でぶぶろぐ

沖縄生まれ、小田原在住。
人生1/2世紀越え、
でぶな私のゆるゆるな日々。

今年も、さくらが咲いて

2021-03-31 23:41:14 | Weblog
今年も桜が咲きました。


1年経ったんだなぁ。

仕事でヘッドセットが必要だ!と帰り道にあわててドンキに駆け付けたら
そこの棚だけキレイに空っぽで、
上司にlineで「ゲーム用のロゴ入りしか在庫がありません!」と連絡した。

マスクが手に入らなくて、突然手縫いでマスクを作った。
スーパーからコムギコが消えた。
東京の友達に宅急便でトイレットペーパーを送った。

Zoomって何を大きくするのよ?と悩む間もなく
会議がオンラインになった。
職場のオトーサンたちが「Zoomなんて今までの人生で経験ないよ」と
ブチブチ言っていたが、私もなかった。

カラオケに行けなかったので一人カラオケを購入して
ひとりで食卓で大声で歌った。
音漏れがないか、スマホで録音してみたら
私のアカペラが部屋中に漏れていた。
ご近所には聞こえなかったと信じたい。

呑み会もオンラインになった。
↑ これはこれで楽しくて継続中。

ダンナ様は在宅勤務になった。
↑ 人事異動により、今月末で終了しました。

毎日毎日初めてのことが起こっていた。

今年度中に、この1年のことをまとめてみたくて
思い出した順に書いてみました。

1年経ってみて、いま、
まだ沖縄にも群馬にも帰れていない。
それどころか、新宿にも行けてない。

これからどうなるのか、
誰にもわからないけど、
また春が来て、
ひとまず、目の前の宿題を片付けながら
一歩ずつ歩いていくしかないですね。










湘南ライナー、終電到着

2021-03-13 01:26:48 | Weblog
15年間の東京通勤生活を支えてくれた湘南ライナーが
2021年3月12日でその役目を終えました。

私が乗っていたのは6時58分発の東京行き。
国府津駅から見える海が好きで、
いつも窓際の席に陣取っていました。
季節によって日の出の時間が変わっていく水平線を眺めて、
そこからは目を閉じて睡眠不足を補っていた。
ああ、今日も仕事かとうんざりしながら。

この電車は、東海道線でトラブルが起こると
(たぶん)一番最後まで待たされる立場。
ウトウトして目が覚めたら横須賀線?貨物?の
一度も見たことがない浜川崎駅のホームにいてびっくりしたり
いくら遠いからって小田原東京間が片道4時間って何事だと
すっかりお昼になった東京駅で呆然としたり
とにかくエピソードには事欠かない電車でした。

2階建(215系)の車両は天井が低くてリクライニングもなく
冬は寒く、夏も寒く(冷房ききすぎ)いつも足が冷える。
(通勤用のレッグウォーマーを持っていた)
決して乗り心地が良い電車ではありませんでした。
でも、片道80kmの遠距離通勤を支えてくれたのは、
高確率でチケットが取れて(小田原は当日買える率が高かった)、
確実に座れるこの電車だったのです。

その姿を最後にもう一度見たい気もしたけど
(実際、小田原でイッパイやってから、
これから東京に行って、ラストランで戻ってくるという猛者もいた)、
まあ、湘南ライナーのことは、このブログが覚えてるからいいか。

もう、最終電車は小田原駅に到着済み。
お疲れさまでした。










あの日の記憶

2021-03-11 23:18:50 | Weblog
2011年3月11日午後2時46分。
少し寒い日だった。
都内の職場で揺れを感じた。
「少し大きいね」
普段ならすぐに収まる揺れが収まらなかった。

休憩室の小さなテレビで
人が津波にのまれるのを見た。

お台場で火事だという話を聞いた。
東京タワーが曲がっていた。
電話がつながらなくなった。

遠距離通勤組は帰れないと、
近所の旅館で一部屋を確保した。
地震から2時間ほどで、
コンビニの棚が空っぽになっていた。

日暮れごろ、職場の近くに食事に向かうときに見た
ヘルメットをかぶって帰宅する人たちの波。
その波に逆らって歩きながら
いま自分がいる世界はリアルなのかと疑った。

夜になって、テレビの画面では
製油所の火災を報じていた。

新幹線が動いていると聞いて、東京駅に向かった。
大手町から東京駅への通路には
帰れなくなった人たちが座り込んでいた。
卒業式の袴を着ているひともいた。

薄暗い東京駅の中で、
東海道新幹線乗り場だけに明かりがついていた。
新幹線に乗った瞬間、安心感で腰が抜けた。

写真はほとんど残っていないけど、
ひとつひとつのシーンは、忘れようにも忘れられない。

あれから10年たったのですね。









パンとバラの花を

2021-03-08 23:10:02 | Weblog
あ、今日は3月8日か、と気がつく。


今日は女性デーです、と呼びかけながら、
バラの花を配っていた時期がありました。

まだまだ寒い街頭で、色とりどりのバラの花を手渡す。
「あら」と道行く人が笑顔になるのが嬉しかった。

3.8国際女性デーのシンボルは
「パン」(生活の向上)と「バラ」(女性の尊厳)。
おなかを満たすだけでなく、こころも豊かであるために
戦ってきたひとたちの思いがこめられているそうです。

男女共同参画という言葉が生まれてもう何年も経ったのに
いまだに女性がいると会議が長引くと言われる世の中ですが

伝え続けるしかない、ですね。