字が書けなかった
なぜ気が付いたか
昨年の今日、武蔵野赤十字病院で脊柱管狭窄症の手術をした
漠然と入院生活を送るのもどうかなと思い日記をつけることを思いついた
「入院のーと」と命名
ボールペンの文字がナメクジが這いまわっているよう
ボールペンを握れない
自分でもびっくり
そしてもっとひどいのは漢字を思い出せない
ノートの一ページ目に「はじめに」は次のようなことが書いてある
いろんな人がいることを改めて知った
ともに、生きる
生きるとは
生きつづけるとは
やっかいなことは考えなくていい
在るから居る
居るから在る
自然がいいのである
空気に丸められていけばいいのである
よけいな抵抗はしない
あたらしい景色との出会い
楽しもうではないか
今こうしてみるとかなり鬱になっている。自分ではわからなかったが「松本の文章の意味がわからない」と友達が言っていた意味がわかった気がする
闘病日記として毎日書きつづけた
今、13冊目のノートに入っている
単なる記録だからある期間が過ぎたら廃棄する
もう一つデジタルで残してある
スマホのメモ帳にメール等のやり、世間の情報等を
ちょっと振り返るときの資料になるように
オリンピックと新型コロナウイルス感染者の関係を知ろうとメモしたのがあった
「やっぱり」と誰もが頷くだろう
今回のオミクロン株の爆発拡大も帰省、正月、成人式連休の関係だ
尾身さんの「人流抑制」から「人数制限」に変わったが・・・