、ひとそれぞれ思い出がつよく残るアルバムなんだろうなぁと思いました。

さて、そんなこの作品、アナログ版がつい先日発売になりました。オランダのアナログメーカーからです。
タワーレコード、アマゾン等でもしよろしければ。

PS
映し出された映像は、完結されたものではなく、そこから喚起されるものにこそ意味がある。

なるほど、その通りだと思います。自分も自分の分野でそういうことを追求したいと思いました。
Unknownさん (6x6)
2014-07-15 19:07:28
コメントありがとうございます。
やはり、このアルバムはアナログレコードで聴きたい、僕もそう思います。
タワーレコードにてチェックしてみます。

僕は、自分のアルバムの中で、どのアルバムが一番かと言われると、答えを持っていないのですが、
このアルバムは順位は別にして、特別なアルバムです。
このアルバムの哀しさと美しさは表現のしようがありません。
同じ様に考えておられる方がいて、胸が熱くなります。

果てしなく遠いですが、エヴァンスの音楽を聴いて何かを喚起されるように、写真でも観る人の何かを喚起出来ればなあと思っております。
ありがとうございます。
Unknown (Unknown)
2014-07-16 14:33:38
お返事ありがとうございました。このアルバムのアナログの復刻はいずれあるはずと10年以上まえから定期的に検索していたところ先日発売となったことを知りました。ついでにこのアルバムのタイトルで検索していたら、切ない思いでの話に行き着きついた次第です。これもなにかの巡り合わせかと思いLPの復刻についてコメントをさせていただきました。私もタワーレコード(web)で早速注文はしたのですが、はたして手に入るか心配であります。SACD盤の再販もいずれはと思って期待しているところです。

私にとってもこのアルバムは特別です。ご説明にもあるように演奏も奇跡的なレベルで、ジャンルをこえてもこれに匹敵するレベルの作品はあるのだろうか?と時々自問自答しますがいつも答えは、「ない」で終わります。そしてこのアルバムはそれだけでなく、ビルの人生もつよく意識せざるをえないわけで、この点についても他の作品とは一線を画していると思うわけです。その部分はプロデューサーの意図はあるのかもしれませんが。さりとてアメリカ人や欧州人はそこまで気にしてこのアルバムに接する人はいないんじゃないかと勝手に思っています。

こんなアルバムに巡り会えたのはとても幸せですが、一点だけ最悪だったことがあります。
それは自分にとって初めてのビルエヴァンスのアルバムがこのアルバムだったことです。
できれば、ビルの作品の20作品くらい味わいつくしたあとでこのアルバムにたどりつきたかった。

追伸 チェットベイカー The Incredible Chet Baker Plays and Sings
チェットベイカーのエントリーも読ませていただきました。「耳元を舐めるよう」、「淫花植物のごとく」のくだりで、なるほどって思いました。
私はチェットベイカーのアルバムは持ってないのですが、彼の枯葉のデュエットをたまたま聴くことがありまして、世の中枯葉はかずあれどこのデュエットの特異さにおどろき、チェットについてしらべると。。。この人も自殺で(以下略)
それはさておき、その枯葉の入っているアルバムも再販をまっている次第です。
おそらくこの枯葉はご存知かと思いますが、おせっかいとおもいつつも万が一の時のために。
Unknownさん (6x6)
2014-07-16 19:25:30
タワーの分、チェックしましたが、取寄せで納期不明なんですね。更に気になって中古レコードなんかも調べたのですが、タマが少ないようです。
僕が以前持っていたのは、OJC輸入盤で、当時1200円くらいでした。その後も中古レコード屋で何回か見つけたのですが・・・。
気になって欲しくてたまらなくなりました。レコードで夜に一人聴きたいです。

初エヴァンスがこのアルバムだったというのは、確かにどういっていいか分かりませんね。僕は7~8枚目あたりで、まあ妥当なラインだったと思います。
当記事は個人情報の関係で多少設定を変えていますが、ほぼ事実です。
当時は情報もなく、期待しないで買ったら、良いアルバムだったのですが、本当の価値が分かったのは、この出来事の時でした。
何故、あの時あんなに美しく心に響いたのか、そしてあんな出来事が起きたのか、一生忘れない音楽になりました。
確かに、こういうアルバムを見つけることは、今後の人生でそうないかもしれませんが。。。。

コメント頂いて、最近少し情熱を失い気味だったジャズへの想いが強くなりました。
今後も色々教えて頂くと嬉しいです。

追伸:チェットのデュエットは知りませんでした。NETで調べると、ルース・ヤングと出てきますが、YOUTUBEでも再生できるのですが、敢えて聴かずにアルバムを探したいです。テーマが出来ました。

切なく美しい青春の思い出ですね。 (madamedragee)
2015-01-27 02:20:18
はじめまして。私はきょう、YouTubeでこの音源を知り、興味を持ったのでググってみたらこのブログに辿り着きました。
あれ、シェルブールの雨傘の曲じゃん、ビルエヴァンスのアレンジもあったんだ。素敵だな~って思って検索して、貴方のブログを読ませて頂いた結果、池袋のアパートの思い出にいたく心を打たれました。
そんな風に、ある人の、冬の美しい思い出として残る人生を歩まれたお友達は幸せだったと思います。
文章がお上手なので、まるで短い小説を読んでいるかのような気分でした。
madamedrageeさん (6x6)
2015-01-27 16:02:02
初めまして。うれしいコメント感謝します。

上の方のコメントにもありますが、このアルバムのレコードを探して、先日とうとう、発売当時のオリジナルレコード(音の劣化がない)を入手しました。
オーディオも当時より遥かによい設備で聴いています。
でも、あの時聴いた時の感動には及ぶべきもありません。僕も、その残像を求めて、これからも聴き続けると思います。

ぜひ今後も、当ブログに遊びにきて下さいね。

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