平和な日常生活を返せ
調布飛行機事故から一ヶ月が過ぎた。
http://breaking-news.jp/2015/07/26/020918
今日、LEOくんと墜落現場に行ってきた。住宅地の密集しているところに落ちたんだ。ゾッとする。焼け跡がなければ気がつかない。一ヶ月が過ぎると何もなかったように日常が流れていく。三人の方が亡くなられたので合掌し黙礼をしてきた。調布警察署のビラ、巡査がいなければ現場は気がつかない。
実際、飛行機が頭上を飛んでいる姿を見て欲しい。危険だ!こんなところに飛行機がなぜ飛んでいるの!風が強いとフラフラしている。いつ落ちてもおかしくないと思っていた。本当に、今、調布飛行場が必要なのか。人間の住むところが優先されないのか。事故原因も大切だが、飛行場の有無も考える時だ。
9月に入った。
施餓鬼法要の案内が送られてきた。その中に仏教の生活という小冊子にあった。いい言葉なので自分にも響くようにと書いてみた。
人もし生くること
百年ならんとも
おこたりにけり
はげみ少なければ
かたき精進(はげみ)に
ふるいたつものの
一日生くるにも
およばざるなり
法華経 一一ニ
もし、仮に百年の寿命を得たとしても、ダラダラと時を過ごし、努力を怠るならば、充実した精進を重ね、心を奮い立たせて、前を見つめて生きていく者の、たった一日の人生にもおよばない、という厳しい教えです。
勘弁して 寒いよ
午前中、病院への送迎があり武蔵野市桜堤に行ってきた。何回も書くが生まれ故郷である。懐かしい場所にどうしても足が入ってしまう。「緑道」だ。
雨が降っていてジャンバーをきている。それまでしても行きたい場所なんだ。自然に囲まれたほんの少しの空間。土の匂いがいい。小さい時の思い出がいっぱい。