盛夏の季節、天候不順のこの頃

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第37回上尾市美協展開催

故、町田六郎 告別式

2007-02-01 20:30:25 | 法事
本日、さかい聖苑にて故、町田六郎「至誠院慈眼和敬居士」霊位の葬儀・告別式が天台宗天人寺の住職の読経により無事に終了。

晴天にも恵まれ弔問者約600人が訪れ午前11時より取り行われました。


喪主、町田一郎の焼香あと親族より、、、。伊勢崎市長の指名焼香がはじまり、国会議員、県会議員、市会議員、事業主、各種団体の方々、一般の方々の焼香が行われました。その後に弔電の奉読などがとり行われました。

 喪主が元、伊勢崎市議会議員であつた事もあり弔問者が予想を上回り、準備していた
500枚ほどの「長寿銭 町田六郎 享年99歳」が足りなくなる一幕がありました。

  さかい聖苑にて  町田家親族
又、兄弟6人の小学、中学、高校時代の同級生や地元の方々などもウィークデーにもかかわらず多く訪れて下さいました。 感謝です。

思いがけずの出会いに涙がぽろり、皆さまの温かい心に触れることが出来き感激しまた。
いつのまにか、親族が80人ほどになり人生の歴史と奇跡を改めて感じました。
<アルベルト譽>

元気すぎる母 ! 「老いの構図」

2007-01-31 06:48:12 | 法事
去る、1月28日に父が99歳でこの世を去った。一方、母は大正生まれ、今年の7月の誕生日で92歳となる。
昨年、10月まで父の世話を自宅ですべてしていたような、、、「元気すぎる母親」である。
伊勢崎の鶴谷病院で父が息をひきとった直後は、子供のように病院のベットの横で泣きじゃくり、その後がチョツピリ心配でもあった。

しかし、葬儀の準備をしている子供兄弟に元気よく話しかけてくる。昨年、母は「父ちゃんは耳が聞こえないので困る、もうだめ、、、」と言っていた。

話かけてくるが、話題がぴょんぽこぴょんと飛んでしまう、、、耳が悪いためで「相手との交信」が出来ない状態である。


相手の話を聞くことが大切であると説得して、はじめて補聴器をつけた次第である。補聴器も3万円~28万円の補聴器を沢山持っている様子。
通夜の前日は最後の別れを惜しみ父(故、町田六郎)の横で添えねでもするかと思っていたが、夜になるとお風呂に入りいつもの部屋でゆっくり睡眠をとるようす。いつものライフワークは変えないようである。
今後が見ものである。
自分勝手な行動では同居の家族がとても大変である。(どうにかならないものか、兄弟として頭が痛いです。)
■ことわざ辞典では「老いては子に従え」、、、年をとると体も弱り考え方も古くなる。まず、子供の意見に従うがよいとの意。これは仏教に見える教えで、婦人に対して言った言葉であるが、今日では必ずしも婦人に対してのみとは限らない。

■また、医学書を読むと「老化防止に必要な刺激」では、、、①社会性②未来性③義務制に欠けると身体・精神に悪循環がつくられるとか。

社会性を保つことが、老化を防ぐ、、、「自分のしたい事だけでは禁物」のようである。
人間の身体機能は、中枢の脳の支配を受けており、どんな小さな動きでも、感覚でも、それが脳を動かせ、身体全体の若さを保つことに結びつとの事を言っている。

従って、目や耳の感覚を通じて社会的刺激を受け、手足の動きや感覚を通して身体刺激を受ける点は、程よいバランスを保たねばならないようである。
「自己の意思のままにならないことを持ち続けることかも知れません。義務的な要素も持ち続けることである。」
外の世界との交流を絶たぬことが肝要かも知れません。

こころの老化は、年齢に係わり無くやってくる。その時から、人間は老いに向かうのだ。

■これからは、母に対して91歳だからと言う甘えの言葉はなるべくいわずに、”老いては子に従え”を主軸に、老人教育に努め「辛口で、、、」行きたいものです。
アルベルト譽

99歳(没)父、町田六郎  (群馬・伊勢崎市境)

2007-01-29 07:33:19 | 法事
 2007年1月28日 父、町田六郎が没。享年99歳でした。
昨年の11月に群馬県伊勢崎市の「鶴谷病院」に入院し、3ヶ月でした。
 思えば昨年の新年会では、家族30余人に囲まれてビールを笑顔で
飲んでいたことを思い出します。

昨夜、午後7時5分の死去でした。母親と兄弟が見守る中で息をひき
とりました。
子供と孫にめぐまれて幸福な父であつたと思います。終戦後、食料難の
時代に6人の男を育て更に99歳まで生きてきたのです。

  軽井沢にて  町田六郎








明治生まれの人間はやはり根性が違うとつくずく思いました。
 鶴谷病院の看護をしてくださいました方が言ってました。「昭和生まれの人間、現代の人は入院後、2ヶ月ぐらいの寿命とか、、、明治時代の人は、心臓が丈夫なんですとか、、、」
私はその言葉が今でも残っています。

私は、身内との別れが3人目です。
祖母、93歳。長女、優子18歳。父、99歳です。
諸行無常と言うより、「良くぞ生き抜いたかと、、、92歳の母が泣きじゃくる横で感じたのです」優子と比較してしまうのは仕方ないことです。娘が生きていれば今、35歳である。

私が父の年まで生きるためにはあと、37年です。ただ、生きるだけでも気が遠くなってしまいます。
「今日と言う日を大切にして生きて行きたいです。」

昨晩私は、世良田小学校昭和26年入学の新年会が太田市「明養軒」で開催されました。新年会の乾杯音頭を指名されて、発声を済ませ(記念撮影)後に姉からの電話で鶴谷病院に駆けつけました。

■通夜:1/31(水) 午後6時~  ■告別式:2/1(木)午前11時~ 
 場所:さかい聖苑 ?0270-70-6000  
■喪主:町田一郎(長男)