400年前からスペインで暮らす日本人子孫の集落があるらしい。
しかもサムライの銅像も建っているんだとか・・・
スペイン南部コリア・デル・リオという町には、400年前にはるばる
日本からこの地を訪れ住み着いた日本人の子孫が、今も暮らしているらしい。
彼らは「JAPON(ハポン:日本)」という名字を持ち、
その人口は数百人に上るんだとか・・・
事の発端は伊達政宗が家臣の支倉常長をイスパニア(スペイン)と
ローマへ派遣した、慶長遣欧使節団にさかのぼるようだ。
使節団はフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使として
1613年に月の浦港(宮城県石巻市)を出発。
キシコを経てスペインのサンルーカル・デ・バラメダに到着し、
その後コリア・デル・リオに入港し、セビリアから首都マドリードへ向かい
国王フェリペ3世に拝謁した。
その後フランスを通過し、ローマ教皇パウルス5世にも謁見。
その際に日本へ帰国せずコリア・デル・リオにとどまった人の子孫が、
現在のハポン姓の持ち主となっているらしい。
カルロス・メサ公園にある銅像は、ヨーロッパへの使命を受け仙台から出帆し、
偉業を果たした仙台藩士支倉常長率いる使節団を顕彰する為、1991年10月に
宮城県で行われたコリア・デル・リオ市民と青年友好訪問団、
“みやぎ創造の翼”の交流を記念し、後に日本の宮城県より
コリア・デル・リオへ贈呈されたものなんだとか・・・
日本人の子孫だという説は、実際に資料が残っているわけではなく
推測の域を出ないみたいなんだけどね。
しかもサムライの銅像も建っているんだとか・・・
スペイン南部コリア・デル・リオという町には、400年前にはるばる
日本からこの地を訪れ住み着いた日本人の子孫が、今も暮らしているらしい。
彼らは「JAPON(ハポン:日本)」という名字を持ち、
その人口は数百人に上るんだとか・・・
事の発端は伊達政宗が家臣の支倉常長をイスパニア(スペイン)と
ローマへ派遣した、慶長遣欧使節団にさかのぼるようだ。
使節団はフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使として
1613年に月の浦港(宮城県石巻市)を出発。
キシコを経てスペインのサンルーカル・デ・バラメダに到着し、
その後コリア・デル・リオに入港し、セビリアから首都マドリードへ向かい
国王フェリペ3世に拝謁した。
その後フランスを通過し、ローマ教皇パウルス5世にも謁見。
その際に日本へ帰国せずコリア・デル・リオにとどまった人の子孫が、
現在のハポン姓の持ち主となっているらしい。
カルロス・メサ公園にある銅像は、ヨーロッパへの使命を受け仙台から出帆し、
偉業を果たした仙台藩士支倉常長率いる使節団を顕彰する為、1991年10月に
宮城県で行われたコリア・デル・リオ市民と青年友好訪問団、
“みやぎ創造の翼”の交流を記念し、後に日本の宮城県より
コリア・デル・リオへ贈呈されたものなんだとか・・・
日本人の子孫だという説は、実際に資料が残っているわけではなく
推測の域を出ないみたいなんだけどね。