でぶぶろぐ

沖縄生まれ、小田原在住。
人生1/2世紀越え、
でぶな私のゆるゆるな日々。

もういちど、見たかった。

2006-03-03 01:07:45 | Weblog
久世光彦さんが亡くなった。
「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」の演出で知られているが、
私にとって久世光彦というと、向田邦子との思い出をつづった、
「触れもせで」のイメージ。
そのエッセイの中に、作者が向田邦子と待ち合わせをしていて、
彼女が雨の中を走ってくるのを見ているシーンがある。
待ちぼうけをくらった作者が窓の向こうから走ってくる彼女を見つける。
「あれはせめてもの申し訳に走っているのである」
「くるぶしにはねた泥を気にしておしぼりでぬぐおうともせずに」
「裸の財布と裸の鍵を何気なくテーブルの上に投げ出し」
足を組んで座る向田邦子の姿が、いまそこにいるかのように見えてくる。
その情景を思い出すとき、とても暖かな気持ちになる。
それは文章から彼女への想いが伝わってくるからだろう。
私はこのエッセイの、特にこの一文がとても好きで、
キーを打つ練習をするときにこの文章を何度も何度も打ったのを覚えている。
確かに相手のことを想っているけれど、決して縮まらない距離がある。
その距離があるがゆえにより切なく、いとしい想い。
久世光彦の書く向田邦子の思い出からは、いつもそんな想いが伝わってきた。

そして彼の書く小説もドラマも同じように、ほどほどの温度の暖かさがあった。
文章からはいつも昭和初期の茶の間の雰囲気が伝わってくる。
それから、西日がいっぱいに差し込む縁側の風景。
そして、そのふすまの向こうにある影も。
暖かくて、明るくて、でもその向こうには影があって。
光もまぶしいほどは明るくなく、
影も何も見えないほど暗くはない。
そんな、少し曖昧な空気が、私はとても好きだった。

もう「向田邦子原作/久世光彦演出」のドラマが見られないのが寂しい。
もう一度、見たかった。