俺の大好きだった叔父さん ちっちゃ兄ちゃん 昇さん
俺の母親の弟二人を、「おおき兄ちゃん」「ちっちゃ兄ちゃん」と呼んでいた。
おじさん二人はもうあの世に。
俺はやんちゃな「ちっちゃ兄ちゃん」が大好きだった。
石原裕次郎、長島茂に憧れたナイスガイだった。
とにかく酒好きだった。のんべーと呼ぶのがふさわしい男だった。生きているうちに一度は酒を飲み交わしたかったけれど叶わなかった。
水道屋で図面を引き続けていた。
俺のことを「テル、テル」と呼んで可愛がってもらった。
一番残念なのは孤独死をさせてしまったこと。3年前の6月、都営狛江団地で80歳で永眠。
ナイターテニスが終わり帰り道、胸に手を当て団地前を通る。いろいろあってどこのお墓に入っているのかわからない。贈る言葉としよう。
猫を棄てる
父親について語るときに
僕の語ること
村上春樹
文藝春秋六月特別号
言い換えれば我々は、広大な大地に向けて降る膨大な数の雨粒の、名もなき一滴に過ぎない。固有ではあるけれど、交換可能な一滴だ。しかしその一滴の雨水には、一滴の雨水なりの思いがある。一滴の雨水の歴史があり、それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある。我々はそれを忘れてはならないだろう。たとえそれがどこかにあっさりと吸い込まれ、個体として輪郭を失い、集合的な何かに置き換えられて消えていくものだとしても。いや、むしろこういうべきなのだろう。それが集合的な何かに置き換えられていくからこそ、と。