でぶぶろぐ

沖縄生まれ、小田原在住。
人生1/2世紀越え、
でぶな私のゆるゆるな日々。

小田原・・の・・アイドル祭・・・・・

2014-10-27 00:00:32 | 小田原かいわい

いきなりこんなことをやっていた小田原城。
なんでもあちこちのご当地アイドルが集まっていたようで。

集まってくる人たちが、明らかにいつもの小田原城じゃない。
なるほど、アイドルのイベントっつーのはこういう熱気なのね。

お堀端まで歌声が聞こえてきて、
「まぁ賑やかでいいじゃないの」と話していたが、
1曲歌い終わって、どこかのグループのメンバーの子が

「みっなさーんこっんにっちわーっ

と、完成されつくしたアニメ声で観客に話し出した瞬間
ダンナが腰から砕け落ちていた。玉砕。

主催者は攻めたイベントだと思っているでしょうが

本日の小田原城、攻め落とされておりました。





そんな私のワークライフバランス

2014-10-19 00:33:31 | 小生意気な主張

10月18日の毎日新聞にこんな記事が載っていた。

何のために女性が活躍することを期待されているのか。
それは「我が国の経済社会の持続的な発展」のためだ。
なぜ、女性が輝く社会が必要なのか。
要するに「労働力人口を維持し、労働生産性を上げていけるかどうかが、
日本が成長を持続していけるかどうかの鍵を握っている」からなのである。

ほんとにその通りで、
どんなに美辞麗句を並べても、その思いはスケスケ。

女性の活躍を推進したい、と言われて
その風潮をチャンスにして気合いを入れている女性たちに
水を差すつもりはありません。

ただ、男性の活躍を推進しようと思ったら、
ひとくくりにせずに「あなたの力が必要だ」と個別に言うでしょう。

なぜ「女性」なのでしょう。
女性でも男性でも、持っている力も背景もバラバラなのに。
こういうふうにカテゴリーでくくって対象にしている時点で
オカミの方々にとって、女性というのは
「いま人手不足だからちょっと出てこいや」という
「活用」材料に過ぎないと思うのです。

ところで、女性が社会に出て、一緒に社会の荷物を背負うのなら
男性はプライベートを一緒に背負わなきゃ、という話も
最近ちらほら出てきています。

だけど、いまの世の中、男の人の働く時間の長いことったら。
女性に外に出ろ、というなら、男性の長時間労働もセットで対策しないと
うまくいかないと思うんだけどねぇ。

ってなことを文書にまとめるために
自宅に持ち帰って仕事してる
私のワークライフバランスってどうよ

と自分にツッコミを入れてみたり。

でも、寝食を忘れて、深夜になってでも
とにかく仕事に集中したい時って、やっぱりある。
しんどいけど、集中して、仕事が片付いた時の達成感は
ちょっと他では味わえない嬉しさがあるとも思う。
この思い、男性も女性も一緒じゃないかしら。

きりのいいところでおやつに食べた
お土産の堂島ロールがうまかった。







翼を切り落とさずに

2014-10-13 22:14:40 | 小生意気な主張

「教育受けるため立ち上がろう」 ノーベル平和賞・マララさん訴え(産経新聞) - goo ニュース

facebookで久々に連絡を取り合うようになった
前の職場の先輩が、マララさんのスピーチを聞いて
「こんなに涙が流れるスピーチを聞いたことがない」と書いていました。

いまなお、女性であるがゆえに、年が幼いがゆえに
ひととしての権利を奪われる世界がある。

好きな人と結ばれること、学ぶこと、
そんな自然な、あたりまえのことが認められない。
認められないことすら知らないこどもたちがいる。

マララさんは命をかけて立ち上がったけれど
他にも声を出せず、立ち上がることもできずにいる人たちがいる。
そのひとたちが悪いわけじゃない。

あたりまえの夢をかなえるために
ここまでの犠牲を払わなければならない世界を
何とかしなければ。

自分とちがう性別、年齢、宗教、人種、
ちがうというだけで、上下をつける人間のサガは
いつからあるんだろうか。

自分と違う、でも、そのひともまた、自分を生きている。

それぞれの「自分」が「自分」を生きたいと願っている。

マララさんはスピーチの中でこう言っています。

父は私に特別なものを与えてくれたわけではありません。
ただ、父は私の翼を切り落としませんでした。

だれもが翼をもっているはず。
誰もが翼を切り落とさずに生きていける世の中を残すために
おとなは何ができるだろう。


琉球フェスティバル2014 in Tokyo そしていまさら

2014-10-06 00:01:34 | 沖縄

今週は確か、大阪の琉球フェスティバルの予定だったはずだが
どうなったんだろうか。雨天決行だからやっちゃったんだろうか。
去年もやっちゃったぐらいだからなぁ。

ちなみに東京は先週日曜日でした。



大工哲弘さん、やっぱりかっこよかったし。

「私は沖縄民謡界のレジェンド」と言ってましたけど

発音が「でじぇんど」になってるあたりがまたなんとも


いやー、今年も大盛り上がりでした。
まさか新良幸人がこの出方をしてくるとわ。

でもやっぱり「海の彼方」を歌うパーシャはかっこいんだよなぁ~~~

ところで今回の出番の時に、パーシャクラブのメンバー紹介で
メンバーひとりひとりの名前を紹介された時に
「あらっ」と思って検索してびっくりしたこと。

パーシャクラブのBassが
小学校の同級生だったよ!


っていうか、何年パーシャクラブ聞いてていま気づく!

実はワタクシには、小学校時代につけられたニックネームがありまして。
子々孫々まで伝えられていこうかというぐらいのロングセラーで
学生時代の友達はみんなその名前で呼んでいるため
ほとんど本名が知られていないっつーぐらいなのですが
(みんな携帯の電話帳登録もその名前になっている模様)
たしかその名付け親が彼だったような・・・

いやはや、改めて知るウチナーの狭さったらもう。





 


オトナのアウトプットとは・・

2014-10-05 01:33:06 | Weblog

オトナってどういうことなんだろう。
と、ふと思う出来事があった。

もうhalf of the centuryが目の前に来ているのだから
見た目は完全にオトナなのだろうけれど。

自分がオトナであることを自覚してしまうことのリスクは
コミュニケーションの時に、
自分のフィルターを通して受け止めて
自分の感性だけで吸収してしまうことではないかしら。

もう少し若いときには、
言われたことひとつひとつが、
「言われた形のまま」で自分の中にはいっていった気がする。

「自分はオトナだから」というフィルターを入り口で使うことは
逃避の手段になってはいないかと思う。

相手に何か言われた時に、
その真意を本気で受け止めようとしているか。
相手のヴィジュアルや周りの情報に踊らされず
言葉の中にある真実を、深く掘り下げようとしているか。

ひとりひとりとコミュニケーションするたびに
そんなことを気にしていたら疲れちゃう、と思いそうだけど、
「おとなフィルター」を外したら、結構簡単なのかもしれない。

「オトナ」は、それを受け止めた後に
自分がどう咀嚼して、自分に取り込んでいくことを考えるのではないだろうか。

そうやって、らせん階段のように成長していくのが、
本当の「オトナ」のような気がします。

自分で咀嚼したことばは、たぶん、とてもシンプルな言葉になる。

流行りの言葉でもなく、カタカナ語の羅列ではなく、
むしろ、ひらがなだけで書いても心に響くアウトプットになるはず。

と、自分の中でぐるぐるしたことを書き留めてみました。
自分で自分に言い聞かせる。

鴻上さんの本のタイトルではないけれど、
真実の言葉はいつも短い。