ハッチと私の日常

20年暮らした猫も亡くなり、25年以上連れ添った夫も病死、仕事も辞めて還暦過ぎた女性が被災猫ハッチと暮らす日々

北朝鮮という国

2017年04月19日 11時22分58秒 | 日常

 独裁の国家、北朝鮮。国民に自由はなく、まるで奴隷です。餓死しようが、国は何もしてくれない。恐ろしい国です。核開発する資金があるのなら、もっと国民に分けてあげればいいのにと思います。人は監視され、管理され、全く自由がない。私が絶対に生きていくことのできない国です。

 日本も、もしかしたらそうなるのかと思います。過去の経験から何も学ぼうとしない。朝鮮人虐殺事件を削除するって、なかったことにできると思っているのでしょうか?教育勅語をテキストにしてもいいって、あの戦争をなかったことにしようと思っているのでしょうか?

 教育勅語という明治時代に生まれた天皇から国民に下した文章は、国民が天皇の奴隷として存在し、天皇のためにいざというときは戦って死ねということなのです。今の天皇は、全くそれを望んでいません。でも、歴史を見れば、古代の時代は確かに天皇自身が政治を行ったことはありましたが、それ以降は、周りがその権力を利用してきました。今も、権力者となった自民党が利用しようとしているのではと、私は疑っています。共謀罪だって、そうでしょう。一般人は関係ないというけれど、だれもが、一般人ではなくなるという危険があるのです。

 人は不安になると、弱い者いじめをします。特に、日本人がそうです。卑怯ですよ。朝鮮人虐殺事件は、関東大震災のとんでもなく不安なときに、流言飛語で、朝鮮人が井戸に毒を入れたとかそういうことで日本人が、罪のない朝鮮人たちをよってたかって殺戮したという事件です。きちんと検証されていません。大勢が殺されたのですが、その名前も不明な人たちがいます。

 想像してみてください。私たちは一人一人、名前があります。親がつけてくれた名前です。一人一人の存在が、不明って、どういうことでしょう。恐ろしいと思いませんか?独裁国家になると、人は、そうやって抹殺されることがあるのです。今の日本も、そうならないとはいえない。だからこそ、私たち一人一人が、きちんと政治家や国会や、国がやっていることを観察して意見を言って、見守らなければならないと思います。民主主義って、そういうものでしょ?今になって教育勅語をよみがえらせるなんて、ネオナチと同じとしか、私には思えないのです。組織は、権力をもって暴走すると、本当に怖いことになります。自由にモノを言えない社会、かつての日本はそうでした。そうならないよう、しっかり見てきいてしゃべりましょう。北朝鮮のような国になんか、絶対にしてはならないからです。

 見えない貧困、浮かび上がる格差、それに対して何もしない日本国家。どうみても、独裁になりそうじゃないですか。ぞっとします。

 来週、もしかして核ミサイルが日本に発射されるかもという危機からか、防災無線で間違った情報を流した自治体がありました。こういうことで、あの関東大震災の時のようなことが実際に、今でも起こりうるのです。良識をもって、しっかり行動してください。

 天皇の名のもとに、日本国軍に騙されたような形で戦争に駆り出され、負けて焦土となった国土で、敗戦の翌年11月に「日本国憲法」が公布されました。安倍総理は、アメリカに押し付けられた憲法だと言いますが、本当にそうでしょうか?国民みんなの気持ちがそこにあったと私は思います。その前文は、学生の頃、覚えたのですが、すっかり忘れました。すごく大事なので、ここに書きます。英文でも習った記憶があります。

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 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果とわが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その権利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。

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 当時のぼろぼろになった国民が、どれだけこの理想を素晴らしいと思ったか、想像できますか?もう、二度と、国家の横暴を許さないと強く思ったに違いないのです。上下関係を意味する「詔勅」なんて、今の世の中ではあってはならないものなのです。だから、「教育勅語」は絶対に使ってはいけません。許すまじ、です。

 

 

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