東日本大震災につきましては、亡くなられた方々のご冥福を
お祈り申し上げますとともに、被災された皆さま、そのご家族の方々に
心よりお見舞い申し上げます。
幸いにも私の実家(和歌山県湯浅町)も津波の影響がなく安堵しました。
しかし、過去2回の大津波にあって多くの被災者を出しています。
宝永の地震・津波(1707年)と安政の地震・津波(1854年11月5日)の南海地震です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/96/88d99effe7736f29839cf6c81d6e9519.jpg)
実家の近くの深専寺にある
この「大地震津波の心え之記碑」は、安政の地震・津波(1854年11月5日)の大地震津波
の概要を記して、後人を戒めた記碑で、当時の状況を詳しく記しています。
記碑の最後には、(市街地ガイドマップ碑文の現代語訳より)
「昔から言い伝えによる、井戸の水が減ったり、濁ったりすると津波が起こる
前兆であるというが、今回の地震の時は、井戸の水は減りも濁りもしなかった。
井戸水の増減などに関らず、今後万一、地震が起これば、火の用心をして
その上、津波が押し寄せてくるものと考え、絶対に川筋に逃げず、この深専寺
の門前を通って東と向かい、天神山の方へ逃げること」
の文で終っています。
当時の被害状況
流失破損の家・蔵数 四百四十件
死者 二十八名
当時はまだ村であった為、村の大半が流失し
多くの小さな漁村は消滅したと思われます。
町には当時の津波記録があるのはこの碑だけです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/1b/d5e4c3da88212705556966bc108443d6.jpg)
現代の様に情報網が発達していない当時は、
私の先祖も、村に住んでいた人も恐らく大変な思いをしたことでしょう。
今は、当時を詳しく知るよしもありません。
今回の東日本大震災では、津波が町をのみこんで行くありさまを見て
あまりにも文明の力のはかなさを改めて思い知りました。
しかし、これだけ情報網が発達しているこの世の中、もっとなんとか
ならなかったのでしょうかね。
お祈り申し上げますとともに、被災された皆さま、そのご家族の方々に
心よりお見舞い申し上げます。
幸いにも私の実家(和歌山県湯浅町)も津波の影響がなく安堵しました。
しかし、過去2回の大津波にあって多くの被災者を出しています。
宝永の地震・津波(1707年)と安政の地震・津波(1854年11月5日)の南海地震です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/96/88d99effe7736f29839cf6c81d6e9519.jpg)
実家の近くの深専寺にある
この「大地震津波の心え之記碑」は、安政の地震・津波(1854年11月5日)の大地震津波
の概要を記して、後人を戒めた記碑で、当時の状況を詳しく記しています。
記碑の最後には、(市街地ガイドマップ碑文の現代語訳より)
「昔から言い伝えによる、井戸の水が減ったり、濁ったりすると津波が起こる
前兆であるというが、今回の地震の時は、井戸の水は減りも濁りもしなかった。
井戸水の増減などに関らず、今後万一、地震が起これば、火の用心をして
その上、津波が押し寄せてくるものと考え、絶対に川筋に逃げず、この深専寺
の門前を通って東と向かい、天神山の方へ逃げること」
の文で終っています。
当時の被害状況
流失破損の家・蔵数 四百四十件
死者 二十八名
当時はまだ村であった為、村の大半が流失し
多くの小さな漁村は消滅したと思われます。
町には当時の津波記録があるのはこの碑だけです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/1b/d5e4c3da88212705556966bc108443d6.jpg)
現代の様に情報網が発達していない当時は、
私の先祖も、村に住んでいた人も恐らく大変な思いをしたことでしょう。
今は、当時を詳しく知るよしもありません。
今回の東日本大震災では、津波が町をのみこんで行くありさまを見て
あまりにも文明の力のはかなさを改めて思い知りました。
しかし、これだけ情報網が発達しているこの世の中、もっとなんとか
ならなかったのでしょうかね。