下町の家
2006-05-29 | 日記
わたしは、東京の下町、浅草と上野のちょうど真中あたりで、生まれました。
鍛金工芸(たんきんこうげい)という、金銀をかなづちで叩くという職人の家に
育ち、家の前には工房があって、そこを「工場の庭」とよんでいました。
その工場の庭には、物心ついた頃からいた犬や、その後重なるように飼った犬達
ジュウシマツや、九官鳥、ウサギなどもいて、よく遊んでいました。
家は、けして裕福ではありませんでしたし、贅沢品をあつかうという表向きな
ものもあったので、やはり内情は、とても大変でした。
東京で生まれ育った祖母の養子さんになったのが祖父です。江戸っ子の祖母は
大変話好きで、いつも「あんたねぇー」と、話の前は必ず「あんたねぇ」から始まり
最後も、あんた、わかったかいぃ~で、しめくくります。
「あんたねぇ。銀て言ったって、使わなきゃ意味がないんだよ。飾っておいたって、
しょうがないんだから、どんどん使うんだよ」と、言って、銀のスプーンで納豆を
かきまわし、歯磨き粉で、銀を磨いておりました
もちろん、重曹や、銀磨きなるものはありましたが、祖母はこの方法で磨き上げた
ものが好きだったのです。
この磨きかたは、けして、邪道ではなく、わたしも、この歯磨き粉(練り歯磨きでも)
で、磨いた輝きが美しいと思っています
歯磨き粉で、磨くと、ピカピカ度が
抑えられて、味のある表面に
徳利は、祖父の作品で、毎日これで、晩酌をしていました
これは、いぶし銀とはまた違う製法で、
重曹で磨いた後、古美(こび)という薬品を
用いて、このように、わざと黒っぽく仕上げるのです。
手前は、父の作品。後の酒器はワタクシ
ほんのわずかですが、銀のネームプレートとチャーム
キラサスの文字の形が気に入って、近所で彫ってもらいました
ピルケースには、キラサスの乳歯が入っています
おじいさんのお世話をするようになって、時代こそ違いますが、そんな祖父母や
住み込みの職人さんたちの食事などの世話をしていた、当時の実母の姿が
ふと、よみがえってきて、こんな話をしてみたくなったのでした。
お肉をあまり食べないおじいさんのメニュー
サーモンマリネ、エビグラタン、ほうれん草のおひたし、スナックエンドウと入り豆腐
白す干しと大根おろし
鍛金工芸(たんきんこうげい)という、金銀をかなづちで叩くという職人の家に
育ち、家の前には工房があって、そこを「工場の庭」とよんでいました。
その工場の庭には、物心ついた頃からいた犬や、その後重なるように飼った犬達
ジュウシマツや、九官鳥、ウサギなどもいて、よく遊んでいました。
家は、けして裕福ではありませんでしたし、贅沢品をあつかうという表向きな
ものもあったので、やはり内情は、とても大変でした。
東京で生まれ育った祖母の養子さんになったのが祖父です。江戸っ子の祖母は
大変話好きで、いつも「あんたねぇー」と、話の前は必ず「あんたねぇ」から始まり
最後も、あんた、わかったかいぃ~で、しめくくります。
「あんたねぇ。銀て言ったって、使わなきゃ意味がないんだよ。飾っておいたって、
しょうがないんだから、どんどん使うんだよ」と、言って、銀のスプーンで納豆を
かきまわし、歯磨き粉で、銀を磨いておりました
もちろん、重曹や、銀磨きなるものはありましたが、祖母はこの方法で磨き上げた
ものが好きだったのです。
この磨きかたは、けして、邪道ではなく、わたしも、この歯磨き粉(練り歯磨きでも)
で、磨いた輝きが美しいと思っています
歯磨き粉で、磨くと、ピカピカ度が
抑えられて、味のある表面に
徳利は、祖父の作品で、毎日これで、晩酌をしていました
これは、いぶし銀とはまた違う製法で、
重曹で磨いた後、古美(こび)という薬品を
用いて、このように、わざと黒っぽく仕上げるのです。
手前は、父の作品。後の酒器はワタクシ
ほんのわずかですが、銀のネームプレートとチャーム
キラサスの文字の形が気に入って、近所で彫ってもらいました
ピルケースには、キラサスの乳歯が入っています
おじいさんのお世話をするようになって、時代こそ違いますが、そんな祖父母や
住み込みの職人さんたちの食事などの世話をしていた、当時の実母の姿が
ふと、よみがえってきて、こんな話をしてみたくなったのでした。
お肉をあまり食べないおじいさんのメニュー
サーモンマリネ、エビグラタン、ほうれん草のおひたし、スナックエンドウと入り豆腐
白す干しと大根おろし