生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

機械論と生気論:資料20160730

2016年07月30日 23時30分01秒 | 生命論
2016年7月30日-2
機械論と生気論:資料20160730


 石井友幸(1947/11)『生物学と唯物弁証法』〔旧字体は新字体に変換した〕 の第一部、生物学と唯物弁証法は、

  一 生命論における唯物論と観念論  3頁
  二 生物学と哲学          8頁
  三 機械論             11頁
  四 生気論             19頁
  五 全体論             21頁
  六 唯物弁証法的生物学へ      26頁
  七 理論生物学の諸問題       28-47頁

となっている。

□ 文献 □
石井友幸.1947/11/10.生物学と唯物弁証法.237pp.彰考書院.[定價 金 七拾圓][P19860421

人工生命論批判20160730

2016年07月30日 23時15分43秒 | 生命論
2016年7月30日-1
人工生命論批判20160730


主張1:
・人工生命なるものは、コンピュータ内での計算をもって生命的振る舞いとしている限りは、生命体ではない。(計算機〔コンピュータ〕全体+人)は、一つのシステムとは一時的になることはできても、生命システムではない。計算機は、拡大された或る人の一部だとみなすと、それは人体という一つの生命体システムである。しかし、その境界は一定しない。
 人体内部に埋め込んでも、取り出すことは可能であるし、取り出せば、人体ではないし、人の脳が作業命令を神経系から計算機に命令すれば、人体の一部とみなせるが、そのとき、計算機が内部に生命を創発しようとも、計算機は寄生体または奴隷であろう。計算機が人体の外に設置されていようと人体内に埋め込まれていようと、それ自体が環境からエネルギーや物体といった資源を自ら得ることは無い。自ら得るようにプログラムや装置を設計して接続することはできるだろうが、そのようにした(力)は人の力であり、とりわけ設計力である。

主張2:
 計算機内で創発は起きない。
 まず、物質的世界で、下位システムたちからの物体や諸力の組み合わせで、〈制御〉階層 control hierarchy での上位システムが創発する例は、無い。在るとしているのは、或るパターン〔模様〕を創発的だとみなしているにすぎない。或る動的な恒常的なパターンをそうだと主張しているのである。上位からの制御または統御が作用しているわれではない。
 ましてや計算機内では、パターンにすぎない。システムとしているのも、パターンにすぎない。また(あるとして)新奇な性質なるものも、パターンにすぎない。力または作用も、計算上のことである。


 

Langton, C.G. (eds.) 1995. Artificial Life: An Overview. xi+340pp. The MIT Press. [B19950908, y6544]

星野力.1998.進化論は計算しないとわからない─人工生命白書─.vi+125pp.共立出版.[本体2,300円+税][B19980728]